【141】ブラックオパール伯爵家Ⅳ
王都にあるブラックオパール伯爵家の屋敷は、ここ最近、忙しさが増していた。
これまでは代官ヘーゲン・ブラックオパールと、その一家が、主人として長く暮らしていた。
その間、領地に基本とどまっているブラックオパール伯爵の意向の元、さまざまな仕事をしたり、他家とのかかわりを持ったりしていた。
内向的な一族であるブラックオパール伯爵家は、他家とのかかわりがそこまで激しくはなかったので、人の出入りも激しくはなかった。
それが変わったのは今年の初め。
伯爵家嫡男、ルイトポルトが王国最古で最大規模の教育機関、貴族学院に入学する為に王都に出てきたからだ。
ルイトポルトは入学後少しした頃、一族の同年代の学生たちを屋敷に招いた。これを発端として、ブラックオパール伯爵家には今まであまり届かなかった類の招待状が、多く届くようになった。茶会や夜会など、社交界への参加切符だ。
学生のルイトポルトはそう多くの茶会・夜会に参加できない。結果として誰が出るかとなれば、代官ヘーゲンとその妻。そしてルイトポルトの保護者の役割を担って領地から出てきた、メルツェーデスであった。
彼らは、さまざまな茶会や夜会に出席していた。恐らくルイトポルトが意識していたより、多くの社交の場に彼らは出ていた。
茶会のメインは、ブラックオパールの分家筋からの招待状や、すぐ近くに屋敷を構えているホワイトオパール伯爵家や、ファイアオパール伯爵家からの招待状だ。これはどちらも無視する事は出来ないものである。
現在、王都のファイアオパール伯爵家の屋敷には、ファイアオパール伯爵家の人々は暮らしていない。現伯爵でありメルツェーデスの元夫でもある人物は、妻と共に領地の屋敷に暮らしている。夫妻の間に生まれた子供も、まだ幼い故に、領地暮らしだ。なのでこちらには、代官とその家族が暮らしている。
一方、ホワイトオパール伯爵家には、ルイトポルトにとっても見知った顔が暮らしている。
現ホワイトオパール伯爵の息子一家――次期伯爵、ヘルムトラウト8世とその妻オティーリア、そして彼らの子であるヘルムトラウト9世とヴィツェリーンである。
折角近くに居を構える事になったというのに、ルイトポルトと従兄弟であるヘルムトラウト9世やヴィツェリーンが直接会う事は、多くはなかった。分家との関係のバランスを取るのに苦心している所で、同族とはいえ他家であるホワイトオパール家の兄弟とあまり親しくするのは憚られたからだ。しかし代わりに、手紙では頻繁にやり取りをしているらしいとメルツェーデスも聞いていた。
甥とは違い、メルツェーデスは彼らとも直接会っている。
二人とも――ついでにファイアオパール伯爵とも――メルツェーデスは昔馴染み、という関係であった。幼いころから将来的に婚姻する事を想定し、度々顔を合わせられていた、伯爵家の子供たち。今は皆大人になった。結婚し、子を産んでいる。――メルツェーデス以外は。
それに思うところがないとは、言えない。しかし、何事も、先に進み続けている。時の流れは止まる事はない。人間は望めば過去に留まり続ける事も出来るけれど、メルツェーデスはその道は選ばないと決めた。
故に、呼ばれれば、さまざまな社交の場に出て行っていた。
彼女がこなした社交の履歴を並べれば、とても細かく、多い。
それらの社交を、メルツェーデスはこまめに御礼の手紙や新たな誘いの手紙などを送りつつ、対処に追われていた。これが、ブラックオパール伯爵家の更なる発展につながると信じ、メルツェーデスは日々、己の役目をこなしていた。
◆
「最近はまた、忙しくなりましたな。ルイトポルト様は、新たなる仕事を増やす事に長けておられる」
嫌味にも聞こえる言葉を吐きながら、その実、言葉を聞けば彼が不機嫌ではなくむしろ楽しんでいるのが分かるだろう。
ヘーゲンの言葉に、メルツェーデスは肩をすくめた。
