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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第一粒 妻が貴族の愛人になってしまった男
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【23】ルキウスII

 生きている。

 目を覚ました時にルキウスが最初に思ったのは、それだった。

 数度瞬いて、それから、体に力を入れる。特に問題なく体は動いた。どこかを痛めたという事はないようだ。

 流石に、川に溺れたメルツェーデスを助け出すなんて事は、夢ではないと思いながら、寝台から身を起こす。


「?」


 下人棟に用意された自分の部屋に寝かせられているのかと思ったのだが、どうにも部屋の様子がおかしい。どうにも、室内の家具が立派だ。例えば、細かい装飾が施されている所など、下人棟の備え付けの家具とは全然違う。


(ここはどこだ)


 いつかの時も思った事をルキウスが思った時、部屋のドアが開いた。室内に入ってきた相手はルキウスが起きているとは思っていなかったのだろう。ノックもなかった。

 入ってきたのは侍女だった。ルキウスも顔を把握している。メルツェーデス付きの侍女だ。


(名前は、確か、ジゼル……?)


 最後の記憶が確かなら、川から助け出されたメルツェーデスに抱き着いて号泣していた侍女だったような気がする。


 ジゼルは起きているルキウスを見て、ビクリと体を揺らした後、大きく目を開いて固まった。


「--」


 声を出そうとして、酷く喉がかすかすだと気が付く。あの、と言ったつもりだったのに、殆ど音にならず、空気が漏れる音だけが部屋に響いた。喉を片手で抑えるルキウスを見た所で我に返ったジゼルは、腹から出したようなよく通る声で叫んだ。


「目覚められたわッ!!!!」


 数分後には部屋に人が溢れかえった。その多くが顔は把握している侍女侍従やそれより下位の使用人たちで、寝台に押し戻されたルキウスは何が何だか分からなかった。


「メルツェーデス様を助けたんだってな!」

「どこか痛い所はないか?」

「すごい奴だなお前、見直したぜ!」

「何か欲しいものは?」

「どうやって助けたんだ?」

「恐れ知らずなやつだな」


 ワイワイガヤガヤ。四方八方から声をかけられ、ルキウスは状況が何もわからなかった。今まで、伯爵家の使用人たちからこうも親しげに声をかけられたことなどない。

 彼に出来たのは曖昧に口の端を震えさせながら、寝台の上で身を縮こまらせるだけだった。


 パンパンッ!


 手を叩く音が部屋に響く。

 ルキウスを囲っていた使用人たちが、一気に左右に別れた。部屋の出入り口に執事のジョナタンが立っていた。ジョナタンはルキウスの方へと歩みながら「仕事を放りだすのは感心しません」と小さく呟く。使用人たちはその一言に、慌てて部屋を飛び出していった。

 部屋に残ったのはジョナタンと、使用人たちが出ていくのと入れ違いで部屋に入ってきたジゼルだけだった。


「ジゼル。先ほど室内にいた使用人の顔は把握出来たな?」

「ええ。仕事を放りだした者がいるかは、後で調べておくわ」


 ジゼルはジョナタンの質問にそう答えながら、水桶を寝台の脇のテーブルに置いた。


「汗をかいているのではないかしら。これで拭うと良いわ」


 ルキウスはジゼルに頭を下げた。言葉で伝えようとしたが、喉がガラガラで上手く声が出そうになかった。

 ジゼルはジョナタンの方を見る。


「医師を呼んでくるわ」

「ああ」

「だけどその前に」


 ジゼルは、寝台に腰かけているルキウスの前で、膝をついた。ルキウスはギョッとする。平民でしかないルキウスと違い、伯爵家で侍女として勤めているのはどこかの貴族の家の娘か、或いは平民でも家が裕福で力を持っているような娘だけだ。少なくともルキウスに対して膝をつくなんて事を、軽々しくする身分ではない。

 何をされるのか分からず、だが逃げ場もなく固まるルキウスの手をジゼルは取り、目に涙をにじませながら言った。


「ありがとう。メルツェーデス様を助けてくれて、本当にありがとう……!」


 ジゼルの目から今にでも涙がこぼれるのではないかとルキウスは思った。


「あの時貴方が川に飛び込まなければ、メルツェーデス様は、今頃……」


 キュッとジゼルが眉を寄せる。思い返して、悔やんでいるのか、苦しみをまた感じているのか。どちらかは分からないが、なんと返すのが良いかも分からない。


「ありがとう。ありがとうルキウス。ありがとう」


 何度も何度も感謝を述べるジゼルに困り果てて、ルキウスは助けを求めてジョナタンに視線をやった。ふうと息をつき、ジョナタンは膝をついて頭を垂れているジゼルの肩を叩いた。


「止めてやれ。困っている」


 ジョナタンがそういったからか、ジゼルは最後にもう一度礼を言ってから、立ち上がった。


「医師を呼んでくるわ」


 今にも零れそうな目元の雫を指先で拾いながら、ジゼルは部屋から出て行った。


 部屋にはジョナタンとルキウスだけが残された。その事を遅れて理解して、ルキウスは身を固くする。ルキウスにとってジョナタンは、初めて伯爵家に来た時、自分の身分について事細かに尋問してきた印象が強い。執事は使用人の中ではかなり高い地位の人間だ。ルキウスと比べられないほどに偉い。


 ジョナタンの言葉をジッと待つルキウスに、執事はそっと胸に手を当てて、頭を下げた。予想外の行動に、ルキウスは目を点にする。


「ルキウス。ルイトポルト様を救ってくれただけでなく、メルツェーデス様の命を救ってくれた事……この屋敷で働く全使用人を代表して、感謝する。ありがとう」


 何も返事できずに固まっていると、ジョナタンはそんなルキウスの顔を見て言った。


「そのような顔をしてくれるな。恐らくあの遠乗りに参加していた者は皆、君に礼を言いたくて仕方がないはずだ。部屋を出れば、恐らく様々な所で捕まる事になるだろう」


 絶望顔になったルキウスに、ジョナタンは苦笑する。


「礼を言われてそれほど怯えるのは君ぐらいのものだろう」


 そうは言われても、川に飛び込んだのは咄嗟だったので、何かを考えた訳ではなかった。結果的に助けたのがメルツェーデスだっただけだ。礼を言われても、それになんと返せばよいかも分からない。なんと返せば不興を買わないのか、ルキウスには分からない。


 絶望顔のまま俯いているルキウスを見て、ジョナタンは少し考えるような顔を見せた。

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