【118】フーゴⅥ
それは彼にとっては青天の霹靂であった。
フーゴ、フーゴの妻ヘラ、息子ハンス、そしてフーゴの母が暮らす、家。
そこに貴族の馬車がやってきたのだ。ピンクサファイア男爵家の物よりずっと豪華な馬車であった。
当初、フーゴはもしかしてエッダが甥を生んだことに対する褒美が改めて来たのかもしれない、なんて前向きな事を思っていた。
けれど違った。
馬車から降りてきたのは、一度だけ直接見かけた男爵よりよほど立派な服を着た、貴族然とした人物で、その人物が降りてきた後、同じ馬車の中から、枯れ木のようになったエッダが使用人たちの手でおろされた。
「エッダ!」
母は悲鳴を上げて、数年ぶりに会う娘を抱きしめて、その惨状に泣いた。母親に抱きしめられているエッダは、どこを見ているのか分からなかった。焦点がどこにも合っていない。異様な雰囲気であった。かつて持っていた美貌は全くなく、フーゴはその枯れ木が妹だとは思えなかった。
フーゴたちの家に半ば無理矢理押し入ってきた彼らは、ピンクサファイア伯爵家の者だと名乗った。
(領主様より上の家格! 売り込んで顧客に出来れば……!)
などと前向きな事を思えたのはその最初の一瞬だけ。
エッダを連れてきた貴族は、フーゴたちに衝撃の言葉を放った。
「エッダ殿を愛人として召し上げていた男爵は、爵位を剥奪された。新領主として、別の人物が今後この領地を治める事になる。それに伴い、前男爵の愛人であったエッダ殿を男爵家で面倒を見る事は不可能であり、生家に戻っていただく」
「なんですって!?」
フーゴは叫んだ。
「お、お待ちください。では、では男爵家からの融資は……?」
「新領主様により、これまで男爵家が結んできた契約については一つずつ確認させていただく。――が、こちらで確認した限り、貴殿らが男爵から融資を受けたのは大分前が最後であったはずだ」
「っ」
指摘はその通りだった。
男爵からもたらされるものは、殆どすべてその場限り。定期的に何かを貰えるような契約は、一つもしていない。いつもその場その場で与えられる褒美が基本。こちらから新しい店を出したいという希望の土地などを言うとその土地を融通してくれたりもしていたが、最近ではそういう動きもなかった。後者に関しては、フーゴの店が新規店舗を出すほどの余裕がなく、申し出ていなかったというのもあるが。
「お、甥は、私の甥は? アレは次期男爵であったはずです。父親が男爵でなくなったのならば、次は、甥が男爵になるのではありませんか?」
「既にエッダ殿の娘と息子は、どちらも、平民となっている」
「そんなバカなっ!」
「当然だろう。貴族というのは、爵位を持つ者と、その近しい家族の事だ。爵位を持っていた父親がその爵位を剥奪されたのだから、なんの地位もない子供は、平民に落ちる」
甥や姪が貴族になる。そことつながりを持ち、長く旨味を得る。
そのために、フーゴはエッダを貴族の愛人へと後押ししたのである。そのために、エッダの元夫を追い出したのだ。噂を流したのだ。
ここにきて、それら全てがひっくり返ってしまった。
ここ数年の努力が全て、泡のように消えてしまったのだ。
それを理解して頭を抱えたフーゴの横で、母に抱えられるようにして椅子に座っていたエッダは、突如立ち上がった。亡者のようだったエッダが突然叫ぶ様は化け物のようであった。
「アタシの子! アタシの子を返して!!」
そう叫ぶと、目の前にあった机に乗り上げて、そのままフーゴの対面にいる貴族に手を伸ばす。
が、それが届く事はなく、貴族の背後に控えていた従者によって、エッダは取り押さえられた。
「子どもを返して、返せ、返せよぉおおおお!!!」
髪を振り回し、大声を上げる妹にフーゴは引いた。
見た目だけでなく、態度なども最早自分の知る妹ではなくなったようであった。
