狢同士
じゃり、じゃり、と髪を踏む音がうるさい。
それ以前に、僕はどれくらいの間倒れてたんだろうか。
少しずつ明瞭になっていく視界の端で楽しげに拍子を取っている革靴。その能天気さに自分が全く脅威と思われていない事実を突きつけられて、僕は小さく歯噛みした。
でも、油断しきってくれてるなら好都合だ。僕のことを「弱い」と侮っている隙に、僕は僕のやるべき事をできる。
……でも、ちゃんとできたとして……平里は、風早さんは、気付いてくれるだろうか。……まぁ、やらないって選択肢はないから、気付いてもらえるもらえないはもう信じるしかないんだけど。
分の悪い賭けだって思う。けど、僕の頭じゃ他に方法があったとしても思いつけない。……こういう時、サヤが居てくれたら良いのになって、本当に思う。
足の下に敷かれている、今はサヤのものでもある長い髪。だけど、踏まれたままじゃ動けない。だったら……切り離すしかないか。どうせ汚れて傷んでしまったのだし、そうする他ないだろうし。
勝手なことして怒られるかな、と思いながらも首の辺りで髪を切り落として飛び退くと、彼岸の主はゆっくりとこちらに顔を向けた。かくん、と落ちるように傾げられた首が人形みたいで、背筋に冷たさが走った。
「……なぁに?まだやるつもりなの?」
「当たり前でしょ……」
僕が睨めつけながらそう返すと、彼岸の主は心底嫌そうな顔をした。冷たい風に乗って周囲を揺蕩う彼女の髪が蛇か蜈蚣の類に見えて、薄らと本能的に拒絶反応を覚えてしまう。
きっと神様由来のただの性質だ、って自分に言い聞かせて嫌悪感を緩和しようとするけれど、やっぱり覚えた恐怖は消えてはくれない。
「怖いのでしょう?嫌なのでしょう?だったら、どこか行ってくれないかしら。せっかくの再会を邪魔しないでくれない?」
「……はぁ?先に構って来たのはそっちでしょ。サヤに手出しといて、都合良いこと言わないでくれない?」
「片割れ?双子でもないのに?」
「別に良いでしょ、血縁はあるんだし。」
「そう……でもあなた、怖がってるじゃない。そんなに怯えるくらいなら、さっさと逃げたら良いのに。」
……見透かされてた。これが経験の差ってやつなんだろうか。
そりゃあ、僕だって逃げても良いのなら逃げたいよ。あの時は2人だったから立ち向かえた。1人の今は、正直立っているだけでもやっとだ。
だけど、だけどさ。
ここで逃げたらきっと、黒雷は奪われてしまう。だって八雷神は、伊邪那美命に付き従っていた。なら、そのうちの一柱でしかない黒雷だってきっと同じだ。彼女を前にした今、サヤを見捨てる可能性が高い。
権能が無くなるだけならまだいい。だけど、もしサヤの精神が損傷してしまったら?もう2度と起きなくなってしまったら?
……そんなの、耐えられる訳がない。許してたまるか。
やっとまた会えたのに、奪われてたまるか。
僕はどうなったって良い。サヤがいなきゃ何にも意味がない。
僕にとって大事な人なんて、サヤと平里しかいないのに。
ふたりが居なきゃ、世界は何の意味も持たない。ふたりが居ないならこんな世界、ぶっ壊れてしまえと、ずっと……。
「……逃げないよ。サヤが居ない世界なんて、意味がないから。」
「いない、って……可能性のお話でしょう?」
「じゃあ聞くけど。もし、その……ホマレって人が同じように依っていた神様がいなくなるかもしれない、精神が損傷するかもしれない、ってなったときに冷静でいられるの?自分の為だけに逃げ出せるの?」
「無理に決まっているでしょう?私には穂稀以上に大事な存在なんて居ないんだから。」
彼女の言葉に僕は確信した。
この人も僕と同じだ。大切な存在のためなら何だってしてしまう、倫理観すらかなぐり捨てて抗えてしまうのだと。
だからこそ僕には分かった。ここで阻止しなきゃ、何もかもが手遅れになってしまう。
そのホマレって人がどんな人かは分からないけど……少なくとも、まともな感性をしていたら彼女のこの手段は受け入れられないだろうなぁ。だけど、僕たちみたいな愛深き故に厄災を起こすような人種は、拒絶を受け入れられない。
相手が自分のことを制圧して止めることのできるくらい強ければ良いけど、そうでないならその先に待つのは……惨劇しかない。
「でしょ?同じだよ……きっと、あの頃の僕と、今のあなたは似てるんだろうね。」
どうにかして気付いて欲しくて、僕はゆっくりと微笑んだ。僕と違って止めてくれる人の居ない彼女に同じ轍を踏まないで欲しい。でも、直接言うだけの勇気は持てなかった。
彼女は僕の顔を見て怪訝そうに眉を顰め、数秒ほど考え込んだ。
「どうかしら……少なくとも、私は貴方と違って穂稀を死なせたことはないもの。」
「そうかもね。まぁ、あなたの場合はどちらかと言うと『死を取り上げた』んじゃない?
……結局は同じだよ。大事な存在のために、同じように摂理をねじ曲げてやり直してる。あの頃の僕と今のあなた、時間軸を進めるか否かくらいの違いしかないと思うけど?」
みっともなく足掻いたこと。何が正義で何が悪かも分かないまま、たったひとつの手段に縋ったこと。その手段のために、大事な人を何度も失ってしまったこと。辛くて苦しくて、でも助けを求められなかったこと。
それでも、それでもずっと愛していること。
僕らの本質は変わらない。未熟なくせに身の丈に合わない力を手に入れてしまって、子どもみたいに終わりを拒絶し続けている。
僕が変われたのは平里が見捨てないで叱ってくれたおかげで。サヤが手を引いてくれたおかげで。……あと、風早さんとか……見守ってくれた人たちもちょびっとだけ、ほんのちょっとだけあるかもしれない。
それがなかったら、きっと僕も同じように成れ果てていた。だから、だから絶対。
「……あなたにこれ以上、奪わせる訳にはいかないんだよ。」
これ以上、僕とよく似た彼女が堕ちてしまわないように。
僕の言葉に彼女____ミクラサラは呆れたような顔をした。当たり前だ。さっきボコボコにされたばっかりだし。「何言ってんだこいつ?弱いのに?」くらいのことは思われてても仕方がない。
……サヤが起きて、平里に再会できて……あ、あと風早さんも居たっけ。
小鳥遊のあの光も、ちゃんと子孫に受け継がれてたのは嬉しかったな。……サヤに手出そうとするのは気に食わないけど。初対面から馴れ馴れしくなかった?あいつ。
……幸せだった。幸せだったんだ、ちゃんと。
だから_____僕は何だってできる。ふたりが幸せの中にいられるなら、この命だって惜しくはない。
ふたりが知ったら怒るだろうなぁ、と頭の隅で考えながら、僕は僕の神様に願いをひとつ掛けて爪先に力を込めた。




