【140】ルイトポルトの学生生活Ⅴ
弓術大会に向けてルキウスが鍛錬を繰り返している中。
ブラックオパール伯爵家に関わる他の人々も、それぞれの日常を過ごしていた。
◆
――貴族学院にて。
ルイトポルトは、アゲート伯爵令息ハスカールと共に談笑しながら廊下を歩いていた。次の授業の教室に向かっていたのだ。
貴族学院の廊下は、最初から大型の建物として建築されており、多くの人間がすれ違うことが可能な広い廊下が多い。
廊下同様広い階段を上っていく。近くには、同じ授業を取っていると思われる同学年の学生たちの姿が多く見える。次の授業は『すべての学生が在学中に取らなくてはならない』と定められている必修の授業の一つだ。大体の学生は、一年時に授業を受ける。自然、教室や、それに向かう道中の廊下は込み合ってくる。
少し前を歩いているのは、緑の髪の女子生徒だった。何故か、やたらと荷物を抱えている。貴族学院に存在している『学生用倉庫』という便利な荷物置き場があっても、こうして大荷物を抱えて歩いている学生の姿はよく見られた。理由は、学生用倉庫が必ずしも利便性に長けている訳ではないからだ。
とかく、貴族学院は広い。
宮殿と匹敵する広さを誇る関係から、荷物は全て持ち歩いた方が便利だという人もいるのだ。力に自信のある男子学生にはとくに多い。
男子学生と比べて力の劣る女子学生は、遠回りになるとしても学生用倉庫を行き来する者が多いが、時にはこうして大荷物を抱えている女学生もいる。
それにしても、この緑の髪の女学生は、見ていて不安になる様子だった。
なにせ右に、左に、ふらふらと揺れているのだ。階段を上る度に力んで歩いている様子も見える。
多くの学生は彼女を避けて、そのまま昇って行ってしまっているらしい。そうした結果、後からやってきたルイトポルトとハスカールがたまたま彼女の真後ろに来る事になってしまったのであった。
ルイトポルトは少し速度を上げ、女学生を避けるようにして階段を上った。ちょうど、折り返し式階段の踊り場部分に出る。
ちょうど横にいた女学生も踊り場に昇りきったのを見たルイトポルトは、彼女に振り返った。
「失礼。貴女もイーゼレ教授の授業に向かう所だろうか?」
「へっ? あ、は、はい。そうですが……」
突然話しかけられて警戒した様子を見せる女学生に、ルイトポルトは威圧感を与えないように微笑みを浮かべる。
「私も友人と共に――」と、ハスカールに一瞬だけ視線をやる。「――イーゼレ教授の授業に向かう所なのだが、貴女の荷物を教室まで運んでも良いだろうか?」
ぱちぱち、と緑の瞳を少女は瞬かせる。
「先ほどから、随分と重そうだ。良ければ手伝っても?」
「あ……よ、宜しいのですか?」
「女性の腕では、教室まで運ぶのは辛いだろう」
女学生はほんの少しだけ迷う素振りを見せたが、ルイトポルトに荷物を手渡した。
一番重い荷物はどうやら、本が詰め込まれた鞄だったらしい。中々な重量だが、教室まで運ぶのには何の問題もない。
「あ、ありがとうございます。図書室に返しに行く予定であったのですが、その、時間が足りず、朝は返せなくて……」
「なるほど」
ちなみにこの貴族学院は広すぎる為かどうかわからないが、書物を管理している部屋が二つある。多くの学生は広い方を図書館。図書館と比べると狭い方を、図書室と呼んでいる。
正式名称はどちらも「図書・資料・記録保管書庫」であるため、より正確性を求めるのなら西の図書・資料・記録保管書庫……などと言わなくてはならなくなるが、そんな長い呼び名は学生に浸透する訳もなく、図書館・図書室の呼び名が定着していた。閑話休題。
「読書家なのですね」
「そ、そんな事はありません。家には、あまり本がなかったので……読めるだけ読みたいと思い……」
「良い事ではありませんか。貴族学院は、歴史も長く、多くの名著が読めますから」
女学生、ルイトポルト、ハスカールの順に横一列に並んで、彼らは歩き出した。
女学生は疲れからか、僅かに赤らんだ頬を隠すように俯き気味だ。後頭部の比較的高い位置で髪をくくっている関係から、貴族子女らしい白い項が丸見えになっていたが、ルイトポルトは特にそちらに視線は向けず、正面を向きながら歩く。
「えぇと、あの……一年生、の方ですよね?」
女学生から問われ、ルイトポルトは同じくらいの高さにある彼女の顔を見た。
