ダンジョン
光の奔流が収まり目を開くと、洞窟らしき場所にいた。転移装置の上から下りると、濡れていたのかゴツゴツとした岩場で滑りかけた。湿気を含んだ風が、鍾乳石から滴っている雫を散らせていった。
じっとりとした冷たい空気の中で、あることに気付いた私は即座に周囲を警戒し始めた。
この威圧感___どこかに乙等級、もといB級相当のがいる?マズイな…杞憂で済まなかったか。
今すぐ引き返したいところだけど言ったところで信じられないだろうし、行くしかないんだろうけど…今の2人じゃ心許なさすぎる。
私は手早く連絡先を開いてメッセージを送ると、鈴代たちの方を向いた。
「古賀さん、緊張してるの?」
「少し…でも大丈夫です。動いていたらそのうち解れますから。」
「そう?無理しないでね、怪我しちゃったら大変だもん。」
「ね!」と鈴代が若村の顔を見て首を傾げると、若村も神妙な表情で頷いた。
「ともかく、先に進みましょう。ここがどの辺かだけでも把握しておかないと。」
「そうですね。帰り道が分からなくなったら危険ですから。」
私はにこやかにそう返すと、視界右下の未完成の地図に視線を移して頷いた。
***
「…っよし!」
およそ10分後。
丁等級相当の蛙に似た怪異の核石を拾い上げると、若村は嬉しそうに笑った。
核石なんて昔は無かった気がするんだけど、もしかして陰陽師___霊力を使う人がいなくなったことと関係してるのかな。
頭の片隅でそう考えながら魔導拳銃を下げて若村の方へ駆け寄った。
「初討伐、おめでとうございます。」
「あ、ありがとう…あとは古賀さんだけね、まだ1体も倒せてないの。」
「そうですね。まあ、まだ始まったばかりですし焦らなくても良いでしょう。」
照れながらも私の得点のことを心配する若村に、少しきゅんとした。
かっわいい〜…昔の同期もこんな感じだったな、かわいい〜。
そんな霊域内部とは思えないほどの和やかな空気を切り裂くように、一筋の悲鳴と足元から這い上がってくるような悪寒が走った。
「ッッキャァァァァァァァァ!?」
この気配は高位の___!
「ッ!2人とも!一旦転移陣の方へ引き返して___」
「助けなきゃ!」
「ちょっとリンリ!?」
「鈴代さん!?」
鈴代は話を聞かずに悲鳴のした方へ駆け出した。制止しようとした若村の手をすり抜け、どんどん鈴代は遠ざかっていった。
「古賀さん!追いかけるわよ!1人行動は危険だもの!」
「…〜っ、ああもう!」
こうなったらヤケクソだ。私は走り出した若村の後を追いかけた。
最悪魔力だけでは勝てなくても『あの人』が来るまで時間が稼げればいい。
でも、どのくらいかかるんだろう。
「若村さん!このれい、じゃない。ダンジョンって寮からどのくらいですか!?」
「え!?えっと…たしか10kmも離れてなかったと思うけれど…一応敷地内らしいし」
「!」
10km以内なら1時間ほどで来れるかな?それなら単騎で臨んだ方が時間は稼げそう。
注意を引き付けて生徒たちを逃がせれば希望はある。
ギリギリではあるけれど、分の悪い賭けってほどじゃない。なんとか活路を見出して岩陰にしゃがみこんでいた鈴代に追いつくと、そこにはうねうねと蠢く、3体の巨大な砂色の蟲がいた。
視認した瞬間、ピロンっと音が鳴って視界に黄色と黒の縞模様で囲まれた画面が表示された。
『Bランク:サンドワーム』
「___砂蚯蚓!?」
なんでこんな湿気のすごい場所に…!?もっと乾燥している、砂漠みたいな霊域にしかいないんじゃ…!?
画面を2度見しながらも魔導拳銃を構えて岩陰に身を潜める。こんなオモチャじゃ硬い外殻を持っている砂蚯蚓相手にはどうにもならないけど、ないよりマシ。
砂蚯蚓の集まっている方へそっと目をやると、そこには結界装置に魔力を込め続けている雪村がいた。一緒にいた2人は腰を抜かしたのか、雪村の背後でしゃがみこんで震えていた。
砂蚯蚓たちは結界をガンガンと絶え間なく打ち付けていて、結界は今にも砕け散りそうなほどバチバチと不安定に揺れていた。
あれだと…保ってあと2、3分ってところだろう。
「…」
どうしよっかな。他の子達なら助けたかもしれないけど…。あいつらは性格も悪いし弱いし…別にどうなろうと知ったこっちゃないなって感じ。
「鈴代さん、若村さん。あれは私たちじゃ敵いません。やっぱり戻って救援を___」
「それじゃあ、雪村さんたちはどうなるの…!?」
「それは…」
助からないだろう、とは言えなかった。みるみる潤んでいく鈴代の目と後輩の姿が重なって、言葉に詰まった。
「でもリンリ、ここで助けを呼びに行かなかったら彼女たち以外にももっと犠牲が出るかもしれないのよ。だから…」
「でも、でも!」
幼子のように駄々をこねると鈴代は私のジャージの胸元を引っ張って顔を埋めた。
「古賀さん、古賀さんならなんとかできるんでしょ…?わたしのこと、助けたみたいに…」
「…」
彼女たちに絡まれていただけの鈴代と砂蚯蚓に囲まれた雪村の状況は遥かに違う。とはいえ、できないことは無い、と思う。でもそれはこんな拳銃なんかじゃなくてもっと私の根底の___『久山楓』の___。
私が惑うように口の端を引き攣らせて黙っていると、沈黙を破るように結界の向こうで雪村が叫んだ。
「わたくしは…!わたくしは雪村なんですのよ!仲間を見捨てて生き残るなんてできませんわよ!」
ハッとしてそちらを振り向くと、結界装置に魔力を込める手は止めずに背後の2人に呼びかけている雪村氷花の姿があった。
…そうか。いいね、こんな状況でそんな風に言えるなんて。とってもいいと思う。私、こういう子好きだな。
気が変わったよ。
「古賀さん…?なんで笑ってるの…?」
「…そう見えますか?」
恐ろしいものを見たように鈴代はジャージからぱっと手を離して若村の後ろに隠れた。
「あー…お2人は転移装置まで戻って救援を呼んできてもらえますか?」
「…古賀さんはどうするの?」
「なんとか、やってみます。」
口を手で覆い隠しながらそう返すと、若村はこちらを警戒したままじりじりと後ずさった。
そこまで警戒するほど怖かったの?なんかちょっと寂しい…。
「…無理はしないでよ。」
「はい。お2人も気を付けて。」
ダっと来た道を駆け戻る2人の背中を見送ると、私は砂蚯蚓の方へ向き直った。
「さてと。やりますか!」
頬を軽く叩いて気合いを入れると、私は岩陰から飛び出して砂蚯蚓の背後へと突っ込んでいった。