叔父と姪という、ごく近しい身内での雑談だった。
「素晴らしい交友関係を築き上げている。……流石、お兄様たちの子ですわ」
「確かに。伯爵閣下は昔から、さまざまな所から人員を見つけてくるのが上手かった。その血を存分に引いておられる」
クツクツと笑うヘーゲンは、気の良い叔父さんという風貌だ。
メルツェーデスにとっては、亡くなった父の実弟だ。
数人の兄弟を持っていたメルツェーデスとリュディガーの父である前伯爵。彼はその中でも、殊更、末弟であったヘーゲンを可愛がっていた。ある程度の経験を積ませた後、迷わず王都に残す代官として彼を任命するぐらいには。
「叔父様。……今回の大会に関しては、どう考えておられますか?」
「良い事でしょう。ルビーの一族が主催する武術大会は、国内でも最高規模の注目を集めますから、良い成績を残せば、かの侍従見習い殿の更なる名声となるでしょう」
「それは……そうでしょう」
メルツェーデスは肯定した。
ルイトポルトが貴族学院で、まさか、ピジョンブラットルビー伯爵家の嫡男と親しくなるなど、誰も予想していなかっただろう。
同じ伯爵家であるが、国内での地位や歴史で見ると、あちらの家は三オパール伯爵家をも凌ぐ。
嫡男自ら、大会への参加を促される。それはとても名誉な事だ。光栄で、受けたのが騎士であったのなら、末代まで自慢する者もいたかもしれない。
誘われたのが、騎士であれば。
……残念ながらルキウスは騎士ではないし、本人の自認も騎士からほど遠い。
いつだったか。ルキウスが弓を習う事になった少し後だったか。ルキウスの弓の師となった弓兵隊隊長イザークが、同僚の隊長たちに愚痴をこぼしていたのを、メルツェーデスは偶然耳にした事があった。
「才はあるのに、あと少し、熱意が足りんのです!」
それはきっと、弓は、彼が望んで始めたものではないのに由来しているのだろう。
やはり好きでやり始めた事と、周りに言われてやり始めた事では、熱意というものには差が出る。後者であったとしても、その作業に意味を見出せば熱意もついてくるだろうが、当時のルキウスにはそれもあまりなかったのだろう。
むしろ、熱意がないのに技術が上がるほどに弓と向き合えていたルキウスが、凄いのかもしれない。
今もイザークが同じ判断を下すかは分からないが、メルツェーデスは、彼があまり弓を好きではないのではないかと思っていた。
弓を握る時よりも、馬の世話をしたり、ただただ仕事をこなしている時の方が、彼の目は輝いているように見えた。
しかし今更、彼から弓を取り上げる事は出来ない。
弓の実力があり、名声を持っている事は、今や彼の身と立場を守る盾となっているからだ。
ヘーゲンは紅茶を楽しみながらこう言った。
「ま、優勝は難しいでしょうから、記憶に残る程度に残って貰えれば良いのでは?」
「……やはり、ルビーの大会でルビー以外が勝つ事は難しいとお考えですのね」
「あまり例がない、というのは事実ですとも。ルビーの血族は、戦いの為に精霊から力を賜ったという歴史を持つ一族ですからね」
メルツェーデスには、ルビーの血族の知り合いがいない。昔、貴族学院に通っていた頃、多少のうわさは聞いたことがあった。けれど直接の知り合いはいないのだ。何故かと言えば、ルビーの血族は、あまり貴族学院に入学してこないのだ。
普通の貴族は、出来る限り学院に入学させる。諸事情でもない限り、貴族学院を卒業したという肩書は、貴族社会で有益になるからだ。
けれどルビーの中では、必ずしもそうではない。ルビーの血族でも『ある程度の歴史がある家の跡取り(あるいはそのスペア)』などであれば入学してくる事もあるが、「貴族学院で数年をかけて学ぶ時間があるのなら、騎士としてさっさと身を立てる!」という人間が多いのだ。ルビーの血族は。
