【124】新しい教育係
貴族学院は名前の通り、開学当初は貴族の令息令嬢に等しく学びを、という目標と共に建てられたという。
しかし時代は下り、現在では貴族子弟だけでなく、『学費を支払う事が出来る』『在学中の後見をする貴族がいる』という条件さえ満たせれば、平民の子らも入学する事が出来るようになっている。
そんな貴族学院は、どれだけ高位の貴族や王族の子であっても、使用人を連れて入る事は出来ない。学院内には多数の職員はいるものの、誰かひとりの為に働く職員はいない。
ルイトポルト付きの侍従たちも学院内には付き従う事は出来ないので、ルイトポルトが学院に行っている間の時間は最重要の仕事――主人に付き従う――事が出来なくなるのであった。
入学式の朝。伯爵邸の玄関には、使用人たちが多く並んでいた
先頭にいるのは、メルツェーデスだ。
「メル叔母様。行ってまいります」
「ええ。貴族学院でしっかりと、伯爵家嫡男としての務めを果たすのですよ」
「はい」
メルツェーデスはルイトポルトの体を抱きしめる。叔母と甥が親愛のハグを終えると、ルイトポルトは全体を見渡して堂々とした態度で出立を告げた。
「では行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
ルイトポルトは伯爵家の家紋が背面に描かれた、豪奢な馬車に一人乗り込んでいった。
同じく貴族学院に通うレヒタールとジビラの二人は、ルイトポルトの馬車よりも一回り小さい別の馬車に乗り込む。小さいと言っても、ルキウスからすれば十分な大きさの、五人ほどの乗れそうな馬車だが。
馬車一つとっても、本家と分家、その差を見た目で表現している様子であった。
馬車を守るように、トビアスが馬車後部の外付けの椅子に腰かけていく。こちらは、ルイトポルト付きの騎士で毎日交代で担当する護衛の仕事だ
ルイトポルトを見送った後、見慣れた顔ぶれの同僚たちと歩いて行こうとしたルキウスに、声がかかる。
「ルキウス」
名を呼ばれた。
振り返ると、そこにはインゴが立っていた。
「何か御用でしょうか、インゴルシュテッター様」
「長い名前は合理的ではない。インゴと呼べ。――本日から、貴殿の教育係は、私が務める事となった」
「へ」
予想外の言葉で目を点のようにするルキウスに、インゴは言葉を続けた。
「貴殿は将来的にルイトポルト様の右腕になるのであろう。であれば、必然的に高位の貴族の方々とも顔を合わせる事となる。その為に、代官ヘーゲンは私に貴殿の教育係を命じた」
(右腕!? 誰が!?)
知らぬ話過ぎてルキウスは何も返事は出来なかった。
ルイトポルトに仕えていく。それは確かに心に決めたものの、右腕なんて、そんな大層な立場を望んだ事はない。
どこでそんな話になったのかは分からない。だが同僚たちはというと、インゴが「本日よりルキウスに関する教育は主に私が行う」と言いに行き、あっさりと許可を出すと共に「頑張れよ!」と背中を押してくる始末。
(どうしてこうなる……?)
ひきつりそうになる頬を必死に抑えながら、ルキウスはインゴについていく事になったのだが――インゴは容赦がなかった。
「背中が曲がっている。気を抜くな」
「ドアを閉める時にどうして音が鳴る。音を立てるな」
「歩き方の矯正も必要だな」
「表情に気をつけろ。毎日鏡を見て、己が第三者からどう見られているかを意識しろ」
「ふむ……字が歪んでいるな。侍従は主人の代わりに手紙を代筆する事もある。こちらも教育が必要だ」
「指先までの意識が甘い」
次々にルキウスの改善点を並びたてる。久方ぶりに頭が破裂しそうな程に詰め込まれた情報に、目が回りそうになるのをなんとか踏ん張る。
(右腕は……流石に大げさとしても、王都ではもっと高位の方々と会う事もある。実際、もっと所作をなんとかしなくてはいけないのは、事実だ)
どれだけ見た目を取り繕っても、生まれというものは隠せないものだった。ルキウスの身にしみ込んだ平民としての自分は、見た目を整えれば整えるほど、ちぐはぐな雰囲気を生み出すに至っていた。
(とりあえず。ええと今日指摘されたのは……)
と、休み時間にちまちまと指摘された事を忘れないように、ルキウスは紙に内容を書き起こすのであった。
次回から数話、ルイトポルトのお話です。ルキウスは出てきません。