【130】客人を招く準備
月日は過ぎる。
ルキウスが新しい生活に慣れるのに必死だったように、ルイトポルトも大変だったようだ。ルキウスは直接聞いた訳ではなく状況を同僚たちから聞いただけであったが、以前トビアスたちから聞いた本家と分家の妙な溝を発端として、一部の分家の令息令嬢が暴走に近い状態にあった事。それを収めるためにルイトポルトはメルツェーデスらと共に茶会を企画した事などを知った。
ルキウスはルイトポルトの社交界デビューの時のように裏方として働いた。直接彼らと接触する事は前回同様なかったのであったが、今回は一点違うところがあった。
それが、招待客の顔と名前の把握である。
「茶会に参加するのはルイトポルト様と年の近い分家の子女。これから先も関係が続く人物たちだ。ルイトポルト様の侍従として働く事を目指すのであれば、顔、名前は当然として、家族構成、家族との関係まで把握する必要がある」
インゴはそういい、とりあえず第一段階として参加する分家の子女を全て覚えるようにとルキウスに通達した。
とはいっても分家の子女は十人そこらの人数ではない。今回の連続した茶会に参加した者だけで、五十は超える。かなりそっくりな似顔絵付きで渡された資料と言えど、簡単に記憶するのは至難だった。
唯一の幸運な点は答え合わせの試験のようなものは開かれなかった事だろう。インゴにそれをされたら大変な結果を叩きだした事だろう。
だがしかし、全ての茶会が終わったら子女の事を覚えなくてよい――という事には、当然ならない。これから先も関係が続く、とインゴは言っていた。
このころから、毎日寝る前に似顔絵と名前などが纏められた何十枚もの紙を見るのがルキウスの日課になった。
インゴに出来ていない所作を直接指摘されるより、トビアスに汗だくになるまで鍛えられるより、単純な暗記の方がよほど苦しいとルキウスは思った。
それでも、毎日毎日見ていれば、だんだんと見慣れてくるもので。
やっと何十枚もある紙のうち、半分と少しは名前を聞いてどんな年齢のどんな人物か、ぼんやりと思い出せるようになった頃――これまで伯爵家にはなかった、新しい出来事が発生した。
「ルイトポルト様のご学友が屋敷に遊びに来られる」
その通達に、伯爵家はにわかにあわただしくなった。
年代の近い学生が沢山いる貴族学院に通っているのだからそういう事も当然起こる筈だ。同時に相手は今まで屋敷に招いてきた分家の子女と違い、全く違う家の令息たち――今回招く友人は男子学生だけらしい――である以上、前者よりよほど注意して準備を行い、失態がないようにしなくてはならない。
要は、かなり気を遣う。
そんな相手であれば、ルキウスが表に出る事はないだろう。何せまだ、分家の子女にすら出せないと判断されているレベルでしかマナーが身についていない。努力はしているが、ほんの少しの気のゆるみだとか、そもそも普段からの意識が緩いだとか、とかくインゴからの指摘は減る様子を見せていない。
とはいえ、ルキウスの目の前にはドサリと、インゴ手製の資料が置かれる事となった。
「当日までにそれに全て目を通し覚えておきなさい」
「は、はい……」
分家の子女たちの情報をやっと見慣れてきた所に追加された暗記物にルキウスは内心ちょっとだけ泣いた。
しかも、想像より分厚い。その理由の一つが、各家の本家、分家事情まで触れているからであった。ルキウスは眉間に皺が寄った。
ジュラエル王国の貴族は本家と分家がほぼ同じ名前である。時折違いはあれど、それはブルーやグリーンといった、色の差異程度の差しかない。同じ本家から別れた分家は、基本的に世代が違う時に別れた分家だとしても全て同じ名になるのだ。
覚える側からすると頭が痛い事この上ない。
ルキウスの事情はさておき。
今回招く事になった学友は全部で四人。
一人目、オテンフェルド・グリーントパーズ子爵令息。
貴族学院の一年生――つまり、ルイトポルトの同期である。
名前の通り、グリーントパーズ子爵家の令息で、跡取り。
グリーントパーズ子爵家はトパーズ伯爵家を本家に持つ家で、それなりに歴史が長いという事であった。
二人目、ポーンスドルフ・グリーントパーズ男爵令息。
貴族学院の一年生。
グリーントパーズ子爵家の分家である男爵家の令息であり、オテンフェルドとの関係性は従兄弟にあたる。
資料によると年が同じで従兄弟同士という事もあり、幼少の頃からオテンフェルドの遊び相手として彼の傍にいたらしい。
三人目、ハスカール・アゲート伯爵令息。
貴族学院の一年生。
アゲート伯爵家の三男であり、上に二人兄がいるが、兄の一人が数年前にちょっとした醜聞を起こしたとか。とはいえその問題は既に解決されており、本人も特に悪い噂はない。
四人目、カールフリート・ピジョンブラッドルビー伯爵令息。
彼が一番、資料が分厚かった。
やはり貴族学院の一年生だ。
彼の資料が一番分厚いのは、家柄が関係している。
資料にはルキウスが以前から知っている知識もあれば、知らぬ知識も多く含まれていた。
ジュラエル王国で最も有名な貴族家といえば、三侯爵家だ。
ルビー侯爵家、エメラルド侯爵家、サファイア侯爵家。国を建国した王と共に精霊の祝福を受け、荒地を富める大地に変えた英雄と言い伝えられている者を祖とするこの三つの家は、最古の歴史を持ち様々な伝説と栄誉を持つ名家である。
このうちの一つ、ルビー侯爵家に存在している無数の分家や孫分家などと言われている系列の家の内――特に名のある分家が、三つ。
ピジョンブラッドルビー伯爵家。
ビーフブラッドルビー伯爵家。
チェリーピンクルビー伯爵家。
どれも、ルビーの色を表す名を家名として持つ家だ。時期は違うが、ルビー侯爵家の子が独立して建てた家でもある。
ルキウスからすると一番最後のチェリーピンクルビーはまだしも、血を家名として名乗るのは中々物騒だと感じるのだが――王国を守る剣であり盾として男も女も戦場に立つという家柄であれば、むしろ名誉な家名なのかもしれない。そのあたりは、ルキウスにはまだよく分からない。閑話休題。
ともかく、この三つの伯爵家は己を祖とする分家も多数抱えており、ルビーの一族の中でも大きな派閥を成している。
カールフリートはこの、ピジョンブラッドルビー伯爵家の嫡男であった。当主たる父は王族に謁見する事もたびたびあるという。将来的に彼も同じようになるのだとすれば、ブラックオパール伯爵家としては生半可な対応は出来ないだろう。インゴから渡される資料も分厚くなる筈である。
とりあえず、分家の子女の暗記に関しては一旦停止した。最優先事項が繰り上がってきたのだから仕方がない。そう思いながらルキウスは殆ど文字のみの資料を追った。カールフリートは六歳頃の絵姿の複製と思しき絵がついていたが、残りの三人は絵姿の補足がなかったので、完全に文字で記憶するしかない。
ルキウスはルイトポルトの学友が屋敷にやってくるその日まで、文字を目に叩きつけるようにしながら必死にあまり得意ではない暗記に勤しんだのであった。
一部人名にミスがあった為、訂正しました。