貴族はエッダが暴れるのを特に気にしていないようで、従者に取り押さえさせると、フーゴの方に視線を戻す。
「元男爵の二人の子供に関しては――」
「二人じゃない! イレーネ! イレーネぇえぇええ!」
「――新領主様の温情により、こちらで今後の対応をする事が決まっている」
「そんなっ!」
今度はフーゴの母が叫んだ。
相手は容姿からして貴族であろうが、そんな事も頭から抜けるほど衝撃だったのだ。
切り捨てられる可能性も忘れて、フーゴの母は身を乗り出した。
「う、うちの孫でしょう? な、なら、うちで世話をするわ、孫を返してくださいっ!」
「戸籍上、男爵家の子二名はエッダ殿との関係性はない。故に無関係の人間に、前男爵の血を引く子供を預ける事は出来ない」
貴族の言葉が理解できず、泣き続けているエッダを除く一同は困惑した。
訳の分からない話であった。
男爵家の子供は、エッダが生んだ子供だけの筈である。なのに、その子供とエッダとの関係はないという。
フーゴは混乱したまま、質問した。
「……どういう、事、ですか?」
「通常、正妻以外が生んだ子を正式な令嬢令息として扱うには、養子縁組をする必要がある。血の繋がりが間違いなくあるのであれば、平民が生んだ子供であろうと問題なく正式な貴族の一員として迎え入れられるし大した手間ではない」
何故か法律的な話が始まり、一同はさらに困惑して、顔を見合わせた。
そんな平民たちの不安や疑念を無視して、貴族は続けた。
「元男爵は、それらの処理を疎んだ。男爵家の子供は全て、元男爵と元夫人との間に出来た子供として届けられている」
そこでやっとフーゴは気が付いた。
戸籍の偽造。
血統を重視する貴族社会の中ではとても重い、犯罪であると。
「既に、ハワードは戸籍の偽造に関する罪で拘束し、この一件について正式な調査を開始する予定となっている」
フーゴは、息をのんだ。
戸籍の偽造が真実だとすれば、己の甥と姪を貴族家の当主にして……等と考えていた己の案は、どちらにせよ全て使えないものとなっていただろう。戸籍上、彼は男爵家の子らとの縁はないのだから。
さらに言えば、犯罪者の子である姪や甥と関わった所で、もはやフーゴにとってはメリットはなく、デメリットしかないような状況である。
「戸籍の偽造は前男爵とその部下が勝手に行った事とみられている。また、エッダ殿は私室からほぼ外出していない事が使用人たちから確認出来ており、偽造にかかわる事は出来なかったと判断された。故に、こうして生家に引き渡す事となったのだ。ただし男爵家の子らに関しては偽造への罪はないものの、男爵の血を引く事は事実であり、何の関係もない平民に引き渡す事は出来ない、という事だ。……話は以上である。これ以降、貴殿らとピンクサファイア男爵家は何の関係もない。不当にこちらの名を騙った場合は、それ相応の対応を行う。また、子らに関しても二度と会おうなどとしないように」
貴族はそういって、こちらの反応も待たずに去って行ってしまった。
残されたのは、見た目も衰えた無価値な妹一人だけ。
「こんな、こんなの……! ありえない! なんでこうなった!!」
自分の夢は何もかも消えてしまった。現実を受け入れられないフーゴは髪をかきむしった。
フーゴの母は泣きながらエッダを抱きしめている。
エッダは子供たちを返せと泣き叫んでいる。
そんな光景を見渡して、それからフーゴの妻ヘラは、フーゴを酷く冷めた目で見つめた。
三章はここで終わりになります。
毎回になりますが、時間をいただき、その後四章を開始いたします。
更新が遅くなったままで申し訳ありません。四章の更新頻度は現時点では未定ですが、せめて現在の週一を最低ラインとして更新はさせていただきたいと思っております。
四章は貴族学院に入学したルイトポルト――に付いていき、王都に出てきた後のお話になる予定です。




