【116】エッダⅧ
「…………なに、いって」
すぐ間近にある、ビアンカの口から出た言葉が、エッダには今度こそ理解できなかった。
恐らくどれだけ時間をおいても受け入れるのは簡単ではないと知っているビアンカは、容赦なく言葉を続けた。
「イレーネ・ピンクサファイアは、既に死んでいるの。葬儀も終わり、ピンクサファイア男爵家の墓に眠っているわ」
「――うそだッ!! そんな話知らねぇ!!」
「貴女が何故知らないかは分からない。けれど、イレーネ・ピンクサファイアが死んだのは事実よ」
「う、うそだ、うそだ、うそだうそだうそだぁあっ!!」
エッダは力任せにビアンカを揺すった。それを振り払うこともせずに、ビアンカは、淡々と、目の前の女性に、残酷な事実を告げた。
「貴女がハワードを生んだ少し後に、イレーネは熱を出したそうよ。けれど当時、この屋敷は待、望、の、跡取りであったハワードに喜んでいて、グレートヒェンもイレーネも、世話が後回しにされていた。既にある程度の年齢になっていたグレートヒェンは自分で不調を訴えられたでしょうけれど、イレーネはそれが出来なかった……貴女の二人目の娘は、まともに看病されず、次の日の朝、メイドが死んでいるのを発見したそうよ」
――ユリアンの時のようにね、と小さく呟かれたビアンカの言葉は、エッダには届かなかった。
目の前が真っ白になって、彼女はその場で崩れ落ちた。
「うそ」
口から、空虚な言葉が零れ落ちる。
「うそだ」
二人目を生んだ時の記憶がよみがえる。
生まれたばかりの娘。
抱く事すら出来なかった娘。
「いれーね」
エッダは、その子供の顔も、声も、まともに何も知らない。すぐに取り上げられて、それ以降、一度も見る事が叶わなかった。でもいつか、いつか、その姿を見る事はあるはずだと思い続けていて……。
「い、ゃああああぁあああぁぁああああああああ!!!!!!!!!!」
エッダは顔をかきむしり、喉から叫びという叫びを全て絞り出しながら、泣いた。
女の絶叫は屋敷中に響き渡り、それに驚き、伯爵家の騎士たちが駆けつけてきた。
「何事ですかっ!」
室内に入ってきた騎士たちは一人床で暴れているエッダを見て、彼女を取り押さえようとした。けれどそれを、ビアンカは止めた。
「待ってくださいませ。……彼女は今、己が子の死を知ったのです。それを受け入れるための時間を、今しばらく、彼女に与えてくださいませ」
騎士たちは、この叫び続けている平民の女が元男爵ハワードの愛人で、現在保護されている二人の男爵の子の母親である事は知っている。そして、彼女にいたもう一人の娘の事も、概要だけは聞き及んでいた。
故にビアンカの訴えを聞いた騎士たちは、顔を見合わせた後に何もせず退出していった。
ビアンカは部屋に残った。メイドは煩いだろうに、まだ部屋にとどまっている。恐らく騎士団長が騎士たちと共に連れてきた、監視役のメイドなのだろう。
ビアンカは決して、エッダに寄りそうような事はしなかった。
ただ、エッダが叫び続けて意識を失うまでずっと、彼女の部屋にいて、母親の慟哭を聞いていた。




