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私のペットは皆何故か凶暴です(仮名)  作者: じゃがいも
まずは味方を作りましょう
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「逃げていい。」





《コトッ》



「とりあえず、ホットミルクでも飲んで温まりなさい。」



マグカップから湯気が上へ上へとふよふよ上がっていく。

お礼を言って、ふぅふぅと息を拭きながら両手でカップを持てば、もうそれだけでじんわり温かくて心がほっとする。


舌を火傷しないようにチビチビと飲めば、口の中にミルクのほのかな甘みとほんのりと優しい蜂蜜。

次第に優しい甘みが口の中いっぱいに広がって、じんわり体も温まってくる。



「ふわぁ〜。」



次第にゆるゆると心も凪いで、幸せなため息と共に思わず白い息と声が上がる。



「ふふふ。少し落ち着いたかい?」



「うん、ありがとう。」



おばさんは目を優しく細めると、頬を緩ませほっと息をついた。



「さぁさっ、私達は準備準備。」



女将さんは少し急いだようにそう言うと、こちらをにこにこ見ていた旦那さんと一緒に厨房に戻っていった。


話しながら十数分待てば、チーズとシチューの良い香りが漂って来て、余程目が輝いて見えたのか、3人には少し笑われてちょっと恥ずかしい。




「はい、お待ちどおさま〜。」


「わ〜!!!!待ってましたー!!頂きまーす!!」



上に掛かってるチーズとろとろ〜!!!

ヤバい〜!!!



パンをぱくっと一口かぶりつけば、とろとろチーズがかかっているパンの中からさらにチーズがみょーんと伸び出て来て、熱々の湯気と一緒に放り込めば、私の口の中を暴れ回る。



あっつ!あっつい!!


あ!!!でもうま!!うんまぁーっ!!



ほっかほっかのパンを、はふはふはぐはぐしながら食べていく。



「んふ〜っ。」



パン特有の香ばしい香りが鼻に抜ける。


パンの匂いって、嗅ぐと幸せな気分になれるよね〜。

思わず深呼吸してしまうぐらいには、いい匂い。


生地はふっかふか。

溢れ出てくるチーズで、中はとろっとろ。

こんがりとキツネ色に焼かれた外側は、カリカリ。

更にその上からかかる、とろとろチーズ。



んぅぅ〜……、最っ高にんまいっ!