ルイトポルトの身近な例で言えば、カールフリートは嫡男故に入学してきたのだろうが、そうでなければ――三男以降ぐらいであれば、伯爵家の子供でも入学しない可能性は高い。過去、総本家であるルビー侯爵家の実子ですら、学院に入学してこない例があったぐらいだ。
彼らの中では、己の実力を鍛える方が価値があるのだ。
ヘーゲンは顎のあたりを摩りながら言った。
「何より今回の大会には、かの流星卿も参加されるとか」
メルツェーデスは記憶をあさる。ルキウスがピジョンブラットルビー伯爵家主催の弓術大会に参加すると決まってから後、有力な人物が誰かという情報は調べていた。流星卿という通り名を持つのは一名しかいない。
プロェルス・ビーフブラッドルビー子爵。
名の通り、ビーフブラッドルビーという血族出身の騎士だ。
生まれはビーフブラッドルビー伯爵家の分家の分家の分家、という末端の家だった。だがそこから戦功によって身を立てた、ルビーらしい出世の仕方をした騎士である。
しかも、本家筋であるビーフブラッドルビー伯爵家に取り立てられたのではなく、それを飛び越え、ルビー侯爵家という、ルビーの一族の総本家に取り立てられている。
ただの末端の男爵家の子供が、侯爵家に認められ、子爵位を授かる。
全く夢のある出世だ。
彼の功績は色々あるが、その中に、弓に纏わる話がある。
とある戦いに参加した際、夜中に奇襲をしかけてきた相手に、弓だけで立ち向かい、多くの敵を葬ったという話だ。この時嘘か真か、彼の放った矢は流星と誤認するほど光って空を飛んだという話があり……これが広まり、『流星卿』という呼び名が広まっている。
「……確か、既に数度の優勝経験もあられる御方でしょう? なぜわざわざ」
「ルビーの性と申すべきでしょうか。強い者がいる大会でこそ、優勝したいと、より多くの参加者が集まってくるのだとか。故に、どの大会にも、過去優勝した経験がある騎士を招待するのだそうです」
「成程……」
優勝経験がある人間がいない大会では、参加者が減ってしまう事もあるらしい。参加者が減っていては、優勝者だとしてもその実力が本物かはわかりかねる。その為、出来る限り多くの参加者を募り、その中から頂点を決める事が求められるという。
一部では名が知られ始めているというルキウスも、プロェルス・ビーフブラッドルビー子爵には知名度は遥かに劣る。
では、実力の面ではどうだろうか。
「……今回は競う大会ですから。ルキウスにも可能性がない訳ではありませんわ」
戦闘としての技術なら、実力の面でも、流石に騎士として身を立てているプロェルス・ビーフブラッドルビー子爵にはかなわないかもしれない。なにせあちらは、それで生きているのだから。普段は侍従見習いとして研鑽を積んでいるルキウスでは及ばないだろう。
しかし、単純に弓を射るという技術だけを競うのであれば、彼が勝つ可能性もある。
――そういう意図に取れる姪の言葉に、ヘーゲンは眉をキュッと上げた。
「おや。姪御殿は随分とかの者を信頼しているようで」
メルツェーデスは叔父の言葉に微笑みを浮かべた。
実際の実力差がいかほどのものであろうとも、メルツェーデスはルキウスを信じる。彼の主人たるルイトポルトが、侍従見習いを信じているように。
「わたくしは見ておりますもの。ルキウスの活躍を」
伯爵家の玄関に飾られた巨大な肉食ペリカンのはく製。あれでも、見る人の度肝を抜くのは間違いない。それだけの大きさ。それだけの迫力がある。
しかし、はく製となる前の本物――ルキウスと騎士たちが力を合わせて、あの巨体を引きずって来た時の衝撃には勝らない。
ひどくボロボロな姿になりながら、ルキウスは巨大な肉食ペリカンをメルツェーデスの前まで持ってきた。そして膝をつき、獲物をメルツェーデスにささげ、ハンカチーフの返還を行った。
「ハッハッハ。では、彼の活躍の報告を、楽しみに待つ事としましょう」
ヘーゲンは明るい調子で、そう笑い声をあげた。




