巡り回って①
「…おやすみ、茜塚。」
泣き疲れて着替えもせずに眠ってしまった茜塚を布団に寝かせて、傍らに座り込んで赤い目元の寝顔を眺めた。
私と違って真面目な子だから、心細くても頑張ってしまったんだろう。『常世様』になればきっと変えられる、他の子たちを助けられる、と信じて。けど、何も変えられなくて。……誰も信じられなくても、それでも今の今まで歩みを止めなかったんだろう。
「頑張ったね」、と思うと同時にその懸命さが眩しくて、でも悲しくて。
私の知らないところで茜塚が苦しんでいたのかと思うと、やるせない。
別に「私がその場にいれば助け出せた」、とか自惚れてる訳じゃない。ただ、そんなことなどつゆ知らずと呑気に過ごしていたことがとても嫌だ。
「……外行こ。」
いつの間にか日が落ちてすっかり暗くなっていた外に目を向けて、私はぽつりと呟いた。
このままじゃ眠れないし。夜風で頭冷やせば少しは落ち着くでしょう。
うん…それで大丈夫なはずだ。明日茜塚が起きたときには、いつも通りの私じゃないと。
私は軽く伸びをして、すやすやと穏やかに寝息を立てている茜塚を起こさないようにそっと立ち上がった。
***
庭をゆっくりと歩きながら、薄く青みがかった夜空を見上げた。日が暮れてからそれほど経っていないのか、まだ昼の暑さの残った空気に冷たい風が心地いい。
そういえば襲撃でお昼ご飯食べ損ねてたや。面布さんに言ったら夜ご飯早めにしてくれないかな。茜塚の分はおにぎりか何かにして枕元に置いて___
「…古賀!」
「……あ、高梨先輩。どうかされましたか?」
呼び声に思考を中断されて、少し苛立った。
とはいえ高梨は声掛けただけで悪くないしね。態度に出さないでにこやかに対応したげなきゃね。お姉さんだから。
お姉さんだからね。
「その、彼女は…」
「彼女?……ああ、茜塚のことですか?あの子なら疲れて寝てますよ。」
「そうか。…なあ、古賀。」
「なんですか?」
「古賀は…どうして、彼女を『アカネヅカ』と呼ぶんだ?彼女は一体、何者なんだ?」
「どうして、って……」
……あ。そっか。
茜塚が「名前がない」って言っちゃったもんな。疑問に思うのは当然か。
どうしよっかな…どうやって誤魔化せば……
「……高梨先輩には、関係ないでしょう?」
え?
誤魔化す方法を考えてたつもりが、勝手に口が動いていた。
…あれ?
「私があの子をなんて呼ぼうが、私があの子とどういう関係だろうが。
……高梨先輩には全く関係ないことでしょう?」
どうして、と理由を考える間もなく、口は勝手にべらべらと傷付けるように言葉を続ける。
分からない。拒絶したい訳じゃないのに。
違うのに。
ただ深掘りされたくなくって、だから適当にはぐらかそうとしただけなのに。
うっとおしそうな態度で、私の口は…身体が、ひとりでに動く。
「……分かったら放っておいてくれません?どうせ説明したところで温室育ちのあなたには理解できないでしょうし。」
「ここから先は手を出すな」、という確たる拒絶。
私も知らない、私のはずの冷たい声。
もしかして、この身体には私の他に誰か…多分『彼の方』がいるのだろうか?
あの時の平里が、同じ身体のはずなのに別人だったみたいに。
でも、それなら……『彼の方』はどうしてそこまでして高梨を突き放そうとしているんだろう?
学園に入ってすぐに私になったんだから、私情を挟むほどの接点なんてないはずなのに。
「だが彼女は…常世教団の人間だろう!?古賀が危険なことに巻き込まれるのは明らかだ。
だから……どうしても彼女と関わり続けると言うなら、俺も巻き込んでくれ。自分で言うのもなんだが、利用価値くらいはあるはずだ。」
訳を探して考え込んでいると、声を震わせながらも必死に高梨はそう言った。
けれど『彼の方』は冷たく一瞥して「ひと月しか関わっていない相手を信用するとでも?」と呆れたように返した。
「……信頼に時間は関係ないだろう。」
「どうでしょうね。…確かに世の中には『忠誠』だとか『義理』みたいな時間の関係ない主従関係はありますけど…あなたは別に、そういう感情は抱いていないでしょう?あなたが間諜目的以外で私に協力する理由が見当たりませんが。」
『彼の方』が睨みつけたが高梨は目を逸らさずに、自身の胸に手を当てて息を吸い込んだ。
「……理由ならある。」
「どんな?」
どんな?
