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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第四粒 ルイトポルト、貴族学院へ ~春季(はる)~

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【159】弓術大会 終

「……優、勝……」


 ぽつりと、口から言葉が漏れる。

 垂れる汗が、目に入り、ルキウスは目元を拭った。


「ルキウス卿」


 名を呼ばれ、プロェルスの顔を見上げる。


 ルキウスに向かって差し出されたのは、手であった。


「此度は良い試合だった。早さでは、お主に一歩遅れを取ったようだ」


 妬みも恨みもない。サッパリとした声だ。ルキウスは、差し出されている手を握り返した。


「戦士としての弓術なら、敵いません、ちっとも」


 ここが戦場であれば、ルキウスに勝ち目なんてないと分かる。プロェルスの放った矢は刺さるどころか体ごと貫いて、敵を戦闘不能に陥れるだろう。

 力もあり、正確性もあり、速さもある。

 プロェルスはある種の、弓兵の完成形のような男だった。


「次の機会があれば、また競い合いたいものだ」

「機会があれば、是非」

「うむ! さて。優勝者をいつまでも独り占めしては叱られる」


 バンッと背中を叩かれる。手加減はされていたのだろうが、ルキウスには結構痛かった。


「四方に礼をして、あの階段を上り、伯爵の元に行くといい。時間も押している。早々に優勝者への賞品の授与だろう」


 プロェルスに言われる通り、ルキウスは四方に深く頭を下げた。その間も、歓声と、拍手が、ずっと止まない。

 四方に礼をした後、ルキウスはルイトポルトを探した。ブラックオパール伯爵家の観客席で、手すりから身を乗り出しそうになっているのを、トビアスに両肩を抑えられて、なんとかとどまっている。遠いけれど、そんな光景が見え、少し笑みが漏れた。


 ルイトポルトに向けて、深く深く頭を下げる。


 自分(ルキウス)が祝福されるのだとすれば、ルイトポルトをはじめとして、今の彼を支えてくれている人々も祝福されるべきだと思った。


 そうして頭を下げていたルキウスの傍に、ピジョンブラットルビー伯爵家の使用人が近づいてきて、プロェルスの言葉通り、ピジョンブラットルビー伯爵の席に通じる階段へと案内される。

 階段を一段登る度に、声と視線が近くなっているようで、遅れて緊張が駆け上がってくる。それを必死に、飲み込んだ。


(ここで狼狽えたら、ルイトポルト様の顔に泥を塗る――!)


 その一心で登り切ったルキウスを出迎えたのは、ピジョンブラットルビー伯爵と、その息子カールフリートの二人だった。

 ピジョンブラットルビー伯爵の横には、布がかけられた台座がある。そこに、優勝賞品があるのだと分かる。

 促されるまま、伯爵の目の前に立った。


 遠目に見るとそこまで気にならなかったが、伯爵もまた、体格がいい。プロェルスとはまた違った、歴戦の騎士という雰囲気の男だ。カールフリートとは顔立ちは似ているけれど、まだ成長が終わっておらず、筋肉もそこまでついていないカールフリートと比べると、別人のように……太い。がっしりしている。

 目の前にいるのが比較的小柄なアステリズム熊だと言われても、一瞬、信じてしまいそうな威圧感があった。


「優勝おめでとう。ルキウス卿」

「こ、光栄です」


 うまい言葉が出て来ず、とりあえず、無難な礼を告げる。差し出された手を恐る恐る握れば、力強く握り返された。離された手がなんだか震えているのは、武者震いという事にしておきたいルキウスだった。


「優勝した者には、これを渡している」


 と、台座の布が外された。


 現れたのは、赤色の弓だ。プロェルスが使っていたものとはまた違うが、絶対に高いだろう紅玉(ルビー)がはめ込まれている。


「受け取りたまえ」


 そう差し出された弓を受け取りつつ、正直に言えば、ルキウスは困った。


(既にルイトポルト様からいただいたこの弓もあるし、普段使いしてる弓もあるのに……また弓が増えた……。どうしたらいいんだ。下手な扱いをする訳にもいかないだろうし……)


 笑顔を浮かべて受け取りながらも、頭を悩ませていたルキウスに、ほんのわずかにピジョンブラットルビー伯爵が顔を寄せ、表情は変えぬまま囁いた。


「この弓はルビー式で作っている故、貴殿では引く事はかなわぬだろう。しまい込み、必要に応じて出すと良い。ルビーの血族であれば、この弓が当家が作らせたものであると分かる筈だ。貴殿が当家に認められた勇士である事を、何よりも証明する」

「あ……あ、りがとうございます」


 頭の中を読まれたかのようなタイミングで囁かれたので、面食らったと同時に冷や汗が出た。心を読まれたのだとしたら、失礼な事を思っていた事も見抜かれていたという事になってしまう。


