『彼の方』
抱えられたままぐるりと母屋の前を通り過ぎて、やっと下ろしてもらえた先は、敷地の反対側の端、二階建て程の高さのある倉の前だった。
赤茶けた洋瓦に白い漆喰の壁のそこは、桑の木に囲まれ光の群れにキラキラと輝いて見えた。
こういう場所に桑の木を植えてあるのは珍しいから、もしかして元は養蚕場だったのかもしれない。
蚕のいないのに桑の木はそのままだなんて、なんだか少し切なく感じてしまう。もう居ない子のご飯だった葉を、あの木々はこれからも生やし、散らし続けるのだろう。ずっと、ずっと___
「古賀様、こちらへ。」
「あっ、はい!」
はっとして声の方を向くと、いつの間にか重たそうな扉を開けていた面布さんが手招きをしていた。慌てて駆け寄って面布さんに続いて、ひんやりとした空気の中に足を踏み入れた。
***
「…わあ…」
高い天井に渡された梁からケーブルが伸び、そこから垂らされた鮮やかなステンドグラスのランプが室内を煌々と照らしている。
結界の応用で空間を広げているのか、外観よりも広く感じる屋内の奥に、よく分からない葛龍やら桐箱がとこ狭しと積まれているのが見えた。
そして何よりも___出入口のそば、土間を上がってすぐの場所からだいたい1部屋分を区切るように置かれた背の高い本棚。てっきり古文書とかばかりかと思ったけど、よくよく見てみると児童書や娯楽小説等も収められている。
……ん?待って?もしかして私たちの頃の書籍って今だと古文書なのかな……。南総里見八犬伝的な…
まあいっか、今関係ないし。
背表紙をテキトーにさらっと流し見していると、ふと、見慣れた表題が目に入った。
見間違えるわけがない。私が中等部だった頃に流行った、大好きだった冒険小説。
こんなときにアレだけど、読みたい。
とっても読みたい。
聞いたら読ませてくれるかなぁ、ダメかなあ。
「…本、お好きなんですね。」
本棚に釘付けになっていると、面布さんが静かにそう話しかけてきた。
しまった、いるのを忘れてた…!
「あっ…すみません!つい夢中になってしまって…」
「いえ、構いませんよ。…あなたは、彼の方ではないのですね。」
「…っ!」
バレた?いや、元々バレていた?
それとも、カマをかけただけ?
私が表に出ないように警戒していると、面布さんはすいっと本棚に手を伸ばした。
「自由にしてくださって構いませんよ。ここは彼の方が、あなたの為に用意した場所ですから。」
面布さんは静かな口調のまま、あの冒険小説を引き出して私に差し出した。
「お好きなんでしょう?この本。」
「なんで知って___いや、そもそもいつから気付いて…」
動揺して差し出された文庫本と面布さんを交互に見ながらそう尋ねると、面布さんは小さく笑い声を上げた。
「違和感は最初からですが…確信に変わったのは先程ですね。彼の方はこの本棚をそんな目で見たことはないので。
…彼の方にとってこの本棚、蔵書たちはあなたをここに留めるための手段としてしか見ていなかったもので。」
この本が、本棚が手段…?
その言葉に改めて本棚の中身を見てみると、確かに私好みそうな内容の本ばかりだった。
なんなら、昔好きだったものは3、4段目の手に取りやすい位置に置かれている。
一体誰が…面布さんの言い方からして、私になる前の古賀爽耶は『久山楓』を知っていた。かつ、私をこの場に留めておきたい人物……誰だろう。少なくとも松也ではないはず。
そもそも松也だったら私に対して本じゃなくてキーホルダーで興味を引こうとしてくるはずだし。
『久山楓』の存在を知っていて、かつ私の本の虫な部分をよく知っている誰か…?
どこからか凝視されているような不快感を覚えて、ぎゅっと自分の両肩を掴んだ。
「古賀様。安心してください。大丈夫ですから。」
「…何が大丈夫なんですか?何も知らないでしょう?」
「…そうですね。ですが、少なくとも彼の方があなたに害意を持っていないことは知っています。
……物心ついたときから、あなたを探していたことも。」
「…え?」
物心ついた時から?それって、まさか生まれ変わり___
「あの、『彼の方』てどんな___」
そう問いかけかけた直後、
外からけたたましい鐘の音が響き渡った。




