顛落
暑い、八月の日だった。
鼓膜を刺すような蝉時雨と息苦しい程の暑さに耐えながら、山道を進む。
つい先日まで彼岸級霊域の後始末やらなにやらで帰還困難区域になっていたとは思えないほどに元の活気を取り戻しつつある揖屋。陰陽寮も世間も、以前と同じとはいかなくとも慣れ親しんだ日常に戻りつつあった。
だが、俺の所属する星辰支部の面々は、日常にぽっかりと穴が空いたまま、忘れられないまま中々進めないでいた。
あの日のままの部屋。冷蔵庫に入れっぱなしの、サインペンで名前の書かれたお菓子。
スリッパ立てに差さずに床にほっぽかれた黒と白のスリッパ。
棚に残っているよく分からないキャラクターのマグカップ。
隅に落書きの書かれた報告書。使い込まれた木刀にゴム弓。
付箋まみれのパソコンに、ペン立て代わりのお菓子の缶。
あの日、あっさりと喪われた彼らの痕跡が、支部のそこかしこに残っている。…いや、残している、の方が正しいのかもしれない。
星辰支部の誰も彼もが、彼ら___神原と久山があの霊域で死んだなんて、未だに実感できていないのだから。
……もちろん、俺も。
『立ち入り禁止』と書かれたテープをくぐって、かつて霊域だった……今は大きな岩が鎮座しているだけの場所に辿りつくと、俺は小さな花束をその場に置いた。
どうして、あいつらはたった二人だけであの霊域に挑んだのだろうか。
どうして、神原は俺に何も言わなかったのだろうか。
俺も、風早さんも、
神原と同じで未来のことを知っていると、知っていたはずなのに。
……頼りにされていると。信頼されている、と。
自惚れすぎていたのだろうか。
考え込みすぎる悪癖は、何度経っても治らなかった。
だから___迫る人影に気付かなかった。
背後で振り上げられた刃が自分の胸を貫く、その時まで。




