【142】弓術大会が始まる前に-ルキウス
大会、当日。
早朝、顔をくみ上げた水で洗いながら、ルキウスは先日の出来事の事を思い出していた。何をしていても、あれ以来、デバルとの再会の事を思い出してしまう。
バシャバシャと、勿体ない水の使い方をしながら、頭の中で消しても消しても浮かび上がってくるデバルとの思い出を振り払おうとする。しかし忘れようと思えば思うほど、思い出してしまう。このままでは今日の大会に影響が出そうだ。
「……ふぅーーー……」
肺を大きく膨らませ、また吐き出し、そして、ルキウスは両手で頬を叩いた。バチンッという良い音が響く。
「……今日考えるのは、大会の事だけだ」
自分なりに気持ちを切り替え、ルキウスは準備に向かった。
◆
ピジョンブラットルビー伯爵家が主催する弓術大会の会場は、王都の外にある。何故都の中でないかといえば、特製の会場が外部に建築されているからだ。これは昔、ルビー侯爵家が初めての武術大会を主催した際に私費で建てた大会専用の建物である。
ルビーの血族は、持ち回りで様々な大会を行っている。
今回の弓術大会だけでなく、剣術大会、槍術大会、馬術大会、武器を使わない体術大会。変わり種で言えば、盾術大会だとか、飛び道具大会なんてものまで開催されたりしている。
主な主催はルビー侯爵家、ビーフブラッドルビー伯爵家、チェリーピンクルビー伯爵家、そしてピジョンブラットルビー伯爵家の四家であるが、伯爵家以下の家も、度々大会を主催している。
ジュラエル王国内で開催されている著名な武芸の大会は、全てルビーの一族が噛んでいると思った方がいい、というぐらいだ。
それはルビーの血族が武術を競うあう事を好んでいるのと、この大会が、才能の発掘の場を兼ねているからである。
ルビーの血族は、武芸を第一としている。故に武芸さえ出来れば、生まれがどれだけ低くても――例え完全な平民だとしても――取り立て、尊敬されるのだ。過去には、平民出身の女が、卓越した馬術の技術を見染められ、ルビー侯爵家の令息と結ばれたなんて話もあるぐらいだ。
それは流石にかなり飛躍した過去の事例ではあるが、現在でも出世や名誉を望む者たちは、大会に参加し、より多くの人間に実力を見てもらおうとするのだった。
◆
会場に向かう前。ルキウスは同僚に手伝われ、新品の服に身を包んでいた。
インゴと共に準備をした、あの服だ。
全体的に見ると、品の良い白いシャツである。襟には小ぶりな黒蛋白石が縫い付けられている。襟部分だけでいくらになるのだろうか……とルキウスが遠い目になってしまう仕上がりだ。他の裾部分には赤色の刺繍が彫られている。よく見ると、目立つところにワンポイントのような形で、ブラックオパール伯爵家の家紋が縫い付けられている。
ここまでは事前の話で決まっていたので、覚悟していたが、追加で出てきた眼帯にフラリと意識が遠のくかと思った。
派手。
華美。
そんな二文字が似合うような様子の、眼帯だった。重さはあまりないように、気を使われてはいるようだった。ただ、目立つ赤の布地に黒で刺繍が施されている。
ルキウス自身が作るなら、絶対に選ばないデザインだった。
デザイナー渾身の眼帯だという。
前髪である程度隠せなかったら、つける勇気すらなかっただろう。
(弓だけでも目立つだろうに……どうして……こんな格好に……)
着るのを手伝ってくれた同僚たちは「似合ってるじゃないか!」「いい感じだぞ」などと言ってくれたが、こんな凛々しい恰好が自分に似合う筈もない。そう肩を落として思いながら、ルキウスは部屋を出た。
事前の決定通り、本日ルキウスが使うのはルイトポルトから賜った弓だ。
新しい服に身を包み、豪奢な弓を手に持ったなら、ルキウスの装いはまるで若い貴族だった。本人の目が遠いのを除けば。
扱いも、今日ばかりは平民出身の侍従見習いではない。
今日のルキウスは『ルイトポルト付き侍従見習い』である以上に、『ブラックオパール伯爵家の代表者』という側面が強いのだ。
一人で貴族が使う馬車に乗り込むなんて、きっと二度とない経験だろう。まるで自分が主人かのような扱いを受ける事に居心地の悪さを感じながら、ルキウスは馬車に乗り込んだ。
参加者であるルキウスは、観覧者であるルイトポルトたちとは別に移動をする事になっている。
なので、屋敷を出るまでの間に、ルイトポルトたちブラックオパール伯爵家の人々と顔を合わせる事はなかった。
そうして無事、大会会場にルキウスは到着した。
ルキウスは自分が乗って来た馬車で一人で会場入りをすると思っていたのだが、降りてみると、騎士の正装に身を包んでいるトビアスとオットマーの二人がいた。
予想外かつ慣れ親しんだ顔に、ルキウスは驚いた。
「トビアス様、オットマー様。どうされたのですか?」
「いやな。今から大会のお前に、一つ心構えを伝えるのを忘れていたと思ってな」
「ああ。下手したら一番大事な事を忘れていたと思ってな」
「?」
そんな重要な話が今まで少しも出てこなかった事にも少し違和感を思いながら二人の顔を見ていると、そっと、右肩をトビアス。左肩をオットマーが掴んだ。
「よく聞け。大声に負けるな。ただ声が大きいだけだ」
「大丈夫。弓術大会だからな。剣術とかではないし。死人も怪我人も出ない筈だ。お前はお前らしく、最善を尽くせ」
「えっ」
トビアスの助言はともかく、オットマーの助言はやたら不安をあおるものだった。何故そんな怖い単語が出てくるのだと視線を向けたのだが、二人はルキウスの背中を左右からたたき、それから、参加者の山の方に押し出した。
振り返ったルキウスに、トビアスとオットマーはとてもいい笑顔をしていた。それがなぜ不安を掻き立ててくるのか。ルキウスは口元をひきつらせながら、カールフリート・ピジョンブラットルビーから直々に届けられたという『招待状』を手に持ち、会場に向かって歩き出した。




