巡り回って②
「……時雨か。」
『彼の方』は高梨の腕を掴んだ人物___面布さんを横目で見遣ると、鬱陶しそうに呼びかけた。
「ご歓談中に申し訳ございません。少々お耳に入れたいことがございます。」
面布さん___時雨さん?は高梨から手を離して間に割って入るようにしてそう言った。その様子に『彼の方』は呆れたように小さくため息をついた。
「これが歓談してるように見えますか?」
「え?満更でもなさそうな顔してましたよね。」
「節穴か?……んん。で?何かあったんですか?」
『彼の方』が時雨さんをじとりと睨みつけながらそう尋ねたが、当の時雨さんは全く気にもとめずに飄々とした態度だった。
仲良し?それとも仲悪い?
どっちにせよ、いい時来てくれたな。これで高梨から離れる口実ができた訳だし。
「はは。残念ながらこう見えて視力はいいんですよ、古賀様。」
「はー?そういうことじゃねぇ…ですけど?」
楽しそうに自分を指差す時雨さんと対照的に『彼の方』はむすっと不機嫌そうだ。
多分これは…仲良しっぽい?かも?
もしかして、乳兄弟的なあれなのかな。お屋敷だし、乳母さんとかいてもおかしくはなさそう。
まあでもそんなことよりも…『彼の方』さん、私の演技雑じゃない!?やる気ないの!?
私そんな話し方しないし!そんなだうなー?不機嫌そう?な感じじゃないもん!
そう不満に思いながらも目の前の状況を眺めることしかできない。つまんない。やだ。
と、内心だけで抗議していると不意に高梨と目が合った気がした。
まだ何か言いたいことでも…と考えていると、時雨さんに腕を引き寄せられた。
「と、言う訳で。古賀様はお借りしていきますね、お連れ様。」
「あ……、…はい。分かり、ました……」
高梨は私の読み通り何か言いたげな様子だったけれど、『お連れ様』と一線を引かれてしまえば大人しく頷くしかなかった。
しゅんと俯く高梨にまた小鳥遊が重なって見えて、少し胸が苦しい。さっき同じように思った『彼の方』ならきっと、今も同じふうに思ったはずだ。
けれど、『彼の方』はそんなことおくびにも出さずに静かに頷くと、そのまま揺るぎない足取りで時雨さんについて行った。
***
しばらく黙ったまま2人は歩き続け、昼間案内してもらった桑の木に囲まれた倉の前まで来たあたりで『彼の方』はぴたりと足を止めた。
「で、何の用?」
ぶっきらぼうに『彼の方』が尋ねると、時雨さんはからからと笑った。
「言わないとお分かりになりませんか?」
「……はぁ。昼間の連中、何か喋ったの?」
「いいえ、何も。」
時雨さんは残念そうに首を横に振ると、まだ白い桑の実をひとつ摘んでこちらに差し出した。
「どうぞ。」
「まだ熟してないけど。」
「ああ、すみません。ついうっかり。」
「…白々しい。まあ、その気遣いだけは認めてやる。」
「有り難きお言葉。」
…気遣い?
言葉足らずでも成り立つ2人の会話は、私にはよく理解できなかった。
けど、何かよくない話をしてるってことだけは分かる。
一体、『彼の方』に何をさせるつもりなの?
昼間の連中、が、『何も』話さない。
なら、尋問の次にやることは___
私が不安になっていると、『彼の方』は大きくため息を吐いて倉の扉を拳で軽く叩いた。
「後で行く。その前にやることがあるから、誰も来ないように見張っといて。」
「護衛は…」
「いらない。入ってこないで。」
「…はぁい。かしこまりました。」
『彼の方』が追い払うような仕草を見せると、時雨さんは肩を竦めて背を向けた。
『彼の方』は重たい扉の隙間から漏れる冷えきった空気に一瞬だけ不快そうに目元を歪めたが、細く隙間を開けると素早くそこから身を滑り込ませた。
そして内部から扉をぴったりと閉めて月明かりの差し込む暗い室内を、散歩でもするかのようにゆっくりと穏やかな歩調で歩き出した。
あの本棚のそばまで近付くと、本棚を背にしてずるずるとしゃがみ込んだ。
「…急にごめんね。驚いたでしょ?」
『彼の方』がそう呟いたけれど、周囲には誰もいない。
………もしかして、私に呼び掛けてる?
