【104】ハワード・ピンクサファイア男爵
注意:天動説思考
激しい、怒りに燃える瞳に睨みつけられる。
相手は自分よりずっと若い、当主ですらない若造だ。
家の問題はさておいて、自分に対してそんな態度を取るなど許しがたい。――と、普段の男爵ならば怒鳴っていた事であろう。
だが、そうは出来なかった。
年齢こそ(男爵からすれば)若造な事は間違いない。
ただ、目の前にいるのは、ピンクサファイア男爵家の十数倍の力を持つ、伯爵家の次期当主である。
現当主の年齢を考えれば、数年以内に当主の座に着く事が確定している男に上から目線で話せば、将来的に自分は不利になる。
――それを想定して、言葉少なにするぐらいの事をする程度には、男爵にも理性はあった。
しかし理性があった所で、気持ちが収まるわけではないし、現状を変える案が思いつくわけでもない。
(どうしてこのような事に……ッ!)
ピンクサファイア男爵ハワードは、閉じた口の中で、ギリ、と唇をかみしめた。
◆
時は、パーティー開始前にまで遡る。
パーティーには男爵の予想通り、多くの近隣の領主や、領主ではないものの重要な役目を担っている貴族たちが集まっていた。
既婚者でも独身でも、殆どがパートナー同伴であった。
誰もかれもが自信に満ちた明るい表情の女性をパートナーとして連れている。それを見ると、男爵は自分の横にいる夫人に怒りが湧いてきた。
――久しぶりにあった夫人は、以前よりやややつれていた――が、男爵はそんな事は気が付かない。
彼が気になったのは、夫人の恰好が「もしや喪に服しているのか?」と思われるほどに、質素で暗かった事だ。
流石に真っ黒なドレスを着ているわけではないが、華やかさがちっともない、自分たちよりはるかに年のいった……老女が着ているようなドレスであった。装飾品だって、とてもとても小さなピンクサファイアのイヤリングが両耳についているだけだ。
「今からパーティーに向かうのだぞ。分かっているのか!?」
出発前、馬車に乗り込んできた夫人の容姿を見た男爵はそう怒鳴り散らした。
横に立つパートナーの姿は、自分の格にも影響する。
これからパーティーに向かい、ピンクサファイア男爵家の再興を宣言するつもりであった男爵からすれば、出鼻をくじかれたようなものである。
唾を飛ばして怒る男爵に、男爵夫人はため息を付いた。
「準備の為の人手も金もご用意しなかったのは貴方ではありませんか」
「嘘を付け! 執事長や侍女長には準備を命じた。どうせ妙な反発心から、真面に受け取りもしなかったのだろう! お前は昔から、あの二人を嫌ってばかりであったからな!」
「はあ。そうでございますか。それでよろしゅうございます」
自分の言葉を肯定しているのに、態度はむしろ否定している。
反抗的な男爵夫人に、男爵は鼻を限界まで膨らませて、いらだちをまぎらわせるように夫人が座っている座席を蹴り飛ばした。大きく座席は揺れたが、男爵夫人の表情は変わらない、無であった。その態度も余計にいらだたせる。
もう殆ど覚えていないが、昔、若かりし頃は、もう少し違う反応を見せていたはずである。
夫人はいつも男爵に対して尊敬の眼差しを向けていた。いつだって男爵を立てていた、悪くない女であった。
それがいつの間にか、こんな態度ばかりになった。
(こんな女、こんな女ッ!)
夫人を見ていると、昔、彼女に刺された箇所が傷む気がする。
とうに跡すらなくなっているのに、今でも、あの瞬間を思い出せる。
その幻覚の痛みを我慢してパーティー会場までたどり着いた男爵であったが、会場で煌びやかな女性たちを見ていると、この古臭く埃っぽい夫人を横に置いておくのが我慢ならなくなった。
入場後すぐ、組んでいた腕を振り払い、どこにでも行けと命じてやった。
夫人はやはり反抗せず、大人しくどこぞへと歩いて行った。
一人になって身軽になった男爵は、手身近に、周囲を見渡し、顔見知りの人物の元へと向かった。ピンクサファイア男爵領の近隣に領地を持つ、領主である。やたら目立つ赤い髪の男なので、すぐに見つけられた。
「おお。久しぶりですなあ!」
「おや。このようなパーティーでお会いするとは思いませんでしたな。夫人はどちらに?」
ぴくりと男爵の頬が引き攣った。遠まわしにパーティーに呼ばれるような人物と思われなかったと言われたように聞こえたからだ。更に、今は話をしたくはない夫人の話まで振られた。
腹が立ったので、男爵はその問いかけは無視をした。
「実は先日、我が家に跡取りが生まれましてな!」
と、嫡男誕生を語る。
それを聞くと皆おめでとうございます、という言葉を知人は送ってきた。それが特に感情のこもってない言葉だとは気が付かないまま、男爵は言葉をつづける。
「我が家はこれで安泰ですわ! そういえば貴殿の跡取りはどのような人物でしたかな?」
そう問いかけると、知人は一瞬無言になったと、くい、と顎で少し先を指し示した。
そこには知人と同じ赤い髪色の令嬢と、令息が立っている。二人の態度から兄妹などではなく、若夫婦か、婚約者同士であろうという事は予想がつけられた。
「貴殿に良く似た御子息ですな」
その一言を行ったとき、知人は眉間に皺を寄せた。
「私の子は、娘だけですが」
男爵はぱちくりと瞬いてから、先程の二人組を見る。
どちらも目の前の知人と同じ赤い髪色なので気が付かなかった。
そして、先程の知人の言葉を咀嚼して、心底驚いた。
「なんと。貴殿は跡取りに恵まれなかったのか!」
「はははははははははは。……まさか、とても素晴らしい跡取りに恵まれましたとも。娘は貴族学院でも素晴らしい成績を収めておりましてね」
「だが女ではないか。はあ……、男に恵まれないとは、ご愁傷様な事で。我が家は先日玉のような立派な嫡男が――」
「ああ! 友人が呼んでいる。では、このあたりで」
男爵の言葉を切るように知人は口を開き、そして横にいた妻の肩を抱いて歩き去った。
妻の方は、男爵に視線すら向けず、挨拶らしい挨拶もせずに立ち去った。
(話の途中に遮って去るとは、何と失礼な! しかもあの女、他家の当主たる私に愛想もふりまけんとは!)
と、男爵は地団太を踏んだ。




