【138】ピジョンブラットルビー伯爵家主催・弓術大会に向けてⅣ
デバル。
拠点は別の街であったが、ルキウス――ゲッツとその父親がよく通っていた街などで出会う事が多く、親子ともども親しくしていた同業者の名である。
ゲッツが初めて出会った時はまだ若く、彼の父親の下で働いている男だった。
若いゲッツはデパルと会う度に、よく世話をしてもらったものだった。初めて酒を飲んだのは、デパルが「一口だけやるぜ」と分けてくれた酒だった。
ゲッツの父親の死後も、デパルは会う度にゲッツを酒場に誘っては、あれこれと話をして盛り上げてくれたものだった。
そんな懐かしい相手が目の前にいるものだから、ルキウスもつい名前を呼んでしまった。ハッと我に返るが時すでに遅く、近かった事もありデパルにはハッキリと声が届いたようだった。
「ん?」
デパルはルキウスを見下ろし、それから首を傾げた。
「すまん、どこかで会った事あるか?」
「……」
その一言に、大げさな反応を示さなかったのは、ひとえにインゴの教育によるものだっただろう。そうでなければ、もっとあからさまな反応をしてしまったに違いないと、後々、ルキウスは振り返って思った。
相手に余計な警戒心を抱かせないように、ルキウスは出来る限り柔らかくほほ笑んだ。
「――すまない、以前、話した事があったから」
「本当か? 悪い、全く覚えてねえわ」
「いや……大分前の話だから、覚えてなくても仕方ない話だ。……その、変な質問になるが……元気か?」
「うん? ああ、元気だが……」
「そうか。なら良かったよ」
ルキウスはそう声をかけながら、立ち上がった。もともと、先ほど飲み込むことになったのが、皿に乗っていた最後の肉巻きだった。
若者の方に顔を向け、
「本当に気にすんな、でも周りはもう少し見とけよ? 短気な奴なら拳が飛んでくるぞ」
と注意をする。
若者は「はい、はいっ!」と何度も頷いていた。少なくとも、同じ失態をすぐすぐに犯す事はない――と、思いたいところだ。
夜には飲んだくれが並ぶカウンターは、今は人影はない。
ルキウスはそちらに足を向けた。手持ちのお金から、料金を取り出してカウンターに置いた。
「ばあさん、ここに金はおいておくよ」
声を張れば、店の奥から婦人が顔を出す。
「おうよ。……っと、待ってくんな、釣銭出すからよ」
「いいよ、久々にばあさん所の肉巻き食えてうれしかったからよ」
「ん……そうかい。ならまた来な」
「時間がある時には」
そんな会話をしながら振り返れば、デパルの仲間たちはすでに椅子に座っていた。デパルも荷物を下ろしてはいたが、その視線は仲間たちから外れて、ルキウスに向けられていた。
「あんた、名前は?」
デパルの問いにルキウスは一つ息をしてから答えた。
「ルキウス。ただのルキウスだよ」
「そうか。じゃあルキウス、今度会う事があれば、さっきの詫びに酒を奢るから、声かけてくれよ。次はちゃんと覚えてっからさ!」
もう出ようとしてる相手を無理に引き留めはせず、デパルはそう声をかけてきた。きっと彼は、再びルキウスが出会った時には覚えているだろう。彼は貸し借りについてはとても気を使う男だ。
カラリとした雰囲気の笑い声は、聞いている側の気持ちも明るくさせた。ルキウスは笑って、一つ頷いた。
「楽しみだ」
店を出て、ルキウスは王都の石畳の道を歩いていく。
どれくらい歩いただろうか。少なくとも下町と言われる範囲の外には出た。そこで、ルキウスは建物と建物の間の隙間にするりと入り、背中をレンガ作りの壁に押し付けた。
「………………」
未だ見えている方の目を、片手で覆う。そうすると世界は真っ暗になる。
大きく息を吸い込み、それから、それをすべて吐き出す。何度かその動作をした後、ルキウスは独り言ちた。
「そうか……俺、そんな、変わったか……」




