人間
「佐伯……」
そう呼びかける平里の声は、何も感情が籠っていないかのように平坦だ。僕に剣を向けている人物……佐伯と呼ばれた彼は、怒りを抑え込んで平里たちのことを睨み付けている。本当の意味で彼の気に障っているのは、僕の存在か、はたまた平里の態度のどちらだろうか。
……ふぅ。それにしても伏せたままで見上げるのは結構キツいな……。体勢変えたいな、でも切っ先が近過ぎて正確な距離が掴めないし危なっかしくて動けないや。
まさに一触即発の空気の中。もぞもぞと顔の向きを試行錯誤してみるけれど、あんまり意味はない。うつ伏せだから仕方ないか。
っていうか……これってもしかして、僕が人質にされてる?平里を差し置いて、僕が。
うわ、どうしよう、初めてだ。前世では有名人だったから僕を人質にしようなんて奇特な人いなかったし、今世だって村に篭ってばかりでこういう状況に遭遇したことなかったから。
……言ったら絶対怒られるけど、こういう状況ってちょっと憧れがあったんだよね。なんかこう、守る側にしか立ったことないから、守られてみたかったというか。気持ちが知りたかったというか。
世の大半の人間は弱い。だから守られる側の気持ちを知ることができれば……そうすれば僕はもっと上手く立ち回れる。サヤと平里に好かれる人間になれるはずなんだ。
生育環境による感覚のズレは仕方がないものだ。だから見せて欲しい、教えて欲しい。
僕が『人間』のままで踏み留まれるように。
「……何か言ったらどうなんだ。
答えろ、羽世。お前は……お前たちは、俺たちを裏切っていたのか!?」
「……」
平里は何にも言わない。僕に剣先を突きつけたまま問う佐伯の声は不安そうだ。
裏切られたのかもしれないと思っているのに、希望を捨てきれない。本当は僕に剣を向けることすらも怖い臆病者。
キラリと光る鋭い刃は、今も小刻みに震え続けている。
かわいそうに。
本当にかわいそう。
「可哀想だね」
「っ!?」
僕がそう呟くと、息を呑む音がしてあからさまに剣先がぶれた。その隙に僕は抜け出して立ち上がった。
もう少し観察していたかったけど、このまま長引かせても無意味そうだったし。欠伸が出そうだ。人質は退屈過ぎる。
僕が軽く土を払って佐伯に目を向けると、彼は動揺したかのように眼球が動いた。それでも視線があまりブレなかったのは、本来の気質の表れだろうか。
軍服のような格好は平里たちとお揃いだけれど、装飾からして地位は高そうだ。長い上着の裾から覗く金属は銃の一部だろうか。
暗い茶色の髪に、黒い目。昔の僕みたいに凡庸で特徴のない色合いだ。顔立ち、は……三白眼気味でキツめとはいえ悪くはないのかもしれないけれど、やっぱり平里と並ぶと見劣りするなあ。
彼から異能の気配は感じられない。霊力も魔力も持たない彼が、一体どうしてそんなご大層な格好を_____ああ、その色は平里の方が似合うのにな。
「……神原!やめろ!」
「なんで?」
平里の声に、とりあえず伸ばしかけた腕を引っ込める。今まで何もしなかった平里が制止してきたってことは、どうやらまた僕は間違えたらしい。
あーあ、面倒だな……いくらあの頃の諸々の代償とはいえ、1回死んだら元に戻してくれたら良かったのに。ただでさえ世間一般的じゃなかったのにさ。
「なんで、って……お前、だって……」
「?えっと……あ、もしかして金色好きじゃなかった?似合うと思ったんだけど。」
「違う。問題はそこじゃない。」
「え、あー……なら、勝手に動いたこと?確かに刃物は危ないけど、僕ならすぐ治せるし……」
「そうじゃない!……お前、お前まだ、分かっていなかったのか……?」
「何を……あ、もしかしてこの人って平里の大事な人だった?僕よりも?」
「神原、お前_____本当に何がダメなのか分からないのか!?」
……どこを間違えた?
少なくとも、この人が来るまでは大丈夫だったはず。だって叱られなかったから。
何がダメだったんだろう。「可哀想」って言ったこと?勝手に立ち上がったこと、は違うんだっけ?佐伯の姿を凝視したこと?あの房飾りに平里の方が似合うって思ったこと?
……分かんない。でも、分からなきゃサヤにも平里にも嫌われる。2人は僕とは違う。僕と違ってちゃんと『人間』なんだから。
『普通』にならなきゃ。じゃなきゃ嫌われる。
そんなの絶対嫌だ!
「……ごめんなさい。分かんないから教えて……?そしたら、そしたら今度からはちゃんとするから。」
ちゃんと反省するから。
ちゃんと言うこと聞くから。
ちゃんと『普通』になるから。
だからそんな顔で僕を見ないで。ねぇ。見捨てないで。怖がらないで。
「平里……?」
僕、ちゃんとまだ『人間』だよ。『神様』になんかなりたくない。
信じ切っていた過去はもう取り戻せないけれど、今からだってきっと何とかできる方法があるはずなんだ。だってそうじゃなかったら、そうじゃなかったら僕は_____。
逸らされた空色の瞳に、どくんと心臓が大きく鳴った。どうして?なんで君がそんな傷ついた顔をしてるの。僕のせい?
でも、僕、僕だって好きでこんなふうになった訳じゃないのに。僕と神様の境界が曖昧になるって分かったって、あの頃の僕らに他にどんな方法があったというの。選択肢なんか無かったのに。
見捨てないで。嫌わないで。
怖がらないで。
嫌だ。
分かんない。
分かんないよ。平里。僕はどうしたらいいの?何が間違ってたの?
目の周りが強ばって視線が動かせなくなる。さっきまでは平気だったはずの気温の中で、僕だけが凍えそうになる。足も腕も重くて動かせない。
……怖い。怖いよ_____
「……え!?神原先輩!?」
「茜塚様!ちょっとお静かに……!!!」
「時雨さんもうるさいですよ。」
「喧嘩は良くないぞ。」
「そんなこと言われなくても分かってます!」
「先生……」
「先生って年相応な部分もあるんだ……」
「あはは。」
この声、は。
この霊力、は。
なんでここにいるの。こんな危険地帯にいていい子たちじゃない。
弱いくせに。弱いくせに!すぐ死んでしまうくせに!どうして来てしまったんだ!
「……どうしてここに?弱いんだから大人しく引っ込んでれば良かったのに。」
僕がくるりと顔を向けると、2人はびくりと肩を震わせてこちらを見た。まだ幼い、ここで死ぬには早すぎる顔だ。……そういえば、こうしてきちんと顔を見ることもしたことなかったな。サヤは2人のことをよく見ていたのに、それまで考えつきもしなかった。
お互いに遠ざけていたって、前世よりはちゃんと家族だったのに。でも、僕には今更歩み寄る方法なんか分からない。
だからせめて、僕は僕のできることをしよう。
「ねぇ、時雨。……どうして京と百合を連れてきたの?この程度の判断すら自分でできなかった?」
僕の問いかけに、白装束で肩を寄せ合う双子の傍ら、黒子姿の従者は面布の下で目を逸らしただけだった。




