【137】ピジョンブラットルビー伯爵家主催・弓術大会に向けてⅢ
――さて。
大会当日はだんだんと近づいてくる。
最初は緊張はあれどそこまで気負わず過ごせていたルキウスも、段々と緊張で寝付けなくなってきた。これには、話がどんどん大きくなっていた事も関係している。
当初、大会にはルイトポルトやトビアスら、それからインゴ一家が参加するという予定であった。
ところが更に、そこにメルツェーデス一行も参加する事になった。
そこまではまだよかったが、ルキウスの大会参加を聞きつけた分家の者たちも何組か、参加を予定立てているという。
分家の者たちに関しては、枠組みとしてはルイトポルトたちとは別での参加だ。大会は参加者の関係者だけでなく、観覧のみの希望者にも会場は開かれている。その為、参加側ではなく、スカウトなどを目的として観覧する者も少なくないという。
こうした背景もあり、――最終的な目的はルイトポルトとの交流ではあろうが――分家の者たちも参加する予定をあれこれと立てているとの事であった。
更に、今回の大会はルビー侯爵家の分家の中でも最大規模ともいわれているピジョンブラッドルビー伯爵家が主催である事もあり、ルビーの一族の主要な家の者も観覧するのが確定しているのだという。有力分家であるビーフブラッドルビー伯爵家とチェリーピンクルビー伯爵家。それだけにとどまらず、総本家――ルビー侯爵家からの観覧に来る人間がいるという話を聞いたあたりで、ルキウスは緊張の山を登り切ってしまった。そこから落ち着くどころか集中力を欠き始めたルキウスを見かねたトビアスがルイトポルトに話を通り、完全に何もしない休日を取る事となった。
何もしない、というのが、ルキウスはとかく苦手である。
頭の中には仕事しか入ってないのか? と同僚に言われた事もあるぐらいだ。
だから当初はルイトポルトから休暇を言い渡された時は「逆に困る」とすら思った。だが、実際に弓を握って的を狙っても、まともに当てられなかった事で、自分のコンディションの悪さを自覚せざるを得なかった。
――そんな訳で、ルキウスはただ何か目的がある訳でもなく、王都の街を歩いていた。
ただ座っているだけでは、ぐるぐると意味もなく考えすぎてしまう。だからこそ、王都の街を歩き回り、体を疲れさせつつ精神を落ち着かせる事をルキウスは選んだのである。
(あ……)
そうして王都を歩き始めて暫くして、ルキウスは王都の中でも平民たちが暮らしている地区の近くにやってきた。
王都では貴族街を除き、特別、居住区に制限がある訳ではないが、店などが立ち並ぶ地区と、住宅が密集する地区とが分かれているのだ。
今ルキウスが来ているのは、その中間ぐらいの場所だ。住宅もいくつか立っているが、店なども立っている。ついでに言えば他所から王都に仕事などでやってきた者向けの宿も並んでいる、下町と呼ばれるような場所である。
「懐かしいな……」
ルキウスが仕事の関係で王都に来た時、よく来ていた地区だった。
商業地区に隣接している、王都に運ばれてきた荷物などが集まってくる場所の近くにあり、労働者たちが集まりやすい場所でもある。
ちらりと自分の恰好を見下ろす。あくまでも私服なので、小綺麗ではあるが、下町を歩いてもことさら目立つ事もないだろう。
手持ちのお金も多少ある。
(久しぶりに、馴染みの店に行ってみようか)
馴染みと言いつつ、ルキウスが王都を出入りしていた回数は数えられる程度だ。連日大量の客が出入りする王都の店の人間は、ルキウスの事など覚えていないだろうから、行ったところで初対面の対応をされるような気はした。
それで、別に構わないと思った。
