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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第一粒 妻が貴族の愛人になってしまった男
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【26】メルツェーデスの見舞い


 トビアスたちが去った後。

 肉体的疲労と精神的な疲れから、ルキウスはベッドに倒れ込んでいた。可能ならばこの部屋からさっさと出たかったのだが、ルキウスの周りで彼の世話に明け暮れるジゼルの雰囲気からして、部屋の移動は全く想定されていないという事が分かり、下手な事は言えなくなってしまった。


 そうしてベッドで大人しくしていたルキウスに、ついに最も恐れていた時がやってきた。


「ジゼル。入ってもよいかしら」

「メルツェーデス様。もちろんでございます」


 外から女性の声がして、ジゼルはすぐにそれに応答する。ルキウスはベッドの上で身を固くして、無言で、そっと、壁側に体を寄せた。


 ドアが開き、メルツェーデスが現れた。ルキウスが最後に見たメルツェーデスはびしょ濡れの状態で顔も真っ白であったが、今は薄く桃色付いた頬が血色の良さを感じさせる。そもそも川の事故からルキウスが目覚めるまで、そこそこ時間が経っている。メルツェーデスの頬が未だに白い状態なわけはなかった。

 メルツェーデスはルキウスと目が合うと、目元をやわらげた。


 貴人はゆったりとした動きでルキウスに近づいてきて、ベッドの横にジゼルが用意した椅子へと腰かけた。ルキウスはその動きを目だけで追い、体はピクリとも動かさなかった。部屋の隅でその様子を見ていたジゼルは、極度に緊張して硬直している野生動物の姿を幻視した。


 メルツェーデスは腰かけた後、しっかりとルキウスの目を見つめながら、感謝の言葉を口にした。


「ルキウス。わたくしの命を救ってくれた事、心より感謝いたします。どうもありがとう」


 メルツェーデスの言葉に、声の出ないルキウスは答えようがない。返事をしないと失礼に当たり怒りを買うのではと怯えたルキウスだったが、メルツェーデスはすぐに「声が出ないのは聞いておりますので、無理をなさらないで」と付け足した。

 返事をしないで良いようなので、ともかく、ルキウスはメルツェーデスの言葉を受け入れながら動かないようにしていた。

 メルツェーデスは相手の緊張には気が付いたものの、理由がいまいち分からず内心首をかしげていた。が、ジョナタンと医師からはあまり長期間話さないようにという話を聞いていたので、伝えたい事を話すのを、優先する事にした。


 メルツェーデスの美しい白い手が、掛布団の上にあったルキウスの手を拾い上げた。ルキウスは何故触られたのか分からず、メルツェーデスの手を凝視した。日焼けし、傷やタコの跡ばかりの手と比べられない、綺麗な手だ。白く、手入れされ潤いのある手。指は細く、大きさもルキウスより一回りちかく小さい。


 メルツェーデスは優しく、けれどしっかりとルキウスの手を握った。この手が、己の命を助けたのだと、その骨ばった男の手を握りしめた。


「この恩は忘れはしません。ブラックオパールの名に誓って、我が家に仇なさない限り――貴方が困られた時、持ちうる全てを持って、貴方をお助けすると誓いますわ」


 見ていたジゼルはヒュッと息をのんだ。

 ジュラエル王国の貴族にとって、家名に誓うというのは重大な意味を持つ。家名に誓った事を違えるのは最悪の不義であり、家名の誓いに反した者は時に、家から除名されて着の身着のままで追い出される事すらあるのだ。


 それぐらい、軽々しく口にしてはならない誓いが、家名に誓うという行為であった。


 それが分かるジゼルはとてつもない場に居合わせたとたたずまいをただした。

 が、そんな重大な意味があると知らないルキウスからすると、誓いの文言よりも繋がれたままの手の方が気になって仕方なかった。話をするのに手をつなぎ続ける必要はない。出来れば放して欲しい。そんな思いでいっぱいだった。

 その思いが通じたのか、メルツェーデスはそっと、手を放した。やっとベッドに下ろされた自分の手にルキウスはホッとしたが、直後にメルツェーデスの片手が自分の片手に重ねられたので、(何故)と頬が引きつった。

 彼はルキウスは言葉よりも手同士の接触ばかり気にしていたために、彼は目の前の貴人の次の動きに対応出来なかった。


 メルツェーデスが椅子から腰を上げ、身を乗り出し、ぎしりとベッドが重みを訴えた。そこで初めてルキウスは目線を動かしたが、その時には既に、メルツェーデスの顔がすぐそばにあった。


 ちゅ、という音と共に、唇が額に触れた。

 祝福の口付けだ。


 また、ルキウスの鼻腔に甘い香りが満ちる。

 それはメルツェーデスの身に着けていた香水の香りだったが、そんな事理解出来なかった。ルキウスの体の動きは全て停止していた。

 唇をルキウスの額に当てたまま、メルツェーデスは祝福の文言を囁いた。


()を生みし神と威嚇の精霊の恩恵が、貴方にありますように」


 平民でしかない上に機能停止状態だったルキウスには、それが何であるか即座には分からなかった。

 ちなみに理解出来なかったのは彼が機能停止していたためだけでなく、メルツェーデスの口にした祝福は平民が口にする物より原型に近かった事も関係している。平民が口にする祝福は簡易化されており「神と精霊の恵みがありますように」というものである。そのため平民育ちのルキウスにはメルツェーデスが口にした文言は小難しく聞こえ、内容を理解しづらかったのだった。


 メルツェーデスはそっと、ルキウスから離れる。

 完全に固まってしまっている彼に優しく微笑み「どうぞゆっくりと養生してください」と声をかけてから、退出していったのだった。

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