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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第一粒 妻が貴族の愛人になってしまった男
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【18】遠乗りⅡ

 普段ルイトポルトやトビアスらと遠乗りする時は、勢いよく馬を走らせていくだけの事も多い。だが今回はメルツェーデスという麗人がいたため、移動そのものはゆったりとした動きだった。普段暴走しがちなルイトポルトも、懐いている叔母が相手だから、行儀良くしている。


 貴人らが歩いている後ろを、侍女や侍従らが。その更に後ろを護衛の者たちが歩く。ルキウスはその更に後ろを、荷物持ちの使用人たちと共にルイトポルトの着替えなどを抱えて着いて行った。


 何故かトビアスは護衛たちの最後方に陣取り、度々ルキウスに振り返っては雑談を振ってくる。オットマーはそんな同僚に呆れた様子で、もう何も言わずにルイトポルトにほど近い位置を歩いていた。

 トビアスがルキウスにやたら話しかけるのに慣れていない他の騎士たちは怪訝そうだったり、なんとも言えない顔でその様子を見てきていた。実際のところ彼らがどういう理由でトビアスにそんな視線を向けているのか、ルキウスには分からないが、少なくともルキウスは少しの気まずさを感じていた。少なくない嫌悪感……のようなものを感じたからだった。


 大所帯となっている一行は、特に問題なく丘へと到着した。

 丘につき、まず男性陣が丘の上に布を敷く。この場には伯爵の跡取りたるルイトポルトと、その叔母で伯爵の実の妹であるメルツェーデスという貴人が二人もいるので、ただ一枚布を敷くだけではすまない。万が一にも彼らが痛みを感じぬようにと、数枚の布が重ねて敷かれていく。

 ルキウスがかつて故郷で暮らしていた時は、これほど触り心地の良いものを、雑に地面に敷くなど考えられなかった。そもそも、触れる事すら殆ど機会もなかったが。


 布を敷き終えれば、侍女らが場を整える。少しのクッションを用意して、屋敷で用意して持ってきたのだろう軽食の入った籠が出てくる。

 野草と数本の木しかない丘は、あっという間に小さな茶会の場となった。


「叔母様、こちらのクッキー、美味しいです!」

「あらそう? ……本当だわ。美味しい。……ああ、ルイ、口の周りにかすが付いているわ」

「えっ」

「ふふ、逆側よ」


 メルツェーデスの指摘に頬を赤く染めたルイトポルトが頬を拭うが、少年が拭ったのはクッキーのかすがついているのと逆の頬だ。そこまでメルツェーデスに指摘されると、ルイトポルトは耳まで赤くした。

 メルツェーデスはハンカチーフを取り出し、甥の頬にあてる。


 幸せな光景だった。

 ルキウスはそこから目を逸らし、そっと、空を見る。時々白い雲があるだけの空は穏やかだ。


 ――「⬛︎⬛︎⬛︎! 見なよ、あの雲、パンみたいだろ?」

「ルキウス!」


 はっとして呼ばれた方を見ると、ルイトポルトがルキウスに向かって手招きしていた。


「はい」


 ルキウスはすぐさま子供のそばに近寄り、両膝を地面につく。ルイトポルトの横にいたメルツェーデスは侍女たちと話が盛り上がっており、どうやらこちらを見てはいないらしい。


「ルキウスもこれを食べてみろ!」


 そう言って差し出されたのは、先程彼が食べていたクッキーだ。ルキウスは片方しかない目で、そのクッキーを見下ろす。


「はい」


 ルキウスがクッキーを頬張ると、ルイトポルトは期待の籠った眼差しでルキウスを見上げた。


「どうだ?」

「おいしい。です」

「そうか! もう少しやる!」


 ルイトポルトはポケットからハンカチーフを取り出して、籠に入っていたクッキーを何枚か包み、ルキウスに押し付けた。

 ルキウスはそれを待って、護衛たちより後ろ、使用人たちがいるあたりまで下がった。


「犬が…………また…………」


 そんな小さな声が、ルキウスの耳に微かに届いたが、ルキウスはそちらに視線をやらない。何も聴こえていないという風な顔をして、ハンカチーフに包まれたクッキーを握りしめていた。声の方角からして、連れてこられた使用人の誰かだ。


 犬。

 それは一部の使用人の間でルキウスにつけられたあだ名のようだった。

 時折、それらしい会話は聞いた。ルキウスはルイトポルトに気に入られている。実名を使って何かルイトポルトの不興を買うような発言でも聞かれたら大変だ。そのため、あだ名が浸透しているのだろう。


 裏で犬と呼ばれるぐらいは、ルキウスにとってみれば嫌がらせですらない。ルイトポルトの犬なのは事実みたいなものだ。

 ルイトポルト自身はルキウスを犬とは思ってないだろう。ただ憐んでいるだけだと思われる。

 だが貴族と平民という圧倒的な立場の違いがあり、やたら物をやろうとしたり、余暇に誘ったりする姿は、ペットと戯れる主人のようだ。そんな風にしか見えない己とあの小さい主人との関係を、ルキウスは彼なりに自覚していた。だから小さくどこかで囁かれたり、何かしら裏で言われるぐらいでは、ルキウスの心は全く揺らされない。


 主人たちの食事が終わると、余った軽食は下の者に配られる。まず最初に、主人たち直属である侍従侍女たち。その次に専属ではないが今回付き従っている侍従侍女たち。それが終わってから、荷物持ちで付き従っている下の使用人たちだ。護衛の者たちは仕事に集中するため、近場で日帰りする位の遠出の護衛では、全てが終わるまでは飲食はあまりしないらしい。

 ルキウスの立場は、ややこしい。半端というか、微妙な立場なのだ。階級としては、下位の使用人だ。今回連れ出されている荷物持ちたちと同じだ。だが同時に、ルイトポルトの専属でもある。


 どこにも属せない半端者。


 それが今のルキウスだった。



 ◆



 丘でゆったり過ごしたらすぐ帰るのかと思えば、そうでもないらしい。丘で軽食を取るための道具を持っていた使用人たちやそのためについてきた侍女侍従らなどは、先に伯爵家へと帰っていった。残った人間は数少なく、侍女侍従でも護衛でもない使用人は、ルキウスしかいなかった。

 肩身の狭さを感じて縮こまっているルキウスに、トビアスが近寄ってくる。


「やあルキウス。この後は馬で移動するぞ。私の後ろに乗れ」


 ルキウスは頷いた。普段遠乗りする際も、ルイトポルトたちが馬に乗っているのにルキウスだけ一人歩くわけにはいかず、トビアスやオットマーの後ろに乗せてもらう事が多い。成人した男二人なので狭さを感じるが、トビアスもオットマーも慣れたもので、嫌な顔一つしないでルキウスを後ろに乗せる。


「叔母様、私の後ろに乗ってください!」

「あらありがとう。そうさせてもらうわ」


 ルキウスが拙く馬に乗ろうとしている横で、ルイトポルトはメルツェーデスにそんな声をかけていた。


 ルイトポルトの操る馬の後ろにメルツェーデスが乗り、他の者たちも一人だったり二人乗りだったりと、ともかく馬にまたがった。そして彼らは、丘から移動し始めた。

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― 新着の感想 ―
[一言] メルツェーデス様がゲッツの女神になってくれるのかなあ。 因果応報も見たいけど、それ以上に気の毒過ぎて、ただただ報われて欲しい……。
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