【103】ルイトポルトの社交界デビューの裏側でⅣ
先陣切って入室してきたホワイトオパールの男性に、慌てた様子で続いて入室してきたジョナタンが声をかける。
「ヘルムトラウト様っ、準備が整いましたらご案内すると申し上げました!」
「ジョナタン。儂は使用人が部屋にいようが構わない」
「ヘルムトラウト様が構わずとも、他の方はそうとは限りません」
「ふうむ」
どうやらジョナタンと、ヘルムトラウトという人物は親しい関係のようで、交わす言葉には気安さがあった。
「ジョナタン。儂はブラックオパールに迷惑をかけるつもりはない。甥の社交界デビューを邪魔などしたくないからな。だから大人しく、ここまで移動してきたであろう? 本当であればあの場で、決闘をしても良かったのだ。――おい! 何を縮こまっているのだ。早う来い!」
前半は、ジョナタンに対して柔らかめな声であった。
ところが最後、外に向かって声をかけるときには、その声は怒りが滲んだ声に、変わっていた。壁にいたルキウスたちも、身を固くする程に。
声をかけられて入ってきたのは、背中を丸めた男性だ。髪の毛も目の色もピンクであり、少なくとも、オパール三家の誰かではなさそうであった。
年齢はピンクの髪の男性よりも、ヘルムトラウトの方が明らかに若そうであった。けれど、様子はヘルムトラウトの方が数倍尊大であった。
ヘルムトラウトは先程ルキウスたちが用意して整えたばかりのソファに、腰かける。足を組み、肘掛けに肘をつき、頭を手に乗せた。先程までジョナタンと軽く会話をしていたとは思えないほど、眉間に皺が寄っている。
ピンクの髪の男性は、手を胸の前で組んで、冷や汗を流しながら、視線を右へ左へと彷徨わせていた。そしてやっと、勇気を出したように口を開いた。
「ほ、ホワイ――」
「――いつまでそこに立っている? ピンクサファイア男爵」
怒りの滲んだヘルムトラウトの低い声を聞き――ルキウスは、片方しかない瞳を見開いた。
幸いにも、ルキウスの変化に気を止める者は、この場にはいなかった。
ルキウスは、壁際から、ピンクの髪の男を見た。
背を丸めて、明らかに不安と恐怖に苛まれた老人のような男。
それはついさっき、助けた夫人の家名としても聞いた名前で――。
(ピンク、サファイア、男爵)
同名の人物がもし今日のパーティーにいなければ――先程ルキウスが助けた薄いオレンジの髪の女性の夫であり……ルキウスの妻エッダを愛人とした、貴族の名前。
ルキウスが育った町も治めている、領主の名前。
(こんな――こんな?)
それ以上続きそうであった言葉を、ルキウスは呑み込んだ。
酷く自分がみじめになる気がしたから。
――壁際のルキウスたちは、争っている人々からすれば、存在しない空気に等しい。彼らは壁際のルキウスたちに視線をやる事もなく、違いに見合っている。
ピンクサファイア男爵は、顔色を悪くさせて、動かない。
喋ろうとした言葉が遮られてしまい、次にどうしたらよいのかわからないようであった。
そんな老人のような男に、苛々を隠しもしない声色で、ヘルムトラウトが再び口を開いた。
「――いつまで。そこで立っているのだ? さっさと席に着け。先程の無礼の謝罪を受け取ってやると言っているのだ。この儂が、争いを無しにして、だ」
高圧的な物言いでヘルムトラウトがそう言い切った所で、ジョナタンが壁に張り付くようにしているルキウスたちを見て、「外に出て構わない」と声をかけてくれた。
救いの一声に、三人そろって何度も頷き、サッと外に出る。
ドアが閉まる直前、ルキウスはピンクサファイア男爵が腰かけるのを見た。
その顔は冷や汗を垂らし、どうこの場を切り抜けるか――それだけしか考えられないほどに追い詰められた、人間の表情であった。
「……ふう~! 圧が凄かったわね」
「ああ全くだ。ルキウス。お前はホワイトオパールの方とお会いするのは初めてだったか?」
「あら。狩猟祭の時にお会いしているのでは?」
沈黙しているルキウスに、同僚たちは声をかけてくれた。
「狩猟祭では……お話しする機会はありませんでした」
「そうだったのね。では少し驚いたでしょう。ホワイトオパールの方々は、有言実行、即断即決を掲げていらっしゃるの」
「つまり、怒りっぽいという事だ」
「ちなみに先程の方は、ヘルムトラウト8世・ホワイトオパール様ね。奥様の弟君で、次期ホワイトオパール伯爵の地位にいらっしゃる方よ。覚えておくに越したことはないわ」
ブラックオパール伯爵夫人ヴィクトーリアの弟であったようだ。だからジョナタンもああして、親し気な様子だったのかもしれない。
(思い返せば、甥の、という話をしていたような。甥というのはルイトポルト様の事だったのか)
そこに気が付いて、騒ぎの問題でルイトポルトに何か瑕疵が出来たりしなければ良いが……とルキウスは思った。
ルイトポルトが自分から問題を起こしたり、失態を起こす姿はあまり想像できない。特に、こうした社交的な場では。
ただ、周りから仕掛けられる可能性は十二分になる。
自分が何もしていないからこそ立ってしまう、自分の悪評というものがあるという事を、ルキウスは知っている。
「はあ……先程の貴族も運がない。何をしたかは知らないが……よりにもよって、ホワイトオパール伯爵家を怒らせるとは」
「ちょっと貴方。ホワイトオパールの人間が先に怒りだしたと決めつけるのは早計でなくて?」
「大方そうなのでは? ホワイトオパールはすぐに喧嘩をするからな……この前の狩猟祭では大きな問題を起こさなかった事が、殆ど奇跡だろう。本当に、ブラックオパールとは合わない方々だ」
あれこれと話す同僚たちの後ろを歩きながら、ルキウスははあ、と息を吐いた。
想定もしない、出会いばかりで、精神的な疲弊は伯爵家に来てから一番であったようにすら感じられた。




