【25】ルキウスⅣ
「ルキウス。問題ないか。……顔色が悪い」
寝台に倒れ込んでから暫くして、部屋を去ったジョナタンと入れ替わりで入ってきたのは、トビアスとオットマーだった。二人は騎士服を脱ぎ、珍しく私服を着ていた。
声を出せないので、力なく首を横に振る。トビアスとオットマーは何とも言えない顔でお互いを見合ってから、椅子を寝台脇に置いて腰かけた。
「お前からすれば止して欲しいかもしれんが、言わない訳にもいかない。すまんな。――そしてありがとう、メルツェーデス様をお助けしてくれて。お前がいなければあの方は水の精霊に囚われてしまっていただろう」
ジュラエル王国らしい溺死の言い回しを使いながら、トビアスはそう礼を言う。そして二人は頭を下げてきた。
止めてくれ、と必死に手を振る。少ししてからトビアスらは顔を上げ、無言で必死に身振り手振りで意思を伝えようとしてくるルキウスを痛ましげに見た。しかしそれについてあれこれと触れても、きっとルキウスが更に困るだけだろう。トビアスは話題を変えた。
「あの時何が起こったか。それから、その結果について、お前も知りたいのではと思ったんだが……説明しても構わないか? 勿論、お前が嫌でなければだが」
「口を挟ませてもらうと、結果については興味がなくとも把握しておいた方が良いとは思うぞ」
オットマーからもそう言われ、ルキウスは頷いた。騎士二人はまず、あの時何があったのかを語りだした。
「お前は川下で馬たちの面倒を見てくれていただろう。その間、私たちは先を行くルイトポルト様とメルツェーデス様に付き従い、川の流れに逆らうように歩いて行っていた。お二人と私たちの間には少し距離があった。ルイトポルト様が、二人でお話をするから離れてくれと仰られたからだ。ジゼル曰く、奥様の誕生の日が近い故、メルツェーデス様と二人で話したいのだろうと。私たち護衛もそれを受け入れ、距離を保ったまま歩いて行った。……ルキウス。メルツェーデス様が帽子をかぶられていたのは覚えているか?」
記憶がある。確か侍女から日傘と帽子を差し出され、帽子だけ受け取っていたはずだ。
「あの帽子が、風に煽られて吹き飛ばされてしまったんだ。通常、そのようになった時に帽子を拾いに行くのは私たち護衛か、或いは付き従っていた侍女だ。だが我々が動くより早く、ルイトポルト様は帽子を手に取ろうと走り出してしまい、メルツェーデス様もそれを追われた。私たちも勿論すぐに追いかけたが、声があまり聞こえない程度に距離を開けてしまっていたせいで、一番足の速かったオットマーが追いつくよりも、ルイトポルト様が川に飛び出ようとして――それをメルツェーデス様が、身を乗り出して引き止める方が早かった。メルツェーデス様がルイトポルト様を抱き留めた時にはもう、お二人の体は殆ど川に落ちかけていた。メルツェーデス様は咄嗟に、ルイトポルト様だけを陸の上にお投げになった。間違いないな、オットマー」
「ああ。無論、私たちも川に落ちてしまわれたメルツェーデス様を助けようと――いや。これは言い訳にしかならんな。事実だけ説明しよう。女性もののドレスは布が多い。水を吸い、重くなったメルツェーデス様はあっという間に川に流されていった。そして川下にいたお前たちの傍まで流され、後の事は当事者たるお前の方がよく知っているだろう」
そういう流れだったのか。確かにルイトポルトは気になったものにはすぐ飛びついてしまう所があるようだし、メルツェーデスも良い大人の年齢の貴族女性にしては、フットワークが軽いというか……軽快に行動をしている節がある。
メルツェーデスの方を知っているとはとても言えないが、ルイトポルトが帽子を追いかけて足元を見ずに川に飛び出すのは、容易に想像できた。
