【112】ピンクサファイア男爵家の崩壊Ⅱ
前話後書で記憶する必要ないとか言いましたが今回分家の面々が出てくるため再掲しておきます。(手のひら返し)
本家 : ピンクサファイア伯爵家
(侯爵家の分家の一つ)
(今回登場した騎士団はこの家の)
↓
ピンクサファイア男爵家
(ハワードが当主だった家)
(伯爵家の分家の一つ。元は子爵家だったが現在男爵家)
↓
分家 : ピンクサファイア男爵家
(ハワードの家から別れた分家。ハワードの家の爵位が落ちた事で爵位的には同格となっているが、本家分家の関係は変わらず)
前日までハワードが当主を務めていたピンクサファイア男爵家は、元々は――ハワードが令息であった頃は、子爵位を賜っていた家であった。
ある時、とある失態を理由として本家が降爵を国に申し出て、国が受け入れたために正式に降爵され、男爵位になったのである。
ただ子爵位だったころと領地の殆どは没収されなかったので、今でもそれなりの広さの領地を持っている。
この領地内には元子爵家から独立した分家たちがいくつか存在し、領内でそれぞれの方法で金を稼いで暮らしている。
いわゆる、領地は持たない貴族たちである。
その分家の人間たちは、何も事情を知らぬまま、本家であるピンクサファイア男爵家の屋敷に集められていた。
「一体何があったのじゃ」
大広間に集められた分家の人間たちは事情をまだ聞いていないようで、何があったとささやきあっている。
「どうしてこれほど急に集められたのだ?」
「祝いの話ではないの?」
「それなら、あのような脅し文句を行って我らを集めるはずがなかろう!」
ピンクサファイア男爵家の分家の者たちは、皆、若くとも七十を過ぎた老人たちであった。
三十代前後や四十代前後らしい見た目の者すら、いない。
彼らは昨日、ピンクサファイア伯爵家の騎士団によって「ピンクサファイア男爵家の館に集まるように」と通達を出されて、こうして急遽集められていたのだ。用事があろうがなかろうが、全員、強制的に集められていた。
ピンクサファイアの名の通りに、彼らはピンクの髪やピンクの瞳、或いはその両方を持っている。
肩を寄せ合い語り合っている彼らの中から離れた位置に、薄いオレンジの髪の令夫人は腰かけていた。
古臭い、叩けば埃が出てきそうな布地の、汚れやほつれの目立つ服である。
彼女がこの屋敷の夫人であるピンクサファイア男爵夫人とは、普通の人間は思わないであろう。
ただ、さすがに分家の人々は、そういう事を把握している。
そのため、一人の老人がピンクサファイア男爵夫人の元へと行き、声をかけた。
「おい! 一体何があったのだ!」
この老人は分家の人間で、夫人は彼らからすれば本家の令夫人。敬うべき相手である。
だというのに声かけは尊大で、ハッキリ言って上から目線の物言いであった。
男爵夫人はそれに苛立った様子もなく、咎める事もなく、あっさりと答える。
「さあ。存じませんわ」
「存じないだと? この屋敷の女主人はお前であろう!」
「もう数年、ここでは暮らしておりませんので。そのような事もご存じありませんでしたの?」
「っ」
老人は言葉に詰まる。
彼は知らなかったのである。
他の老人たちも、男爵夫人の言葉に驚いてはいた。ただ、それを言葉にはしない。言葉にすれば、自分も知らなかった事を周囲に伝える事になってしまうと分かっている。
――女主人が本邸に暮らしていないなんて、何かあると言わんばかりの出来事だ。
まっとうな一族であれば、当然皆知っているような大きな話題である。
だが老人も、そのほかの老人たちも、それを知らなかった。
何故なら、彼らもここ、本家の屋敷に来るのは久方ぶりだったからだ。
黙り込んだ老人に、令夫人が小さく息をついた時、大広間に騎士たちが入ってきた。ざわついていた人の声が止む。不安の滲んだ瞳で、皆が騎士たちを見つめる。
一人の、騎士の中でも特に立派な鎧を来た人物が前に進み出てきた。
ピンクサファイア男爵夫人は席から立ちあがり、前に出た。挨拶をするためである。
実際の力関係が何であろうと、この場で最も立場が高いのはピンクサファイア男爵夫人と騎士団長であったからである。彼女以外、まともに騎士団長と会話が出来そうな人もいなかった。
一方、騎士団長は己の目の前に進み出てきたのがみすぼらしい恰好をした女性である事に驚きはしたものの、男爵夫人の特徴は知っていたし、彼女を屋敷まで連れてきた部下から多少の報告も受けていたのであからさまに狼狽える事はなかった。
本家の騎士団長と、分家の令夫人。
それでいて彼らは、今日が初対面である。
今まで何十年も男爵夫人の地位にいたにも関わらず、夫人は騎士団長と会った事がなかった。それぐらい、男爵家は外に出ない籠る家であった。
「ピンクサファイア男爵ハワードが妻、ビアンカ・ピンクサファイアでございます。生家はオレンジトパーズ男爵家でございます」
「ピンクサファイア伯爵家の騎士団にて騎士団長を務めている、ダミアン・ピンクサファイアだ」
「ダミアン・ピンクサファイア様……それで本日は、どのような御用件で我々を御集めになられたのでしょうか」