「弓以外の武器は何を振るう」

「え? あ、その、申し訳ありません。弓以外で得意なものがあまりなく……」

「ふむ。馬には乗るか」

「はい、それなりに」


 騎士相手に馬術が得意だなんて言う勇気はないが、平民の基準ではうまい方だという自覚があり、一応頷いた。


「では後日、ブラックオパール伯爵家にピジョンブラットルビー伯爵家から馬を贈ろう」

「!?」

「ルビーの乗る馬は、他所の馬より頑強だ。いつかの役に立つだろう」

「!?」


 賞品に含まれているのは分かったが、あっさりと馬一頭が自身の財産に増える事に気が付いて、ルキウスは口をだらしなく開けそうになった。


 ここで。

 本当に、ここで、ルキウスは気が付いた。大会の優勝賞品の内容を、これまでちっとも意識していなかった事に。

 これまでは「ブラックオパール伯爵家を背負って参加する」という事ばかりに気を取られていて、優勝出来るかどうかにまでは考えが及んでいなかったのだ。

 恥を晒さない。それがルキウスの最大の仕事であった。


「ふむ。他には……」


 上から下までルキウスの背格好を見渡し「……いや、やめておくか」と伯爵が呟く。何を止められたのか分からないが、これ以上物を渡されてもどうしたらよいか分からないので助かった、と思った次の瞬間、追加で出てきた台座の上で輝く金色の塊に腰を抜かしそうになった。


「これは優勝賞金だ。後程、ブラックオパール伯爵家に届けておこう」

「あ、ありが、とう、ござい、ます」


 なんとか礼は言えた。無礼ではないので、追加で流れだした汗に関しては、見逃してほしい。恐らくこの距離だ、伯爵や、カールフリートには気が付かれているだろうが、見逃して、ほしい。


(い、いくらだ? 数えたくない……!)


 平民とは思えない資産額になってきてしまった自覚が、流石のルキウスもある。ルイトポルトの好意で早々に渡された金庫がなければ、窃盗に酷く頭を悩ませる必要が出てしまっていただろう。


「渡せる物が少なくてつまらぬな」

「ヒッ」


 伯爵の独り言に反射で漏れた悲鳴は、流石に耐えきれなかった。

 絶対に聞こえた筈だが、それに対する反応はない。

 横から、ひょいと、カールフリートが顔を出す。


「父上」

(か、カールフリート様。止めてください、止めて……)


 親しいとは言えないが、顔見知りである少年に、必死に願いを飛ばす。

 しかし願いは届かなかった。


「別に贈ってしまってよいのでは?」

(カールフリート様!?)


 なんなら、願いは簡単に叩き落とされてしまった。


「何に気を使っているのですか?」

「ブラックオパール伯爵家がここまで飾り立てているのに、赤を贈っても、不愉快だろう。使われずに眠るのが落ちよ」

「成程」


 飾り立てているというのが自分の恰好の事だと理解し、ルキウスは観客席の方に感謝の念を贈った。


(よく分からないが、インゴ様が仕立てたこの格好のお陰で品が、減った……? ありがとうございますインゴ様、ありがとうございます!!)


 突然くしゃみをしたインゴを、妻のマヌエラが気遣っていたが、ルキウスは知る由もない。


「弓に関するものなら良いのでは? 矢を贈りましょう! いくらあっても困りません!」

「悪くない」

(いえ!? 十分です。もう十分です!)


 首を横に振って否定したかったが、それで目の前の大貴族の機嫌を損ねる勇気もない。引き攣りそうな笑顔のまま、冷や汗をだらだら流しながら見ているしか、ルキウスには出来なかった。


「鍛錬用の矢ならば、ブラックオパール伯爵家も臍を曲げぬだろう。良い案だ」


 ピジョンブラットルビー伯爵が手を伸ばし、カールフリートの頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


「……さて。そろそろ視線も痛い」


 と、ピジョンブラットルビー伯爵はブラックオパール伯爵家の観客席をチラリと見てから、ルキウスの背中を押して、一番目立つ場所へと導いた。


「今大会優勝の名誉を得た、強き者、ルキウス卿に、再びの祝福を!」


 再び鳴り響く拍手に、ルキウスはなんとか頭を下げて、最後まで大会を見届けた観客たちに、礼を伝えた。

毎日投稿はここまでです。次からはまた不定期更新に戻ります。

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― 新着の感想 ―
毎日更新ありがとうございました! ルキウスおめでとう! 積み上がる景品に冷や汗を流す姿がルキウスらしくて笑いました。今後の周囲の反応が楽しみですね! これからも楽しみにしてます!
武門一族の英雄に勝った名手ルキウス どんどん名声が高まっていくw
あー、毎日面白かったー!次の流れはメルツェーデス様かな?また首を長〜くして更新待ってます!
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