【99】回想 断った褒賞Ⅱ
「確かにただのルイトポルトの従僕では到底釣りあいは取れない。だが、此度の狩猟祭の功績によって、もう十分つり合いが取れる」
伯爵はそういったが、ルキウスにはさっぱり意味が理解できなかった。
確かに巨大すぎる肉食ペリカンを仕留める事には成功した。だが、例えば戦場で重要な人物を仕留めたから功績で高貴な女性を結ばれる、というのは分かるのだが、あくまで祭りの中で仕留めただけの自分とメルツェーデス様を縁付かせようとする理由が、サッパリ分からないのであった。
それを察したかはわからないが、伯爵は言葉をつづけた。
「知っているだろうが、メルツェーデスは出戻りだ。子ができなかった故のな。……実際のところは分からぬ。だがメルツェーデスと離縁し、次の妻を娶ってからそう経たずにファイアオパール伯爵が子を授かった事から、問題があるのはメルツェーデスとされている」
男は妻を変えてからすぐに子ができた。
となれば、問題は、前妻にあるとするのは、当然の流れであろう。
「あれは伯爵家の娘として幼き頃より教育を施されており、上位貴族の夫人となり家をまとめる能力を持つ。出戻りとはいえ、伯爵家で無駄に過ごすのは哀れだろう。しかし、子が出来ぬのであれば簡単には別の家に嫁には出せまい。跡継ぎがおり、後妻に後継者作り以外を求める貴族もいるが、条件がすりあわず、あれは今になっても次の嫁ぎ先を得られていない」
ルキウスは貴族と平民の壁を見た。
伯爵にとっては、婚姻とは、男女の情愛以前に、契約なのだ。
伯爵が満足のいく見返りのある婚姻の打診があれば、きっとメルツェーデスは当に再婚していたのだ。
ただたまたま、条件に当てはまる人物が――家がなかったから、再婚する事なく、メルツェーデスは伯爵家にとどまっていただけなのだ。
確かに平民だって、都合のために結婚する事はある。田舎になればなるほど選択肢もなく親の決めた相手と結婚もするだろう。
だがある程度の町となれば、前提として男女の情愛をはぐくんでから結婚するというのが、今は多いのだ。無論、結婚するには相手の親に認められる必要などもあるが……前提で、やはり、恋愛をしてから結婚――というのが多くて、ルキウスも、その手の価値観の中育ってきた。
(貴族と俺は、全然違う……)
そう思っている間も、伯爵は言葉を紡いでいる。
「他家との関係の強化に使えぬのであれば、分家に嫁がせるべきであろうが――我が家のしがらみについては、トビアスから聞いているだろう」
「……はい」
三オパール家の確執。
それを発端とした、本家と分家の間にもあるという、溝や問題だ。
「下手な分家には本家の血はやれん。かといって、やれるような分家では、メルツェーデスが子を作れぬ故に問題となる。実際、メルツェーデスをやれるような分家からは、軒並み、メルツェーデスへの婚姻の打診はない」
他家も駄目。
分家も駄目となると、メルツェーデスの行く先は……。
「後は、我々の親世代の人物を看取るために嫁ぐなどの選択もあるが――我が妻ヴィクトーリアはメルツェーデスを実妹のように可愛がっている故、その手の婚姻は許さぬ。……だが、今はよくとも、将来、ルイトポルトの妻となる女性にとっては、メルツェーデスは扱いにくく、邪魔な存在となるだろう」
今のルイトポルトにはまだ婚約者がいない。
しかしどこかの家の令嬢を最終的に妻として貰ったとして。
確かに、夫の実の母だけでも気を遣うのに、嫁いでいない夫の叔母までいて、しかもそちらにも気を遣う必要があるとなると……。
メルツェーデスはルイトポルトの妻を歓迎して受け入れるだろうが、人によってはかなりストレスを感じ、どのような態度を取るか、困る事になるかもしれなかった。
「いつまでも今の形で伯爵家には留め置けぬ。故に、今後、良い条件を伴う後妻としての申し入れが無ければ、メルツェーデスには新たに男爵位を与える事になるだろう」
ジュラエル王国の貴族の爵位は、男女共に得る事が出来る。
新しい家を作る時は、男が受け取る事の方が多いが、女が受け取る事も可能だ。メルツェーデスを当主として伯爵家の分家を立てる事は、そう難しくないのだという。
ルキウスには難しい話ばかりだが、なんとか、追いついて聞いていた。そしてそこまで追いついて、疑問を抱く。
それで丸く収まるはずだ。自分を、彼女の配偶者にする必要性などないのでは、と。
「思考が顔に出ている」
と、伯爵に言われて、ルキウスはギョッとなった。
「問題は、女男爵となったメルツェーデスの連れ合いを狙う貴族たちだ。かなりの数現れるだろうな。何せルイトポルトが、メルツェーデスによくなついているのは、調べればすぐに分かる」
今代伯爵の妹として伯爵に顔が利くだけでなく、次代の伯爵にまで顔が利く。
子が出来ぬとも、自分の代だけでも伯爵家から利益を得られると考えれば、メルツェーデスを最高の結婚相手だと考える人間はいるだろう。
「メルツェーデスに問題が起こりえる配偶者を得てもらっては困る。……そこで、お前だ。ルキウス」
伯爵の手が、語りに合わせてルキウスに向けられた。
「ルイトポルトの命を救い、メルツェーデスの命も救い、更には、此度の狩猟祭では名だたる騎士たちを押し退けて、後世まで語り継がれる事になるだろう獲物を仕留めた、弓の名手」
あまりに過ぎた肩書だ。
他でもない伯爵から語られる事で、その恐ろしさに気が付いてルキウスは震えあがった。
「此度の褒賞として、将来を約束するものとして、メルツェーデスとお前を婚姻させる事は、十分に釣りあいが取れる」
答える言葉に迷うルキウスに、ジョナタンが補足を入れた。
「主人の信頼における侍従とはいえ、身分が平民では、入る事が出来ぬ場所が出る」
場所によっては、身分が平民な使用人は、主人に付き添う事が許されない。では貴族になるしかないのだが――完全な平民が貴族になるには、貴族の配偶者になるしかない。配偶者になれば、自分も一応貴族として扱われ、子共も貴族を名乗る事が出来る。
メルツェーデスと婚姻すれば、伯爵家の縁者になるので、次期伯爵であるルイトポルトの侍従として傍に仕えるに足る。
こうした背景から、貴族との婚姻は平民が受け取る、最上級の褒賞の一つだった。
これから先、ルキウスが正式な侍従となって生きていく事を前提となるが――拒否する理由がないぐらい、彼には利点しかない褒賞であった。
それらの説明を聞いて、最終的に――――ルキウスは断った。
やはり、自分は貴族になるような人間ではない、と言って。
その答えを聞いた伯爵は、残念がるでも喜ぶでもなく、
「そうか」
とだけ答えたのだった。