【132】ルイトポルトの学友たち
ルイトポルトの学友たちが屋敷にやってくる日となった。ルキウスはインゴから許可が出なかったので、今回も裏方がメインである。侍従の先輩でもあるロェフスの予想では、カールフリートがいなければ表に出されて何かの仕事の手伝いを客人の前でする事もあったかもしれないそうだ。恐らくロェフスなりの励ましの言葉だったと解釈し、ルキウスは任された仕事に打ち込んだ。
ルイトポルトが客人たちを玄関で出迎えている間に、庭ではルイトポルトの専属侍従のリーダーであるコェストラーがテーブル椅子、庭などの最終確認を行っていた。ルキウスはその横でコェストラーの仕事ぶりを観察しながら、指示に合わせて落ちていたゴミやどこから飛んできた葉などを拾い集めた。
そうして確認が終われば、ルキウスはコェストラーと共に今度は屋敷の中に入り、ルイトポルトたちにこの後提供する飲食物の確認を行う。
万が一がないようにと毒見なども行われ、問題ないと確認できたものが運ばれていくのを、ルキウスは見送った。
それからは表には出ず、裏でひたすら作業をしていた。
ルイトポルトたちは玄関ホールで例のはく製を話の種として、それはそれはもう話が盛り上がったという。令嬢たちの集まりであれば早々に移動しただろうが、令息しかいない事もあり、気が付けば席に座る事もないまま随分と話し込んでしまい、見かねたメルツェーデスが顔を出して一行を庭へと誘った、と使用人間の連絡網で情報が回ってきた。
なるほど、話の種としてわざわざ領地から取り寄せられたらしい。
それにしてもルイトポルトが一体何をどう語ったのか。気が気ではない。あの肉食ペリカンの話をする以上、ルキウスの名を出さないという事もほぼないはずだ。騎士でもなく、侍従を目指す一介の平民出身の使用人としては、あまりあの時の話をされると腹の中で何かがぐるぐると回るような居心地の悪さを感じるのである。
とはいえあの年ごろの男の話題なんて簡単に移り変わるはずだ。庭にいったのならルイトポルトならば庭師が丹精込めて整えた庭についてあれこれ熱弁するに違いない。令息がその手の話題で盛り上がるかはさておき。
(さて、次は日常業務の方だな)
客を招くと言えど、日常業務を全ておろそかにすることは出来ない。なので客を招く仕事に集中して従事する者がいる一方で、日常業務を淡々とこなす人々もいる。侍従は使用人の中でも上の方の立場である。少なくとも、従僕やメイドといった下の者たちの仕事ぶりを監視し確認を行う責任者という側面がある。なので今日は主たる侍従たちが皆客人に集中している中、侍従見習いであるルキウスは同僚たちの仕事の確認をしに行くのであった。
(まずは部屋の掃除の確認を――)
ガッと、何かに腕をつかまれた。進むつもりだった体はつんのめって倒れそうになるが、掴まれた腕は全く動かず、腕と腕以外で体が別れたように妙な動きをルキウスはする事になった。よく掃除された廊下の上でたたらを踏んだルキウスは何が起きたのかと、己の腕を見る。
手が、ルキウスの腕をつかんでいた。肉刺のある手は、トビアスたちのような騎士を思わせる手だ。まだどこか、未成熟な雰囲気もある手を見て、それから、視線をずらす。
鮮血を連想させる真っ赤な髪と瞳の少年がそこにいた。どこか騎士を思わせる服に身を包んだ男の顔は、ルキウスも知っていた。
「隻眼――見つけた!」
ギラリと、赤い――ルイトポルトの赤より濃くどこか黒っぽさのある赤さだ――瞳が、愉し気に輝いて、目を見開く。
(かッ、カールフリート・ピジョンブラッドルビー伯爵令息ッ!)
ルキウスがインゴから渡された資料に乗っていた、六歳ごろの絵姿の面影をかすかに残す少年は、両手でルキウスの腕をつかみながら、身を乗り出した。
「貴殿に会ってみたかったのだ、ブラックオパール伯爵家の、『ヘークレスの寵児』に!」
どこか鼻息荒くそう語るカールフリートに、ルキウスは目を点にした。
一瞬、なんの話題か分からなかったのである。
(『ヘークレス』って……建国時代の英雄、だよな?)