そんな事を思いながら、昼間から空いている店の一つにルキウスは入った。夜は酒場として繁盛しているが、昼間は酒も提供するものの、あくまでも健全な飲食店として開いている。この下町でも歴史の長い店である。
埃っぽいまでは言わないまでも、絶妙に太陽の光が差し込まない建物の構造になっている為か、店内はやや薄暗い。
「いらっしゃい。何にする?」
そう声をかけてきたのは年配の婦人である。この店の店主の妻で、忙しい時は厨房に引っ込んでいるが、暇な時は表で客の相手をよくしていた。
婦人の対応は、あくまでも突然やってきた客に対する、一般的なものだった。
「野菜の肉巻きはあるかい?」
「あるよ。一皿で?」
「ああ」
「あいよ、好きん所座ってくれ」
婦人は店の奥に歩きながら「野菜の肉巻き一皿ァ!」と注文内容を飛ばした。
空いている席に着きながら、店内を見渡す。昼間から酒を飲んでいる者もいれば、あくまでも昼食の為に訪れたのだろう若者もいる。
高貴さはないし、洗練された美しさなんてものもない。だがルキウスが幼いころから慣れ親しんだ、懐かしい光景である。自然と肩に入っている力が抜ける気がした。
「はいよ、野菜の肉巻きだよ」
婦人が持ってきた木の皿の上には、生野菜に焼いた肉を巻いた、シンプルな品が乗っていた。野菜の種類すら日替わりで選べない品だが、肉と野菜を一度に食べれるから、ルキウスはこの店の品の中でこれが一番好きだった。
口に含めば、シャリシャリという生野菜の触感が舌に伝わり、焼いたことにより香ばしくなっている肉の香りが鼻腔まで満ちる。歯ごたえのあるそれを咀嚼していると、店のドアが開き、バタバタと大きな荷物を背負った男たちが入ってきた。
「ばばあ! 酒くれ!」
「肉!」
「んな大声出さなくったって聞こえるよ!」
今の今まで仕事をしていたのだろう。ルキウスが座っている椅子の後ろを彼らが通っていくと、汗と共に体臭が広がっていく。こういう所も、下町ならではだと思わされる。
ルキウスはそちらに特に視線を向けずに自分の食事を食べていた。
男たちが「どこ座るよ」などという会話をしているのを耳でだけで認識した時、突如ルキウスの後頭部に痛みが走る。
ちょうど口に肉巻きを放り込んだ所だったルキウスは、痛みを感じた瞬間、反射的に肉巻きを飲み込んだ。
「ングッ!」
「あっ、やっべ」
まともに咀嚼していない野菜が喉に入り込み、息苦しさからルキウスはどんどんと胸元をたたく。
「ばあちゃん! 水くれ水!」
ばたばたと男の一人が走っていく。少ししてから、ルキウスの目の前に水の入った木のコップがおかれた。
それを受け取り、水をあおる。勢いよく飲み込む事で、なんとか胃袋に落とす事は出来た。ぜえ、と息を吐いていると、水を差しだしてきた男がルキウスの背中を何度か叩いた。
「うちのがすまん! 鞄をぶつけちまったんだ」
振り返れば、五人ほどいた男たちのうち、一番若い男が顔色を少し悪くしていた。背中には、かなり色々と詰まっているのだろう袋を背負っている。恰好からして、荷運びを生業にしている男たちだというのが分かる。
おそらく、背中の荷物のふくらみを考慮せず振り返り、その拍子に荷物がルキウスの頭にぶつかった、という事なのだろう。
「すみません、すみません!」
と、若者が頭を下げる。
それを見ながら、横の男が重ねて謝罪をした。
「ほんと、すまん。肉巻き、弁償するか?」
「い、や。いい。この後も動くから、あまり腹を満たしたくない、か、ら……」
そう答えながら水を差しだしてきた男の顔を見上げたルキウスは、言葉が途切れた。目を丸くする。
そこにいたのは、ルキウスが知っている男だったからだ。
「デバ、ル」
そこにいたのは、ゲッツの同業者で、兄貴分的な存在として慕っていた人だった。




