【98】回想 断った褒賞
褒賞が完全に決定する、前の事。
ルイトポルトの社交界デビューのパーティーに参加するため、必死に学んでいたルキウスは伯爵から呼び出しを受けた。
伯爵の執務室には、伯爵と、執事のジョナタンだけがいた。
今まではトビアスやオットマー、或いはルイトポルトがいる場でしか、伯爵とは顔を合わせた事がない。ジョナタンがいるとはいえ、ルキウスは貴人に対するマナーを必死に思い出しながら、緊張していた。
リュディガー・ブラックオパール伯爵は、入室したルキウスに着席を促してから、褒賞の件についてだが、と前置きした後、こう尋ねてきた。
「ルキウス。親しい女人はいるか」
予想外過ぎる質問にルキウスは一瞬惚けた顔をして、それから首を振った。
親しい女人――恋人や妻という事である。
妻、妻といえば、いる、いやいた、いたが、今のルキウスには、そういう相手はいない。今、元の自分の戸籍の婚姻関係などがどうなっているかは、分からないし、調べたいとも思わない。
それにしても、伯爵という人物に何故自分の恋人の有無などを尋ねられているのか――この時点ではルキウスは、何も予測も立てられなかった。
伯爵はそうか、と頷き、それから、ルキウスにとってはまた随分離れた内容の質問をしてきた。
「メルツェーデスとは以前からそれなりに関りがあるだろう。どう思う?」
難しい質問である。
何を試されているのかサッパリ分からないが、この手の質問で間違いを犯せば、最悪首が飛びかねない。
そんな事を思いながら、ルキウスは逃げまどいそうになる視線を必死に一点にとどめつつ、ぽつり、と答えた。
「る、ルイトポルト様の叔母君で、る、ルイトポルト様が、よく、ええと、とても、慕っておいでです」
「それはルイトポルトとの関係性であろう。お前は、メルツェーデスをどう思っているかと問うている」
汗が体中から噴出した心地になった。
メルツェーデスをどう思っているか。
メルツェーデス。
メルツェーデス・ブラックオパールの印象。
青い瞳の、あの貴婦人の、話。
「お、おう、おうつくしい、方、だと」
貴族は皆美しいと思うので、あまりに無難というか、時と場合によっては誉め言葉にすらならなさそうな言葉であった。でもそれが、今のルキウスから出てくる、ギリギリの言葉であった。
伯爵はふぅん、と言い、沈黙する。
汗が出て、片方しかない目が、だんだん、ぐるぐると、回してもいないのに回っている。
ドッドッドッと体の中で血が跳ね回っていた。
意識が遠のきかけそうになるルキウスを見かねて、伯爵の傍らで黙していたジョナタンが、口を開いた。
「リュディガー様。ルキウスを虐めるのでしたら、後ほどルイトポルト様にご報告申し上げますか」
伯爵はその言葉に傍らの執事を見上げ、それから頷いた。
「そうだな。ルキウス相手に、婉曲した表現も要らぬだろう」
二人の間には、気安さと親しみがあるとルキウスは思った。きっとジョナタンも、昔から伯爵家で働いているのだろう。
そんな事に意識が逸れたルキウスは、自分を真っすぐに射貫く伯爵の赤い瞳に、背筋を慌てて伸ばした。
「ルキウス。メルツェーデスを娶る気はあるか」
「……………………………………………………」
伯爵の言葉がルキウスは理解できなかった。
「……………………………………………………え?」
ゆっくり、その、言葉を咀嚼する。
(めとる。娶る。……結婚する?)
ザッ、と血の気が引く。
「ご、冗談、です、ございます、よね?」
「私はこのような冗談は口にしない。ルキウス。よく覚えておくといい」
「な、何故……? わ、わたし、では、とても、釣り合いません」
伯爵の表情は穏やかで、微笑んでいる。けれどその瞳が、息子とよく似た赤い瞳が、どこか鋭さを伴って、ルキウスを射貫いていた。
「理由が分からないか? ――お前は都合が良いのだよ」
詳細次回に続きます