「伯爵様から、こちらのピンクサファイア男爵、及びそこに連なる一族に対する沙汰が下ったため、それをお伝えするためにお集まりいただきました」
老人たちは騒ぎ出す。不安が的中した者もいれば、予想外で狼狽えている者もいた。
一方、騎士団長の目の前にいるピンクサファイア男爵夫人は、動揺もなく問いかける。
「まあ……どのような内容でしょうか」
「まず。ピンクサファイア男爵ハワードは昨日付けで男爵位を失い、領主としての権限も全て没収された」
つまり、貴族としての地位を剥奪されたという事である。
自分達の本家の当主が受けたその処遇に、分家の老人たちは顔を青ざめている。
彼らは、当主が何をしてそんな処分を受ける事になったのか、全く知りもしない。
それぐらい、分家の人々は本家にかかわっていなかったのだ。
「また、男爵家の財産の五割はホワイトオパール伯爵家への慰謝料となる」
「ああ……先日のパーティーでの無礼の慰謝料でございますのね」
高くついたのか、安くついたのかは、男爵夫人には分からなかった。
ブラックオパール伯爵家で開催されたパーティーに無理矢理連れてこられた男爵夫人は、伯爵家に置き去りにされていたのだ。男爵はパーティー中に問題を起こして、逃げるように一人男爵領に帰ってしまった。夫人はパーティー終了近くまで別室で休憩していて、己の帰りの足が無くなったと知ったのは、客人たちが帰り始めたタイミングであった。
結局、ホストであるブラックオパール伯爵家が用意してくれた馬車に乗って、別邸まで帰ったのだ。
騎士団長は、慌てない男爵夫人を見下ろして(どうやらあの一件を把握しているようだな)と思った。
まあ、そのパーティーに男爵夫人は参加をしていたので、知らない方が驚きであるが。
が、分家の老人たちは何もかも寝耳に水であるので、慌てて、一人の老人が口を開く。
「ま、待ってくだされ。何が何だか……っ」
「まだ伝える事が残っている。それを待たれよ」
「……」
騎士団長の言葉に、老人たちは黙った。
そして騎士団長は男爵夫人を見てから、老人たちを見る。
「――また。積み重なった男爵家の失態は膨大になったと伯爵様は判断され、一族会議にて、ピンクサファイアの名を汚した者たちには、相応の罰を下すことが決定した。――今この時より、このピンクサファイア男爵家の抱える全分家から、爵位を没収する」
「なんだと!?」
「なんですって!?」
老人たちはいきり立ち、騎士団長の元に走っていかんばかりであったが、騎士たちがそれぞれを抑え込んだ。たいして弱った老人を抑え込むのは、騎士一人で十分――場合によっては一人で二人を抑える事だって出来る。
「落ち着き給え。貴殿らは先日の男爵の行為には関わっていない。故に、私財に関しては伯爵家は関知しない」
「そ、そのような事は些細な事だ! なぜ、何故ハワードの連座で、我々の爵位までっ! 爵位を没収されては、我々は、平民になってしまうではないか!」
今まで貴族という身分に守られて、大きな顔をしていたのだ。貴族らしくないが、中には生きていくために商いをしていた家もある。そういう所は、貴族だからと大きな顔をして、商売を行っていたのだ。
だが見た目がどれだけ貴族っぽくとも、爵位がなければ平民として扱われる。
貴族か平民かは、大きな違いである。
どうしてそんな事にと反発する彼らに対して、騎士団長は冷たい目を向ける。
「私には、貴殿らが連座を逃れられると考えるのか、それが分からない。領地を持つ貴族が、爵位を没収されるまでの失態を犯したのだぞ。――まあ、此度の場合は、積み重なった負債の影響もたぶんにあるが――まっとうに考えて、貴殿らに貴族としての地位を保証し続ける必要がない」
「は、ハワード様の失態は、ハワード様だけのものでしょう! 我々は関係なく――」
「直分家であり、彼の愚行に物申す事が出来る立場であったにも関わらず、本家から遠ざかり、都合の良い時ばかり領主の名をかざして暮らしている貴殿らのような愚物を、何故、残す必要が?」
老人たちは言葉を失った。
知られていたのだ。
子爵から男爵に降爵されるほどの失態を犯した本家の近くにいて同類扱いされてはたまらないと、本家に近寄らなくなった事も。
それにも関わらず、領内で何をするにつけても、自分達は領主の分家の人間で、近しい人間だと厚遇を求め、平民たちから不当な搾取をしていた事も。
「わ、われわれ、は……」
「貴殿らの、今の財産は没収しないが――以降、ピンクサファイアの名を騙る事は、伯爵様は許さぬ。まさか知らぬ事はないであろうが、身分詐称は犯罪だ。詐称の事実が認められた時点で、新たに、罰を与える準備がある。ゆめゆめ、忘れるな」
老人たちはついに黙った。
そんなやり取りの間、ずっと黙って何かを考えている風であったピンクサファイア男爵夫人――否、今やただのビアンカとなった女性は、騎士団長を見上げて言葉を出した。
「恐れながら。この屋敷の使用人たちの処遇は、どうなります?」
元男爵夫人からの問に、騎士団長はやや怪訝そうな顔をした。
「正式な事は、代理男爵に着任するオーラフ様次第であるが、問題行動のあった者は罰し、そうでなければ雇い続ける事となるだろう」
「そうですか。それでは私は、この屋敷の侍女長と執事を、殺人の罪で訴えますわ」




