ここにいて
かくして、2度目の鬼ごっこも無事終わった。
今度は1度目よりもかなり奮戦したこともあって、2人とも肩で息をしている。
特に高梨なんて疲れきってしまったようで、ぐったりと木に寄りかかっている。
ずいぶんと体力を消耗してしまったみたいだから、山を下りる前に一旦休憩を挟むことにした。
山での遭難って下山時が多いらしいからね。しっかり休んでからの方が安全でしょ。
ザアザアと雨音のような風の音が、絶え間なく木々の合間をすり抜けていく。
汗をかいて火照った肌が冷えて気持ちいい。
帰りは駆け足しない方が良いかな、とか考えていると、ふと、森の中から異質な気配がした。
木々のざわめきに紛れてしまいそうなほど小さな違和感。
これは___まさか結界?
「……時雨さん。」
「古賀様?どうかいたしましたか。」
「なにか感じませんか?」
「何か……と、言いますと?」
森の奥を指して尋ねて見ても、木の上の時雨さんは首を傾げるばかりで気づいていない。
ってことは、相手は少なくとも時雨さんより数段強いことになる。
倒木に腰掛けている茜塚にも気付いた様子はない。
「分からないなら良いんです。……少し離れます。場合によっては合図するので2人を連れて家まで戻ってください。」
「古賀様、何かあったのですか?それならば我々も___」
「必要ありません。足手まといにしかなりませんから。」
焦りで時雨さんを突き放すような言い方をしてしまった。
けれど時雨さんは気にする素振りもなく、ただ恭しく頭を下げただけだった。
「……ご武運を。」
「……ありがとうございます。くれぐれも、2人をお願いしますね。」
すっかり疲弊して私たちのやり取りにすら気付かない呑気な2人を一瞥して、私は奥へと足を向けた。
***
鳥の羽ばたき、獣の足音。
木々の枝葉を触れ合わせる音、風が森を揺らす音。
それらに紛れるようにひっそりと木の上を進む。場合によっちゃあ下りた方が良いけれど、猛禽類もいれば木の上に登っている狐もいるから問題はない。
さすがに小動物とかしかいない場所でやったら気配が大きすぎてバレるからね。
小動物と比べて人間の体格はかなり大きいから、音の鳴る範囲が明らかに広くて周囲と比べて異質になってしまう。
異質すぎてバレなかったら相手の練度を哀れむレベルだよ。
近付くほどに違和感は小さくなって、正確な位置が掴めない。
モザイクのタイル画みたいに、遠くから見れば分かるのに至近距離だと何も分からなくなるアレ。上から見ると絵になってるのに田んぼに入ると色の違いすら分からなくなるアレ。
この間合いなら気付かれててもおかしくはないし、攻撃されそうなものだけど……やり過ごそうとしてるのかな。
だとしたら厄介すぎる。
敵かもしれない以上、このまま放置する訳にもいかないのに。
そうっと別の枝に足を乗せて、おおよそ目星をつけた地点に視線を巡らせ続ける。
どこ?どこに潜んでる?
開けた場所に大きな岩がひとつ。
枯死している小さな木が2つ。
周囲をぐるりと囲むように草木が繁る。
どれかが幻覚?
それとも……どれも本物で、迷彩みたいに隠れてる?
分からない。
どうしよう、分かんない。
私しかいないのに!
これ(気配探知)だけは兄さんにだって負けたことがないのに!
焦っちゃダメなのに、焦燥感が募っていく。軋ませただけの腕の痛みが酷く思えてくる。
気配に動きはない。だから焦らなくてもあの子たちは大丈夫なのに。分かってるのに。
なのに、心音が落ち着いてくれない。
これだけの結界が張れるってことは、最低でも私と同等か……それ以上に強いはず。
その事実が怖い。
……戦うなら相打ち覚悟で良くっても、既に出し抜かれていないとは言いきれない。
合図を出して茜塚たちを逃がすべきか。
勘で突っ込むべきか。
位置を割り出すために広範囲に権能をぶっ込むべきか。
考えて、考えても最善策が思い浮かばない。
冷静になれない。
ぐるぐると思考が混濁して目眩がする。
私以外どうにもできない相手なんて、久しぶりで。
敵わないかもしれない相手なんてまだ片手で数える程しか遭遇したことなくて。
そんな相手に1人相対したことなんて初めてで。
焦って、焦って、焦りすぎて。
つい、足を滑らしてしまった。
「……あっ」
半秒遅れて理解した時には、地面目掛けて真っ逆さまだった。
このままじゃ地面に___と全身から冷や汗が噴き出した。けれど身に染み付いた動きというものはすごいもので、気付いたときには反射的に受身をとってごろごろと地面を転がっていた。
……危なかった。
そう安堵したのもつかの間。
相手の間合いに入ってしまっているであろうことに気づいて背筋が凍った。
どうする?
どうすればいい。
手を出してくる気配はない。けど、これは……確実に目の前にいる。
見えないけど、完全に勘でしかないけど。
目の前の大きな岩と私の間に誰かいる。
後ろに飛び退くべきか。
このまま突っ込むべきか。
いずれにせよ、権能は使わない方がいい。
だって結界に霊力無効化が施されていたら、ただの加害意志の表明になってしまう。
すぐに跳べるように獣みたいに蹲ったまま前方を睨みつけていると、不意に結界が解除されて相手が姿を現した。
喪服みたいな真っ黒な軍服。伸びっぱなしの黒い髪。
そして___見慣れた空色の瞳。
「交戦意思はない、と言ったら見逃してくれるか?」
彼は以前より少しやつれた顔で、困ったように笑った。