「ええ。名を名乗っておりませんでしたね。三オパール伯爵家が一家、ブラックオパール伯爵家が第一子、ルイトポルト・ブラックオパールと申します」
ルイトポルトの名乗りに、女学生はあからさまに驚いていた。目を剥く、という言葉が相応しい顔に一瞬なりながら、慌てて、淑女の対面を取り繕う。
「こ、これは、伯爵家のご子息に私は……!」
荷物を持たせられないと判断したのか手を伸ばす女学生を、ルイトポルトはやんわりと抑える。
「運ぶと決めたのは私です。それにこれほどの荷物を女性に持たせるなど、出来ませんよ」
女学生は申し訳なさそうにしていたが、最終的にルイトポルトから荷物を取り戻すのは諦めたようだった。
それから、少し遅ればせながら、名乗った。
「……グリーントパーズ男爵家が長女、グレータと申します」
「グリーントパーズ」
その名で思い出されるのは、ルイトポルトが最近共に時間を過ごす事が多くなった、二人の友人。オテンフェルドとポーンスドルフの二人だった。
とはいえ、男爵家になってくると、同名の家名は溢れている。ブラックオパール一族とて、ブラックオパール子爵家ならある程度数が絞られてくるが、ブラックオパール男爵家となると、無数に存在しており、全てをルイトポルトも把握できている訳ではない。
目の前の女学生が、自分の友人と知り合いかどうか。名前だけでは、判断が出来なかった。
「失礼だが……近しいご親族に、オテンフェルドとポーンスドルフという名の男子学生はおられるだろうか? どちらも私たちと同じ、一年生なのだが」
グレータは一度、瞬きをした。それからもしもの為とばかりに予防線を少しだけ張った。
「……どちらも兄弟がおらず、オテンフェルドが子爵家嫡男、ポーンスドルフが男爵家嫡男であれば、覚えがあります」
「本当か? 私は最近、二人にとてもよくしてもらっているのだ」
「まあ」
グレータは口元に手を当てて、目を丸くした。
「それでは……もしかしますと、『ヘークレスの寵児』と呼ばれる方の主人だという?」
「ああ。間違いなく私の事だな」
「それはそれは! 私の従兄弟が、お世話になっております」
その後の会話で分かったのは、どうやら、グレータはオテンフェルドと従兄弟の関係にあるという事だった。オテンフェルドの母と、グレータの母が姉妹なのだという。グレータの家の男爵家は、オテンフェルドの家の分家にあたるという訳だ。親族なので幼いころからオテンフェルドとは顔見知りで、従者のような形でオテンフェルドの傍に小さいころから付いていたポーンスドルフとも、顔見知りだったという訳である。
まさかこんな広い貴族学院の中で、ピンポイントに友人の親族と出会う事があろうとは。想像もしていなかったとルイトポルトは思いつつ、そのままグレータとハスカールと共に教室に向かった。
教室に到着したグレータは、普段共に過ごしているという友人たちがいる席に座るという事であったので、そこまで荷物を運んだ。
その後、先に普段座っている席のあたりについていたハスカールの元に行くと、別の道から教室に到着していたカールフリートと既に合流していた。
「ああ、ルイトポルト。戻ったね」
「嗚呼。あのような所でオテンフェルドたちの親族と会う事があろうとは」
「何があったのだ?」
不思議そうな顔をするカールフリートに説明をしようとした所で、オテンフェルドとポーンスドルフが顔を出す。
「また揃っているのだな」
「オテンフェルド! ポーンスドルフ! ちょうどよい所に来たな。実は先ほど、貴殿らのご親族と顔を合わせたのだ」
ルイトポルトがそこから、サックリとグレータと会った時の会話をした。話しを聞いたオテンフェルドは肩をすくめた。
「それはそれは。わが一族のお転婆が迷惑をかけたようで」
「お転婆?」
「ああ。グレータは昔っから随分お転婆でな!」
と、オテンフェルドがグレータの話を始めた所で、教授が姿を現した。男子学生たちは慌てて席についた。
増えてきた! ルイトポルトの学生で知り合った人たち!
・4年
レヒタール
ヘルムトラウト9世・ファイアオパール伯爵令嬢
・2年
ジビラ
ヴィツェリーン・ファイアオパール伯爵令嬢
・1年
ルイトポルト
カールフリート・ピジョンブラットルビー伯爵令息
ハスカール・アゲート伯爵令息
ポーンスドルフ・グリーントパーズ子爵令息
オテンフェルド・グリーントパーズ男爵令息
クロース