「それは、俺が…古賀の、ことが……」
「私のことが?」
私のことが?
「す、」
「す?」
す?……ちょっと待って、まさか。
マズイ。それだけはマズイ。
具体的に言うと、「明日になれば元通り」なんて言ってらんない状況になるやつかもしれない。
『彼の方』はそんな可能性には微塵も気付いていないようで、ただ急に動きの固くなった高梨を訝しんでいるだけだった。
待って、高梨待ってー!?
どれだけそう強く思っても、『彼の方』に制御を奪われて動けない。『彼の方』に私の思考が伝わることもない。
勘違いであって欲しい。それか「やっぱりなんでもない」と言わないで欲しい。
高梨は子どもだから、その幼さ故にその言葉の重みを知らないで言おうとしてるんだろう。
非常に良くない。立場とか考えよ?仮にもお坊ちゃんなんだから。
どうしよどうしよ。自分で動かせないならせめてこう、意識を絶って欲しかったというか。
暗がりの中でも妙に血色の良い高梨の歯切れの悪い態度になんかもう色々と察してしまう。
『彼の方』さん、ちょっとそこの先輩の口塞ぐかこの場から離れてくれません?
なんかいたたまれなくて見てられない。
結果の分かりきった勇気なんて、ただただ痛々しいとしか思えない。
その青さに向き合うには、私はあまりにも長く生き過ぎた。『彼の方』だって、私を知っているなら同じだろう。
だから、だから。
どうか言わないで。聞かせないで。聞きたくない。
その幼さは、愚かさは、私には鋭すぎるから。
だから____
「……好き、なんだ。……俺は、古賀のことが好きなんだ。」
……あーあ…………。
私の願いは届かずに、高梨は震えながらも真っ直ぐな声でそう言った。
聞いちゃった。聞いちゃったな。
無視できなくなっちゃったな。
……やだなぁ。そういうの、求めてなかったのにな。
どうして、言わないでそのままでいてくれなかったの。
「…はは、んな訳」
私がいじけていると、我に返ったらしい『彼の方』が自分でも驚くほどに乾いた笑いを漏らしていた。私って、こんな声出せるんだ。
「古賀……?」
「それこそおかしいでしょう?たったひと月で?
……ああ、もしかしてそう言えば納得するとでも思いましたか?『恋は勝手に落ちるもの』なんて戯れ言を信じて、私を好きだと言えば籠絡できるとでも?」
何その発想。高梨のお顔見れば分かるでしょー!?いくら受け入れる気がないからって、その勇気を踏み潰すのは良くないに決まってる。それに、「好き」って言われたくらいでローラクなんてされるわけ……ローラク………ローラクって何?
労、牢?楽…落?……何だろう?分からないや。知らない単語。
多分難しい漢字のやつ。なら考えても分かんないね。
意味を想像することを早々に諦めて目の前の光景に意識を戻すと、高梨が唇を噛み締めていた。
「それでも…それでも、古賀のひと言俺は救われたんだ。
初めて会った時、言ってくれただろう?『他人のしたことを勝手に責任をとっても意味はない』『他人にできるのは諌めることだけだ』って。
あの時古賀がそう言ってくれたお陰で、俺は今までの行動がただの自己満足で、ただ自分を追い込んでいただけだったことに気づけたんだ。」
「はぁ?そんなことで好きになる訳___」
『彼の方』がなおも馬鹿馬鹿しいと否定しかけた時、ふと前世で小鳥遊___高梨の先祖が同じことを言っていたのを私は思い出した。
たったひと言、ただそれだけで世界が変わった気がしたんだと。
だから、ずっと好きなんだと。
決して兄さん…幼なじみの神原棗の気持ちが自分に向かないと分かっても一途に想い続けていたあの子と、目の前で必死に訴えかけている青年が急に重なって見えた。
……ああ、たしかに高梨はあの子の子孫なんだ。そういうとこが、小鳥遊と似てるのか。
変なの。見た目は全然似てないのに。
あの子は小柄で、髪だって黒くてまっすぐで、いつも眠たげにとろんとした瞳は菫みたいで可愛らしかった。
でも高梨は背高いし、金髪だし、目はキリッとしてるし宝石みたいにキラキラしてて落ち着かないし。
似てない。似てない、のに…な。
変なとこが……感性が、そっくりなんだ。
『彼の方』もそのことに気付いたのか、はたまた言い返す気が失せたのか、不満げに口を噤んでそっぽを向いた。
「……?古賀…いや、もしかしてあなたは___」
高梨が何か違和感に気付いたようにこちらに手を伸ばして___それを視界の外から伸びてきた腕が制止した。
「古賀様。少々お時間よろしいでしょうか。」