慌てて、歴史の授業の記憶を掘り起こす。
――ヘークレスというのはジュラエル王国の建国時代の英雄だ。特に武勇に優れ、様々な問題をその力で解決したと言い伝えられている。
その容姿については伝説事に異なる表現がされており、どの血族出身者だったのか、はては国外出身の人間だったのか、真実は定かではない。
武勇に優れているのだからルビーの一族の祖に連なる者だという説もあれば、ダイヤモンドの血族であったが為に色が様々な事を言われていた説。
複数人の活躍が一人の人間の名前に纏められているために容姿がバラバラで伝わっている説。
この土地に元来住んでいた、現在は途絶えてしまったという先住民だった説。
そもそも精霊であり、人間ではないという説まである。
そんなヘークレスであるが、武勇に優れていたといってもその中でも特に有名な逸話は、弓にまつわる事であろう。
人間では到底届かない距離から動く雀を射貫いたとか。
海の上から海中に逃げた敵を射貫いたとか。
目が見えない状態になっても、正確に敵を射貫き続けたとか。
ともかく。
ヘークレス、すなわち弓。
弓を使う英雄、すなわちヘークレス。
といった具合に、王国民からは存在を認識されている。
このヘークレスは伝えられている話の最後、その身を精霊に捧げたという。生前の功績をたたえられ、ヘークレスは人の魂から精霊の座に加わった――。
そんな伝説がある事から、弓を扱う者の多くはヘークレスに祈りを捧げたりする。その事から、弓の名手の尊称として、『ヘークレスの寵児』という言い方があるのであるが――。
「人違い、では……?」
今まで一度も、そんな呼び名で呼ばれた事がない。よほどの天才が授かる通り名にしか思えず、ルキウスはカールフリートに対してそう答えた。
それは満足のいく答えではなかったのだろう。カールフリートは片眉をつい、と上げた。
「貴殿の名は?」
掴まれた腕が離れる雰囲気はない。致し方ないので、そのままルキウスは目上の者に対する礼をした。
「……ルイトポルト様にお仕えしております。侍従見習いのルキウスと申します」
「やはり合っているではないか!」
ルキウスの名乗りを聞いて、カールフリートは目を丸くしながらそう声を上げた。ビクリと肩が震えてしまう。カールフリートの発言には、一言一言に込められた圧のようなものがあった。怒鳴っている訳ではないというのに、まるで怒鳴られているかのように心臓が跳ねて仕方がない。
「いや、通り名はないのだったか。まあ良い。ブラックオパール家に来て、貴殿に会わないで終われないからな」
ぐい、とカールフリートはルキウスの腕をつかんだまま歩き出した。ルキウスは半ば引きずられるように移動し始める事となった。
(ち、力、が、強いっ!)
自分より十程度年下とは思えない力で、ルキウスは庭にまで連行されていった。庭に出れば、ルイトポルトと、見慣れぬ色合いの三人の令息たちがわいわいと盛り上がっているようであった。メルツェーデスの姿はないが、代わりに周囲に控えている使用人の中にはトビアスやオットマー、コェストラーやロェフスといった見知った顔が沢山いる。インゴもいた。目と目があった時、インゴは確実に「何をしている?」とルキウスに問いかけてきたが、ルキウスはそちらに――罪を犯した訳ではないが――無実を訴える事すら出来ないまま、ルイトポルト達の前に連れ出された。
ルイトポルトはカールフリートがルキウスを連れてきた事に、赤い瞳を丸くした。改めて、同じ赤色の瞳でもルイトポルトの赤とカールフリートの赤は色が違うな、と現実逃避をするしかルキウスにはできなかった。
「カールフリート殿? 一体どこでルキウスを――」
「ルイトポルト。例の肉食ペリカンを討ち取った経緯を本人から聞きたいのだが!」
(!?)
カールフリートの言葉にルキウスは出来る限り表面的には平静を装いながら、目線の動きだけでカールフリートを二度見した。
一方、カールフリートとルイトポルト以外の三人の令息の内、二人いた薄緑の色彩の令息たち――恐らく彼らがグリーントパーズ子爵令息オテンフェルドと男爵令息ポーンスドルフだろう。どちらがどちらかはルキウスには分からない――はカールフリートの言葉に身を乗り出すようにしながらルキウスを凝視してくる。
「へえ! その者があの玄関ホールのペリカンの?」
「思ったより見た目は普通なのだな」
薄緑の令息たちは興味津々、という目でルキウスの姿を上から下までじっくりと見つめた。
ルイトポルトはどうしたものかと考えているようで、即座に返答はしない。そうしていると、客人の最後の一人が口を開いた。
「本人から直接聞くのは別の面白さがありそうだな。ルイトポルトが良ければ是非、ボクも彼から話を聞いてみたいが」
そう発言したのは、奇妙にも髪の毛が縞模様状に色が変わっている令息だった。恐らく彼がアゲート伯爵令息のハスカールだろうとなんとかルキウスはあたりを付けた。
グリーントパーズの血族の二人の令息たちも、確かに、そうだそうだ、と同意を示す。客人からそこまで請われては、これという断る理由がない今の状況では、拒否も出来ない。その未来を察してルキウスは必死に冷静を取り繕った仮面の下で頬をひきつらせた。
「そうだな……」
ルイトポルトはちらりとルキウスを見る。ルキウスは表情こそ取り繕ったものの、冷や汗がうなじを流れるのを止める事は出来なかった。
「……分かった。では皆で、またホールに移動しようか」
「ああ!」
カールフリートの嬉し気な声が、ブラックオパール伯爵邸の庭に響き渡った。




