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妻が貴族の愛人になってしまった男  作者: 重原水鳥
第三粒 ルイトポルトの社交界デビューの裏側で
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【114】ピンクサファイア男爵家の崩壊Ⅳ

「……覚えがありません」


 執事は本気で困惑していた。

 ユリアンという事は、男であろう。

 しかしそんな名前の人間の知り合いはいなかった。

 執事の立場上、男爵家とかかわりのあった家や分家の可能性もあるが、執事が把握している限り、ユリアンという名前の男はいなかったはずだ。


「一体どこの誰なのですか、ユリアンという男は」

「……ピンクサファイア男爵家の者だったそうだ」

「我が家の分家の? 全く覚えがありません。やはり、私か、ハワード様への逆恨みで適当な事を申しているに違いありません!」


 そう叫んだ執事は、自分に向けられる騎士団長の瞳に蔑みがにじんだ事に混乱した。


「……本気で申しているのか?」

「も、もちろんです! 私の記憶にある限り、分家にはユリアンという人間は――」

「分家ではない」

「我が家の分家ではない? では、他の男爵家ですか」


 この家と同じ、ピンクサファイア男爵家という家名の家は、複数存在している。

 最古の歴史を持つサファイア侯爵家に連なる一族は多いのだ。

 だが、そうした家々との付き合いも、先代の頃には既に薄かった。わざわざ男爵家の不幸に合わせて貶めようとするとは、とんだ奴等である。


 そんな風に執事が怒りを激らせる様を、騎士団長はひどく冷たい目で見つめていた。


「本当に、覚えがないと?」

「ありません!」


 胸を張り、無実を訴える。そんな執事に、騎士団長はこう、言った。


「ユリアン・ピンクサファイアは、お前が仕えるべき主家の人間であるにも関わらず、覚えていないと、本気で言っているのか?」

「………………は?」


 主家。

 それは、ハワードの家の事で。

 己が仕えていた家の人間がユリアン・ピンクサファイアだと言われて、執事は頭が真っ白になった。


(そんな名前の人間なんて、いなーーーー)


 あ。


 執事の口から、ポロリと言葉が漏れる。


 いた、のだ。

 今の今まで、本当に思い出しもしなかった、男爵家の人間がいた事を。


 ユリアン・ピンクサファイア。

 確かにその名前の子供が――赤子が。


 それは、まだこの家の爵位が子爵であった頃に生まれた――ハワード・ピンクサファイアとその妻ビアンカの間に生まれた、ハワードの正真正銘第一子の名であった事を、執事はようやっと思い出したのだ。


「ち、違う。違います! 殺してなどいません! ただ死んでしまっただけなのです!」


 先ほどまでの自信に溢れた態度から一転。執事は必死に、騎士団長に対して言い募った。


「ご存知でしょう? 子爵家では、子が生まれにくい! 生まれても中々長生き出来ぬのです! あの赤子もそれで死んでしまっただけです! 我々は赤子を殺そうなどと、そのような恐ろしい事、計画していない!」

「本当にそうであるなら、何故分からなかった。お前の主人の正統なる、最初の嫡男の名前が、何故分からない!」

「た、たった一年に満たない期間しかいなかったので、思い出せずにいただけです!」


 騎士団長を重いため息を吐いた。


 これが最近仕え始めた執事であるならば、まだ分からなくもない。自分が仕える前に生まれて亡くなった赤子の印象が薄いのは、仕方のない事だと言えなくもない。


 しかし執事は昔からこの家に仕えていた。ハワードが生まれる前からの関係性だ。それにも関わらず主家の子供を忘れるなど、騎士団長にしてみれば信じられない事である。

 しかも子が出来にくい家であったなら、生まれてきた男児は何がなんでも助ける守るべき存在だ。助けきれなかった事を責めこそしないが、全く思い当たらぬほどに忘却しているのも、騎士団長からすれば信じられない事である。

 むしろ、忘れていた事で彼の言う通り積極的に殺したのでないとしても、ユリアン・ピンクサファイアが死ぬように仕向けたのではないか? という疑念が湧く。


「殺してなどいません! 私は!」

「……事の詳細については、今後調査を行う。よってお前と侍女長の二名に関しては調査が終了するまで、身柄を抑えておく」


 確認した所、現在男爵家で働いている使用人の多くはユリアンが亡くなった後に雇い入れた者ばかりだった。爵位が子爵から男爵に降爵された際に使用人の整理があったらしい。

 故に、現在残っている使用人の中でユリアンを死に追いやった可能性のある関係者は、執事、侍女長、そして父親のハワードだけとなっているのだ。その三人の中から、死した赤子の母親が殺人として訴えているのは執事と侍女長の二人なので、とりあえずはこの二人の身柄は抑える必要があった。


 騎士団長は部下に執事を見張るように命じて、退室し、侍女長のいる部屋に向かった。


 監視の命令を受けた騎士に目を向けず、執事はボツボツとつぶやき続けていた。


「勝手に死んだだけなんだ、本当だ、殺してない……」


執事は宙に向かって、そういつまでも呟いていた。

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― 新着の感想 ―
怠惰で目を離したら(尚且つ、そもそも、専属の子守りの配属にも手抜かりが有った)、その間に、て感じですかね? だとしたら、中世的な貴族社会では、それはもう死罪獄門相当の罪でしょうね。
子供がなかなか生まれなかった貴族の家で男児なんてそれこそ「勝手に死ぬ」ような隙もないぐらいに付きっきりで面倒を見るもんだも思うんですが。 騎士殿の反応見るに他の家からすればありえない反応なんだろうな…
 当主含めたこの家の中枢が皆天道説的思考なのか。  生きている世界、見えている世界が全く違う。
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