〝僕ら〟
潜り抜けた赤錆色の鳥居の先は記憶と変わらず、地底に続く大穴がぽっかりと口を開けているばかりの空間だった。道は穴の側面をぐるぐると下る狭い坂道のみで、以前同様1列になって進むしかなさそうだ。
「……やっぱり、高梨が先頭ですか?」
「そうだけど。」
「再現が神武天皇記なら伊邪那美命に特攻入らなさそうですけど」
「そりゃあ、多層的モチーフというものだよ。下巻のその先なんだし……あ、ほら、垂仁天皇記とか雄略天皇記とかみたいな感じでさ。」
「……たしかにモチーフの繰り返しといえばそうですけど……」
いくら根拠があるとはいえ、いくら権能があるからとはいえ戦闘経験の浅い学生、しかもやっと霊力の使い方を覚えたばかりの高梨に先陣を切らせるのは危険極まりない。
千年前に突入したときは最後尾からやられて行ったから、それを思えばむしろ先頭の方が安全なのかもしれない。けれど、ミクラサラが怪異とは違い人間としての思考能力を持っている以上、やっぱり安心はできなかった。
「カンバラさん、俺なら大丈夫です。」
口ではそう言いながらも、握りしめられた高梨の指先は震えていた。紫色の目の奥は頼りなさげに揺れていて、とても「大丈夫」には見えない。
……とはいえ、不安でもこの状況じゃ言えるわけないか……。
「……神話の再現なら、八咫烏も次は大伴と久米ですよね。」
「そうだね。八咫烏が呼び掛けに行って、その次に大伴と久米が押し入ったから」
「……」
神話の再現には順番もきっと大切だ。だけれど、僕や平里が直接守れないとなると……神話の再現云々の前に、鳴女のように殺されてしまうかもしれない。
そうなったらもう役に意味はなく、ただ蹂躙されるのみなんじゃなかろうか。
「……高梨のことは我々に任せなさい。大丈夫、命に代えても」
「死んじゃったら、意味がないでしょう?生きるためにこんな所まで付き合わせてるのに……」
後列から出てきた久米上官が僕らを元気づけるようにそう言ったが、余計に不安になっただけだった。
サヤの意識は相変わらず感じられなくて、僕らを殺したミクラサラがいて、大岩たちは一緒にいられなくて、守るべき百合と京は逃げて欲しいのに逃げてくれなくて。
それにこの人たちも僕も、死んでしまうかもしれないのに、またあんなに苦しまなければいけないかもしれないのに、なのに、少しでも長く息をするためには危険に飛び込まなければいけないなんて。
前世では当たり前に受け入れることのできていたことが、今となっては呪いか何かのように思えてしまう。
行っても逃げても結果が同じなら、少しでも可能性のある方に賭けろって?確率なんかじゃないから、実力がなければ全滅してしまうのに……。生きていたって、必ず無事だとは限らないのに……。
「……すまなかった。軽率だったな。だけど……我々は大人で、高梨や君はまだ子どもなのだから……」
久米上官の『子ども扱い』が珍しくて羨ましくて、そして、切なかった。
僕らよりもずっと弱いくせに、それなのにどうして僕らのしたかったことをなんでもない風にできてしまうんだろう。
いいな、いいな、いいな。
僕も、僕だって本当はあの頃、こんな大人になりたかったのに。生きていたかったのに……。
「……君は、」
「神原。先を急ごう。早くしないと大岩達に負担がかかるかもしれない。」
静かに会話を聞いていたはずの平里は僕を守るかのように、何かを言いかけた久米上官の姿を遮った。きっと高梨も聞いていたかもしれないけれど、何も言わずにただ、相変わらず恐怖に耐えていた。
「…………うん。そうだね……ごめん、平里。ありがと。」
列の後ろに向かう平里に手を引かれて、僕は自分の弱さを改めて認識してしまった。いくら心を殺したって、いくら勝ち筋を示されたって、ここで僕とサヤが何度も殺されたことに変わりはないのだ。平里だってそれは同じだろうに、どうしてこんなにも強くいられるんだろう。
……僕が弱いせいだろうか。それとも、僕がサヤを、平里を助けたくて何度も同じ時間を再生し続けたせいで心がすり減ってしまったとか_____いや、それは考えすぎだよね。だってそれなら、元凶である僕を許しなんかくれないだろうから。
「佐伯、頼んだ。」
「ああ。羽世も……」
「分かってるよ。」
すれ違いざまに手を交わす平里と佐伯にも、僕と時雨のような時間があったんだろうか。
……随分と、遠くまで来ちゃったんだな……。
僕の知らない平里の顔に、もう『神原棗』も『平里蓮』も既に死んでしまったんだということを改めて自覚した。自我があろうが記憶があろうが、死んだことには変わりない。
だから……怖くたって、当たり前なんだ。
「……大丈夫か?この霊域が没地だろ?」
「うーん……そりゃ怖いよ?また死ぬかと思うと……」
「だよなぁ……とはいえ、内部の状態を知っているのは俺と神原だけだし、貴重な回復要員だから待ってろとは言ってやれない。だから……」
「うん。分かってるよ。
……あのさ、平里。僕ね、自分が死ぬことよりもずっと怖いことがあるんだ。」
サヤがいなくなってしまうこと。平里が死んでしまうこと。
そして_____僕だけが生き残ってしまうこと。
「だからさ、もう大丈夫。知ってるでしょ?サヤのためなら僕は何だってできるんだって。」
「……ま、たしかにな。勝手に巻き込みやがって……。」
「その節はごめんってば。」
恐怖の根源を俯瞰的に分析してみれば、別にそれが唯一の恐怖という訳でもない。ならば、と千年前の覚悟を思い出すと、僕は深呼吸をして望月穂稀の後方についた。
穴の底は真っ暗で見えない。ただ、暗闇がぽっかりと口を開けているのみだ。だけれど、それがサヤを取り戻す唯一の可能性に繋がっているならば、と僕は『神原棗』として臨むことを決めた。
その覚悟を試すかのように、甘ったるい臭いのする生温い風が吹き抜けていった。
参考
中村啓信訳注『新版 古事記』角川ソフィア文庫




