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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第四粒 ルイトポルト、貴族学院へ ~1年目~
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【139】ジゼル

 長年仕える主人が、物憂げな雰囲気を漂わせ、窓際から外を見つめている。

 その光景に、ジゼルは首を傾げた。


「メルツェーデス様? 何かございましたか?」


 ジゼルが呼びかけると、メルツェーデスは青い瞳をそっと、侍女に向けた。美しい人だとジゼルは思っている。


 幼いころから、ジゼルにとってメルツェーデスとその兄であるリュディガーは、美しいものの象徴だった。

 両親を失い、兄と二人、異国で露頭に迷った。そんなジゼルたちを拾い、育ててくれたのが、ブラックオパール伯爵家だった。今にして思えば、よくもまあ育ててくれたものだと思う。一族内の難しい関係ゆえに、血族でない人間の方が信用出来る事がある。そんな時代だったからこそ、ジゼルたちは拾われたのだろうと今は思う。ただ、自分が助けられたのが打算由来だとしても、それはジゼルがメルツェーデスたちへの忠誠を捨てる理由には到底ならない。


 青い瞳を、メルツェーデスが瞬かせる。

 整えられた、貴族女性らしい長い黒髪は、窓から差し込む陽の光が当たり、ところどころ青く見える。ブラックオパールの血族を象徴する髪色だ。


 メルツェーデスは返事をすぐにはしなかった。何か考えているのかもしれない。主人の心を察そうと彼女の視線を追いかけると、窓の外では見覚えのある姿が、最近では定番になった行為をしていた。


 ルキウスだ。


 間近に迫ってきている、ピジョンブラットルビー伯爵家主催の弓術大会に向けて、無心に弓を射ている。


「大会が近づいておりますから、訓練に励んでいるのでしょう」


 ジゼルがそう声をかけると、メルツェーデスは小さく頷いた。けれど納得したとは言い難い表情だ。ジゼルは、つられるようにルキウスを見下ろす。


 ルキウスは、メルツェーデスにとっては複数の意味合いで恩人だ。


 第一に、甥であるルイトポルトの命を救った。

 メルツェーデスは甥であるルイトポルトと親しい。彼女にとってルイトポルトの身に迫る危機は、彼女自身の危機のように響くのだ。だからこそ、命を救ったルキウスへの感謝の念は最初から大きかった。


 第二に、メルツェーデス自身の命を救った。

 甥を庇い、川に落ちたメルツェーデス。あのままであれば高い確率で溺死していた彼女を、危険を顧みず助けたのがルキウスだ。ジゼルをはじめとした彼女付きの侍女たちも、ルキウスには心から感謝している。


 そして第三に――これはメルツェーデスとジゼルの二人だけかもしれないが――、彼は、バルナバスからの求婚を阻んだ。

 望まない求婚。バルナバス・ファイアオパール子爵令息が、何を思ってメルツェーデスに求婚していたのかは、未だによく分かっていない。バルナバスは最後まで、真意を語らなかったからだ。ただ、彼と結婚した場合、メルツェーデスが難しい立場に陥る事は間違いなかった。

 あの狩猟祭の日、何かが違えば、メルツェーデスはバルナバスと結婚する事になっていた可能性も、なくはない。それを阻んでくれ、その後の問題の時にも、ルイトポルトらと共にメルツェーデスを助けに来てくれた。


 ジゼルから彼への好感度は、かなり高い。

 上記三点の恩に加え、ルキウスは淡々と仕事をまじめにこなす性格の持ち主だ。他人の仕事にまで手を出してしまう悪癖は見られるが、やる気のある者を嫌いに思う人間は、そう多くないだろう。


「ねえジゼル」

「なんでしょうか?」

「ルキウスは……何か、あったのかしら」

「え?」


 口を開いた主人からの問いに、ジゼルは素っ頓狂な声を上げた。


 何か、という曖昧な表現。


 ピンとくる事がなく、もう一度ルキウスを見下ろす。ルキウスは何度も何度も、繰り返し、弓を射ている。


「……いつも通りに、見えますが」

「そう? ……わたくしには、なんだか少し、疲れているように見えるわ」


 疲れてはいるだろう。何せ、ブラックオパール伯爵家の名誉を背負い、弓術大会に参加しなくてはならないのだから。

 最近のルキウスはいつも、疲れ気味だ。直接接する事があまりないジゼルですらそう思うぐらいなので、メルツェーデスも気になったのかもしれない。そう思い、ジゼルは主人に提案する。


「何かメルツェーデス様のお名前で、差し入れでもしましょうか」

「差し入れ……そうね。オレンジ、昨夜出たわね。まだ残っているかしら」


 昨夜のデザートに出た果物の名を出したメルツェーデスにジゼルは頷いた。


「残っておりました。では、そちらを差し入れしてまいります」


 同僚に視線をやる。同僚は心得たようにうなずき、部屋を出て行った。


 それからしばらくして、メルツェーデスとジゼルが窓際から見守っている先で、オレンジを持った同僚がルキウスの元に歩いて行った。ルキウスは突然侍女に声をかけられたからだろう。肩を跳ねさせた。

 ルビーの一族など、一族外にすら名の知れた弓の名手と言われるルキウスであるが、その性格はブラックオパール伯爵家にやってきた頃から変わっていない。


(男なのだし、もう少し自信を持っても良いのではと思うのだけれど)


 十以上年下なので、どうにも、姉のような心地で勝手な事を思ってしまう。

 ルキウスからすれば、いい迷惑だろうが。


 ルキウスはオレンジの差し入れを食んだ後、また鍛錬に戻っていった。

 メルツェーデスの指示に従った同僚は、その後、周りの者たちから話を聞き、戻って来て報告をした。


「何かがあったのかは不明です。ただ、本日は休みとされていて、外に出かけていたようです」

「外」

「それと……ルキウス殿が鍛錬をしていると聞いたトビアス卿が『本日は完全休息日の筈だったんですがね』と笑いながら歩いて行かれたので、そろそろ止められるかと……」


 そんな話を女性陣がしていると、丁度、トビアスがルキウスの元にたどり着いたようだった。角度的に見えたのはトビアスの顔だけだったが、とてもイイ顔で笑っている。

 伯爵家に仕えて長いジゼルは知っている。あの顔は結構怒っている顔である。


 最終的に、トビアスは半ば無理矢理、ルキウスを連れて行った。

 結果的にルキウスが隠れて鍛錬しているのをメルツェーデスが伝えてしまったような結果になったが、完全な休息日、という事は仕事も鍛錬もしない日、という事になっていたのだろう。あとから漏れてトビアスたちに伝わってしまった……なんて事になるよりかは、早い段階で伝わって良かったと思った方が良いだろう。


 ――弓術大会は、もう目の前である。

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― 新着の感想 ―
過去の消失を実感して、そりゃ何か無心に取り組みたくなるよな…
待ってた!
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