揖屋村
魔導学園のある出雲の東部にある、山に囲まれた___どちらかと言うと周囲を侵食されてる___集落、揖屋村。
以前は確か町と呼ばれる程の規模で、古く手入れの行き届いた家屋の多い印象だった。
しかし、突如として出現した彼岸級霊域によって地元住民は避難を余儀なくされてしまった。
活性化する前に兄さんと私で霊域の主たる怪異を討伐することはできたけれど、果たして元の生活に彼らが戻ることができたのかは知る由もない。
全てが終わった場所、私たちが死んだ場所。
___そこが、今の私の生まれた場所だ。
***
大型連休の1日目。
千年前と比べて随分と無骨な造りのバスに乗って、私と高梨は最寄りの停留所を降りた。
私は知らなかったけれど、どうも揖屋村周辺はどこの勢力にも所属していないらしく、いわゆる『禁足地』のような扱いになっているらしい。
なんでも、取り込もうとしたり興味本位で立ち入った者たちが全員帰ってこなかったとか。
んな馬鹿な。
そんな物騒な。
あの時、確かに流れ込んできた記憶の中にある揖屋村は、怪異も争いもない、いわゆる前世で言うとこの『のどかな田舎』そのものだった。
菜っ葉と芋ばかりの小さな家庭菜園に、庭を自由に歩き回る鶏。
古びたぜんまい時計に、ファックス機能付きの固定電話。
風鈴が揺れる縁側、シールまみれの破れ障子___。
どうにも、『私』が『私』になる前の記憶が風景や現代知識ばかりに偏っているような気がする。家族や家庭環境のことが一切記憶に引っかからない。
少し気になるけれど、何か問題のある家だったということも、そういう育ち方をした記憶も感情もない。
で、あれば。別段変わった風習やら何やらがある訳ではないのだろう。そんな『禁足地』扱いをされるほどの場所だとは到底思えない。
…デマかな。
「うーん……あ。そういえば高梨先輩。初日から来て頂けるのはありがたいんですけど、その…ご実家は大丈夫なんですか?」
主に行事とか社交的なアレで。
御三家という立場上、こういう時期にはなにかとありそうなものだけど。
「ああ、大丈夫だ。今の時期は別段重要な集まりもないからな。」
「そうですか。それなら良かったです。」
良かった。それなら遠慮なく頼れる。
大きめのボストンバッグとトランクをそれぞれ抱えながら、どんどんと人気のなくなっていく道を歩く。
蜜柑がまだ酸っぱかっただとか、蝶の蛹が廊下の隅にあっただとか。
そんなくだらない会話をしながら、半ば森に還りかけている道を歩いていると___不意に、鋭い視線を感じた。
「っ高梨先輩!」
「ああ。」
敵?どこから?
怪異?それとも人間?
荷物を放り出して、いつでも応戦できるように体勢を整える。
じりじりと、焦らされるような時間が過ぎていって___やがてガサリと目の前の茂みが割れて中から面布を被った作務衣姿の男性がゆっくりと姿を現した。
「敵ではありません。古賀様。」
…誰?
***
その面布さんは自身のことを『代々古賀家に仕える家系の者』だと言った。
いやあ?知らないけど。そうなの?
と、言いたいところだけど、そうもいかない久山さん。ここで正直にそんなこと言ったら絶対に不審がられるでしょ、本当に古賀家に代々仕えてるなら。
前世の記憶に今世の記憶が追いやられているのか、それとも…あまり考えたくはないけど、あの時の平里みたいな感じで私が古賀の体に乗り移ってるのか。
どっちにせよ、魔導学園に行く前の古賀爽耶と今の古賀爽耶は別人みたいなものだ。
もし他にも記憶にない事柄があるのなら、気を付けないと…。
そんな風に考えごとをしながらも足は止めず、景色は通り過ぎてゆく。
そして古い丹塗の門の前で、面布さんと同じ格好をした老爺が端末をここに預けるように促してきた。
まあどうせ圏外で使えないし、そうでなくても監視の危険性は物理で無くしておきたいし、と躊躇無く預けた私と裏腹に、高梨は狼狽えていた。
「端末を…?ここにか?」
「…?高梨先輩、何か心配事でもあるんですか?」
見たことないほどにオロオロと不安げにしている高梨に、思わず話しかけた。
が、高梨はきゅっと唇を結んで首を振るばかりで、何も言ってくれなかった。
…信用がないのかな。それとも、前に端末を外したときに何かあったとか?
高梨はそのなんとも言えない表情のまましばらく端末を握りしめていたが、やがて老爺の差し出した箱の中にそっと置いた。
「では行きましょうか。古賀様、お連れ様。足元にお気をつけください。」
面布さんがそう言うとギィギィと何かがが軋む音とともに門扉が開かれ、私と高梨は揖屋村に足を踏み入れた。