【105】ハワード・ピンクサファイア男爵Ⅱ
――その後も知り合いに挨拶をしてまわった後、男爵は、此度のパーティーの主役であるブラックオパール伯爵家に挨拶をするべく歩いていた。が。
(ええい! 誰も彼も違うではないか! 伯爵はどこにいるのだ!?)
本日のパーティーにはブラックオパールの一族も沢山集っているため、見た目では判別が難しい。「伯爵でしょうか」と声をかけては「違いますが」と言われる事、数回。
普段から関係があれば顔を知っているのだが、男爵家はここ数年まともに他の貴族家と関りがなく、男爵は現ブラックオパール伯爵が自分より若い事以外、殆ど知らなかった。
自力では見つけられそうにないので、ならば使用人に案内させようと思ったが、見当たらない。
(使用人の数が足りていないではないか! 伯爵家も大した事がない!)
と、男爵は、苛々度合を増していっていた。
ちなみに。男爵は知る由もないのだが、使用人が足りていないのではなく、奇跡的な確率で使用人とすれ違い続けているのだった。
話は戻り。
男爵はやっと、人だかりの向こうにいるのがブラックオパール伯爵らしいと耳にした。
遠目で見つけた伯爵らしき男の横にいる妻は、髪の毛が白っぽい。確かブラックオパール伯爵の妻は、ホワイトオパールから娶っていたはず。
(あれだ!)
と、男爵は人込みに分け入っていった。
しかし男爵が声をかけるより早く、夫妻は名を呼ばれたのか、移動していってしまう。慌てて男爵も人を押しのけ、追いかける。
「きゃっ!」
と、何やら声が下からしたが、男爵は気にしなかった。
そのまま人込みを分け入って行こうとして――ぐい、と勢いよく腕をつかまれた。
「何だ!」
男爵が振り返ると、白い髪の毛に黄色が散ったような髪色の少年が、男爵の腕をつかんでいた。ホワイトオパール一族の令息であろう。
少年はキッと、黄色い瞳で男爵を睨む。
「謝罪もせずにどこへ行くと言うのですか」
「は? 謝罪? 何を言っていのだ。手を放せ!」
こんな会話をしているうちにも伯爵が遠くへ行ってしまう。早く話しかけて、男爵家の名を周囲にも知らしめて、嫡男誕生も祝ってもらい、更に長女を伯爵家で……と考えている男爵に、少年が周囲にも聞こえるような声でいう。
「我が妹ヴィツェリーンに謝罪をしてください、と言っているのです!」
少年が振り向いた先では、まだデビュタントを済ませて間もないだろう見た目の、白い髪に水色が散ったような髪色の令嬢が、床に倒れ込んでいた。
それを、横にいる黒い髪にところどころ赤が散ったようなブラックオパール特有の髪色をした幼い令息が、助け起こしているところであった。
訳が分からず、眉根を寄せる。
「なぜ私が知らぬ子供に謝罪などしなくてはならない」
「貴殿がヴィツェリーンの足を踏み、突き飛ばしたのですよ。謝罪をするべきだ!」
「知らぬ。私はそのような子供と触れ合ってはない!」
男爵は少年の手を振り払おうとしたが、思ったより握られている力が強かった。
それにいらだちが最高潮になった男爵は、掴まれていない方の手で、その令息を突き飛ばした。
それでも少年は手を離さなかったが、成人をとうに過ぎた大人に突き飛ばされ、まだ成長期をしっかりと迎えていない様子の体は、床に倒れ込む。
先程から言い争う声で様子を伺っていた周囲が、ハッと息を飲んだ。
「お兄様っ!」
「ヘルム様っ!」
先に倒れていた令嬢と、その横の令息が声を出す。
「さっさと放せッ」
男爵がそう叫んだ瞬間、男爵を呼び止めていた子供は両手で男爵の腕をつかんだ。そして次の瞬間、男爵の顎に、子供の足があたっていた。
「あ」
という声は誰の者だったか。ぐあん、と男爵は脳が揺れた。
子供が、筋肉の力だけで身を起こし、そのまま男爵の顎を蹴り上げたのである。
「いやーー! お兄様ーー!」
「へ、ヘルム様っ!」
「かっこいいですわー!!」
「そちらですか!?」
なんて、騒いでいる令嬢令息の声も、男爵には届かなかった。ただ、自分より格下の存在であろう子供に無礼を働かれたと、目の前が真っ赤になる。
「こ、の! 私を、私を誰だと思っている、この餓鬼ッ!」
蹴り上げた後、くるりと回転して着地していた少年に向かって男爵が腕を振り上げたとき――背後から伸びてきた腕が、男爵を掴んだ。
「誰だと思っている、は、こちらの台詞でありましょうな」
そうして現れたのが――ヘルムトラウト・ホワイトオパール伯爵令息。通称、ヘルムトラウト8世であった。
◆
あの後。
二人の子供の父親である目の前の男――次期ホワイトオパール伯爵は、自分の目の前で娘を突き飛ばし、更に息子にも暴力的な事をし、更に更に殴ろうとしていたとして、ピンクサファイア男爵を責め立てた。
周りにはオパール一族の貴族ばかりで、同族ではない男爵はあっという間に周囲からも糾弾された。
それを止めたのは主催者たるブラックオパール伯爵であったが、それは男爵の味方になるためではない。息子の晴れの舞台で、騒ぎを大きくしたくなかっただけである。
あっという間に別室に連れてこられ、男爵はどう謝罪をするつもりだと詰められていた。
ここでは謝罪しなくてはならない。分かっている。分かっているが、心の内からあふれてくるのは、
(知らなかったんだ!)
という言葉であった。
そう! 知らなかった! 自分がぶつかった令嬢が、ホワイトオパール伯爵の御令孫であるなんて!
(あの餓鬼は名乗らなかった!)
そして自分に食ってかかってきた無礼な子供も、同じくホワイトオパール伯爵の御令孫なんて!
(それを、先に、名乗れば!)
相手が伯爵令息だと分かっていれば、男爵だって、あの場で謝罪はしただろう。
ぶつかった記憶もないし、向こうが勝手にケチをつけてきただけとはいえ、主催者と同格の家に喧嘩を売る事が不味い事であることぐらいは、分かっていたから。
ガチガチと、歯がぶつかる音が鳴り響く。
(こんな筈ではなかった! あの場で、我が家の再興を多くの人間に知らしめるはずで!)
長年。もう子は出来ない、種がないなどと、極めて侮辱的な事を語られていた。それが偽りだと、多くに知らしめたかっただけなのに。
(どうしてこうなったんだ……!)
謝罪の言葉も、この場を乗り切る戯言すらも浮かばず、まるでただ時間が過ぎて嵐が去るのを待っているかのような男爵の態度に、ヘルムトラウト8世が激怒するのは、その少し後の事。
人によっては気が早いというかもしれないが、ヘルムトラウト8世の性格から考えれば、かなり待った方であった。
主催と縁の深い家の次期当主を怒らせた男爵は、その後、会場に戻る事も出来ずに一人、馬車に乗り込んで逃げるように帰宅する事となった。
【余談】
こちらの男爵の若い頃のお話は、目次ページの下部にあります「同じ国の、別の人のお話」一覧にあります『知らない人にぶたれたんだけど多分人違いなんですが』でご覧になれます。
本作には直接的にはかかわってまいりませんので、そちらの話の内容を把握する必要は全くございません。