チーズ好きには堪らない。

チーズの美味しさが、前面に出ている。



パンの小麦と牛乳の優しい甘さに、ちょっと濃い目のチーズの塩気。

皆大好き少しジャンクな味。



そしてここに、具沢山ブルシチュー。

木のスプーンで茶色のスープを掬えば、ほわほわと上がる湯気。

一口口に含めば、牛と野菜の旨味がぎゅぎゅっと詰まった濃厚な味。



酷使した体とストレスフルな心に、優しく染み入る家庭的なほっとする味。



雨に打たれて肌寒くなった私を、じんわりと体の中から暖め、ゆっくりと優しく染み渡っていく。

ふんわり、ぽかぽか。



さっきまで震えていた指先は、いつの間にかもう既に止まっていた。




一口口に含んだ事で落ち込んでいた気分も、それによって眠っていた食欲も急に浮上して来て、ほっとしたのかさっきよりも急激にお腹が空いてくる。




《グゥゥウ〜》




そうだった。

……えへへ。


私ってば、凄く凄く腹ペコだったの忘れてた。

私ってば、お腹と背中がくっついちゃうぐらい。

泣いちゃうぐらい。

お腹がとてもとても、減ってたんだった。



自分の体から鳴った音で私はようやく、暴力的なまでの空腹を思い出した。



肌寒かったからか鼻が少しツンとして、ちょっと痛い。

目の前の景色はちょっとぼやけていて、ゆらゆらと少し揺れている。

あれ、おかしいなぁ。

まるで、解像度の悪い画像を見てるみたいだ。



気を逸らすようにふぅふぅしながらスプーンで掬ってまた一口食べれば、ビーフシチューの中にポロリと雫が落ちた。




あれ、嫌だなぁ。

そんなつもりじゃなかったのに。



へらり、と口角だけ上げて笑えば、また雫が落ちる。



別にあれくらいなんて事無いし、今もじんじんと痛む頬やぴりぴりと痛む口だって、これぐらいなんて事ない。

痛みや辛さは今世ではもう慣れている。



レティシアちゃんだってこんなの日常茶飯事だったし、私だってもう数ヶ月経つのだ。

私もそれなりにいい大人だし、こんなのへっちゃらだ。


別に、私の実の親にされた訳じゃない。

今日初めて会った様なほぼほぼ赤の他人なのだから、傷付く必要だって、無いのに。




立場も名誉も生命維持的にも、あんな状態で放置していた親なのだ。

軽く1発2発ぐらい、ビンタぐらいされるだろうなぁとは思っていたし。


まぁさすがにあんなに思いっきり、殴られたり蹴られたり、踏まれたりは想像出来なかったけど。




でも別に、分かってはいたのだ。

クソ野郎な事ぐらい。

あの親が、親で無い事ぐらい。



ほぼほぼ他人な分、冷静に客観視出来ていたと思う。





ただ、実際があんまりにも、あんまりな結果だっただけで。




想像していたより、レティシアちゃんの感じた痛みが、悲しさが辛さが。

思ってたより、ずっとずっと重かっただけで。




私達は紛れもない同一人物で、古い記憶を思い出しただけみたいな物だから。

私というベースに溶けて、消えて、混ざった様な感覚ではあるから。



レティシアちゃんの感情を、勿論全部ちゃんと分かっているつもりでは無かったけれど。

それでも他の人よりかは朧気ながらでも、その時の情景を、その感情を思い出せるから。



他の人よりかは、レティシアちゃんの気持ちは分かってはいる、つもりだけど。

それはあくまで、私がレティシアちゃんを通して見た感情で。





レティシアちゃんと私が、実際に2人で、私がダイレクトに感じた感情では無いから。

こんなにも、ずっとずっと、痛くて悲しくて虚しくてずっとずっと苦しいと思わなかったんだと思う。





分かっているつもりは、あくまで分かっていたつもりだけでしか無くて。



私だけは分かってるなんて。

レティシアちゃんを助けなきゃなんて。

それが、私がここに居る意味なんじゃないか、なんて。



そんな思いが、どこか他人事で、上から目線に感じてしまって。

何だかとてもとても、おごがましく感じてしまって。





ごくごく普通に育ってきた私が、私の目線で物言うなんて。





今更、私の親や友達が恋しくなって、寂しくて悲しくて辛くて。

でもその安心出来る親が別に居る、居たという事実が今の私の唯一の心の拠り所で。

悲しい半面、少しその事実に安心してしまっていて。



でももう会えないかもしれない。

戻れないかもしれないのが、辛くて寂しくて悲しくて。



そんな事をこんな時に、この期に及んでまだ思ってる私が、尚のことおごがましく感じて。


だから何か私ってば、酷い人だなぁ。

偽善者だなぁなんて思ってしまった。




ぽろぽろぽろぽろと止めどなく落ちる雫が、この感情が、なんと面倒な事か。