「君の声は僕に届かないし、普段は僕の声も君に届かないんだろうけど……でも、あの時君が起きてから、話せなくてもずっと君の側にいれて嬉しかったんだ。」
大切な人…家族や友人にでも語りかけるような優しい声。
…ああ、そっか。私、この話し方をずっと昔から知ってる。
ここにいたんだね、兄さん。
「君にとっては嫌な思い出だったかもしれないけど…前世のさ、中等部で初めて会った時のこと覚えてる?」
覚えてる。あんまり思い出したくないけど、確か「あんたにだけは絶対負けない」みたいなこと言っちゃった気がする。
いくら当時叔父さん…当主に「神原棗よりも強くなって成り代われ」って言われ続けてたからって、あんな敵意を向けるなんて…今思い出すと恥ずかしいな。
血縁があるったって分家の分家の〜くらい遠かったし、なれる訳なかったのにね。
「あの時ね、僕、嬉しかったんだ。
……ほら、他の分家の人たちって本家本流の血筋だからって従兄弟でも一線引かれてたし、かといって他の家門や一般出身の子たちも僕を上に見るばかりだったでしょ?」
そりゃそうだよ。六大家門の本家の次期当主で、しかも強力な権能持ちだったんだから。
私でもなければ張り合おうなんてそもそも思わない。
「だから……だから、ね。君が僕に『次こそ勝ってやる』って言ってくれて、どんどん強くなってくれて…僕のためじゃないって分かってても、嬉しかったんだ。
僕は特別じゃない、って…そう言ってもらえてる気がして。」
「君にそんなつもりはなかっただろうけど」、と付け足して兄さんは小さく笑った。
確かにあの頃の私にはそんなつもりはなかった。けど……未熟だったせいで、と思ってたひと言がが兄さんの支えになれてたんなら、ちょっとだけ、あの頃の私も救われた気がする。
「だから…だから、君にあんな死に方させたくなかった。幸せになって欲しかった。
死ぬのは……痛くて苦しい思いをするのは、僕ひとりで良かったのに。」
それはお互い様だよ、兄さん。私だって、そう思ってた。
私以外のみんなで『これから』を生きて欲しかった。幸せになって欲しかった。
……結局、そうはならなかったみたいだけど。
兄さんは少し黙って、本棚にもたれかかって天井を見上げた。
「その…なんていうか、『だからこそ』って言うのかな。あんな場所でも、君が前世で得られなかったものを楽しもうって前向きになってくれてホントに嬉しかったんだ。
……まあ、ちょっと他人に対して甘すぎるとは思うけど。特に布施。アレに付け入る隙を与えたら絶対にダメだよ。危機感持った方がいいよ。」
…たしかに?初対面の距離じゃなかったもんなー?
兄さんがそう言うならそうなのかもしれない。あの人、何考えてるかよく分からないし、やたら距離近いもんね。ちゃんと気を付けるよ。
「……ねぇ、サヤ。今世では幸せになってね。」
言葉を選ぶようにゆっくりとそう呟いて、兄さんは目を伏せた。
「役目だとかそういう煩わしいものは、全部僕が引き受けるから。」
兄さん…?
その声色に良くない意味を感じて、私は先ほどの時雨さんと兄さんの会話を思い出した。
『何も話さない』
なら、話させるためにすることは___治癒の権能持ちの兄さんの『役目』は____
「朝になったら、全部元通りのはずだから……だから、おやすみ。サヤ。」
待って兄さん!そんなの駄目だよ!
また1人で抱え込む気なの?そんなの嫌だよ。
意識が遠のいていく。
なんで?なんで。
どうせ苦しいなら、一緒がいいのに……。
月明かりの中で伸びる影が、意識と一緒にぐるぐる溶けていく。
視界が切り離されたみたいに暗くなっていく。
嫌だ。ひとりになろうとしないでよ。
この……っ兄さんのばかーーーーー!!!!
意識ごと視界がぐるぐる回って、静かになって。
やっと目を覚ました時には、知らない天井を見上げていた。
柔らかい布団の中。悪い夢でも見ていたかのよう。
けど。
仄かに香る石鹸が、爪の間の紅色が、あれが夢でないことを静かに突きつけていた。
「…兄さん……」
次回は予告通り11/2更新になります。
よろしくお願いします。