「さて。お前が気絶した後に話を移そう。お前が気絶した後、我々は速やかに伯爵家に戻った。その後は意識のあった者全員から話の聞き取りが行われた。まだ正式な沙汰は下されていないが、少なくとも川の付近を散策する際に付き従っていた者は全員、何かしらの罰が下りるだろう。沙汰が下されるまでの間は、全員、一律で職務を停止していて基本的には自宅で待機を命じられている。……うぅんと、お前にも分かるように説明すれば、その間の給金はなくなるという事だ」
「きわめて寛大な対応だ」オットマーが口をはさんだ。「メルツェーデス様が天に帰られなかったとはいえ、本来ならばこのような問題が起きた時点で、それを防げなかった関係者は皆酷い罰が下っている筈だ。当人の首だけで済めば良いが、本来なら私の親兄弟の首も飛んでいた。たかだか給金をなくされ、家から出る事を禁じられているだけですんでいる」
「ルイトポルト様とメルツェーデス様が、我々にあまり酷い罰を与えないよう伯爵様に訴えて下さったそうでな」
「お二人は勿論の事だが、お二人の意見を受け入れて下さった伯爵様も……本当に、我々のような下の者に対してお優しい」
「まだはっきりと伝えられている訳ではないが、皆、数か月の減俸と階級をおろされるだけですむだろうという事だ」
オットマーもトビアスも、ルキウスからすれば生まれも育ちもずっと上の立場だ。だが伯爵家の人々と比べれば、下となる。
上の人間が死にかけたとなれば、数人、首が飛ばされていてもおかしくはない。そういう話は、時折耳にする。
そこまで思ってから、ルキウスは矛盾に気が付いて首を傾げた。
「ああ。私たちがここにいる事と、ジゼル殿の事だろう? 基本的にはと言った通り、一部、自宅待機ではなく行動が許されている者がいる。例えばジゼル殿は、自分の主人であるメルツェーデス様を助けてくれたお前への恩を返したいと、無給でお前の看護にあたっている。そして私やオットマーは、お前の意識が目覚めた事で、お前を訪ねる事だけは許されたんだ」
「使用人の中でお前と最も関係が深いのは我々だろう、という事でな」
確かに、他の使用人たちと話をするよりは、トビアスとオットマーと話をする方が遥かに楽だ。
だが一つ、まだ話されていない事がある。
(おれ、は?)
声は出してはならないので、なんとか、自分を指さして訴えた。
自宅待機は理解した。だがそれならばなぜ、下人棟の自室ではなく、見るからにもっと良さそうな部屋で寝ているのか。
それから、今後の事も。ルキウスには減俸するほどの金も、降格させるほどの役職もない。何かを削る事で罰とするのなら……今度こそ放り出されるのだろうか。
最初はトビアスもオットマーもルキウスの言いたい事が分からなかったようだった。あれこれ言葉に出して、ルキウスが気にしている所を当てようとしてくるが、どうにも二人の焦点がズレている。
(おれ、の、ばつ、は?)
声は出ずとも、口が動く。それをついに読んだのか、オットマーが怪訝そうに言った。
「……おれ、の……ば、つ? は。……お前――への罰があるのか、という話をしているのか?」
やっと伝わったと、疲れた気持ちになりながら頷くと、はぁ? と二人の声が揃った。二人は顔を見合わせ、それから、呆れたような声で告げた。
「お前は今回の件で唯一の功労者だぞ。どうしてお前への罰という話になるんだ?!」
「お前……貴族不信が過ぎる、過ぎるぞ……っ! 貴族に何かしら関わった平民は全員殺されるとでも思ってるのか!?」
トビアスは信じられないと声を上げ、オットマーは頭を抱えた。
「いいかルキウス。お前が受けるのは罰でなく、褒賞だ。何かは分からないが。金かも知れんし、身分や高い地位かも知れない。罰なんてないぞ。もしそうなら、それこそ、本館に部屋を与えられて治癒なんて受けないじゃないか」
ルキウスはその言葉で、ここが本館……伯爵家の人々が暮らす所だと認識した。そうではないかと思ってはいたが、実際にそれが分かると、なんだが気が重くなってしまった。
まだ、トビアスらが何かを説明している。だが耳には入ってこなかった。
金。地位。
(…………そんなもの)