せっかくだから今日は、久しぶりに明るく楽しく美味しい食事を堪能しようと思ってたのに。

私よりレティシアちゃんを、もっと言えば心配させてしまっているこの周りの人達を、状況を何とかしないといけないのに。

こんな事してたら、周りが心配しちゃうじゃないか。




ゆらゆらゆらゆらと揺らめく光景が、所在なさげな覚束無い足元と重なる。

まるで室内でも雨が降ってるみたいに、地面に幾つもの染みが重なっていく。

座っているのに、踏みしめている地面が、何だかぐらぐらと揺れ落ちてしまう気がする。

大丈夫、大丈夫。



別に、あっちに凄く思いれがある訳では無い。

恋人がいる訳でも無い。


ごくごく普通に親が居て。

友達が居て。

ごくごく普通の生活送って来ただけだ。


もしかしたらすぐ戻るかもしれない。

離れ難くなるぐらい、こっちの世界を好きになるかもしれない。



幼児化して、前より泣くのを我慢するのが下手になった気がする。

ちょっと我慢すれば、こんな感情やり過ごせるよ。

大丈夫、大丈夫。






下を向いてグッと唇を噛んだら、後ろから背中をパァンッと軽く叩かれた。






びっくりして思わず顔を上げたら、目の前にとんでもない変顔のおじさんがどアップで映った。






「……ブフッ!!ふっ、ふふふっ……、ふふっ」



顔を背ければ尚の事近づき、どアップでおじさんの変顔が映る。



「ふっ、……ふふふっ、待って待ってっ……ふふふっ」


「ふんッ!!!」


「ンブッ!……ッ待って待って、ふふっ、ふっ、ふふっ」


「フンッ!!」


「分かった!分かったから!!ふふっ、何もっ、分からないけど分かったから、ちょっと待って…ふっ、ふふっ。」



それから一頻り笑って落ち着けば、おじさんの明るく優しい笑顔が目に入る。

店主も下を向いて声も無く笑ってるし、女将さんは店主の背中をバシバシ強く叩きながら、おじさんを指差しヒーヒー言いながら泣き笑いしてる。




「よしっ、食え!!」


「へっ、ンむぐっ」




唐突な言葉に目を白黒させた私は、木のスプーンを口の中に突っ込まれる。



「どうだ!美味いだろう!」



そっすね。

笑ってびっくりして、涙はいつの間にか引っ込んでいた。


こくりと頷けば、何故かおじさんがドヤ顔を見せる。




「何があったかは知らねぇ。俺も聞かねぇ。お前も聞かれたくないだろうしな?」





それはまぁ……、正直確かに。





「でもな、人間、泣きながら食べた事がある奴は大丈夫だ。」




厳つい大きな手でおじさんはぽんぽんと頭を軽く叩くと、またぐしゃぐしゃ〜っと荒っぽく撫でられる。



何が大丈夫なんだろう、なんて疑問に思って、その適当さ加減に思わず笑ってしまったけど。



そう言われると、何だか大丈夫な気がしてくるから不思議だ。

何とまぁ、単純な事か。



「それでもまた辛くなったら、またここに来い。」



ぽんぽんとまた優しく叩かれた頭は、ふわふわだ。



「いいか、いくらでもまた逃げて来い。逃げて良い。絶対逃げろ。逃げない方が良くない。」



「……逃げない方が良くない。」




思わず復唱した私を見て、おじさんは深く頷く。




「自分の死が迫ってて、逃げねぇやつはただの馬鹿だ。野生の動物だって逃げるんだ。人間だって動物なんだから、ヤバいと思ったらすぐに逃げろ。」




「ヤバかったらすぐに逃げる……。」




「それで文句を言われる筋合いは無ぇ。どんだけそいつらが文句を言おうが、そいつらはお前の人生の責任を取ってくれねぇ。」



「確かに……。」



「俺達はいくらでも話聞くし、話したくなかったら、泣いて帰るだけでもいい。飯を食いに来るだけでも良い。知らねぇ客と、下らねぇ話だけして帰るだけでもいい。」



「うん…。」



「ここに来たら、必ず誰かが相手にしてやれる。だからいつでも逃げていい。」



「うん…。」



「ここは、大丈夫だ。」



「っん……。」



鼻がまたツンとする。

ゆらゆらと景色が揺らめく。



こくりと頷けば、またぐしゃぐしゃと髪を撫でられた。



ぽろぽろぽろぽろと止めどなく雫が落ちる。

拭いても拭いても、落ちてくる。



さっきと同じようにまた泣いてるのに、今度は不思議とさっきより悲しくなかった。

それどころか、ふんわりほわほわで、周りもぽかぽか暖かい。




おじさんは、背中をいつまでもいつまでもゆっくりさすってくれた。



ぐすぐすと泣き腫らした目を擦り、しゃっくりを上げ、ご飯を食べ、また雫が落ちる。





そうやって繰り返すうちに、いつの間にか雨は止んでいた。








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