第90話 前腕
「クマさん、あれは……何なんスか……」
「……どうやら、体内にあった針金によって変異したようだな」
「グオォォ……」
「ウブッ……! ウブッ……!」
肩で息をしながら唸っている二体のベニアサブクロは、先程よりも気性が荒くなっていた。
「……真奈美、油断するな。明らかに今までのアサブクロとは違う。
……処刑女を相手にする気で掛かれ」
「はい!」
“大柄のベニアサブクロ”は三本の柱の脚で、ビルの中から素早く駆け出した。
柱の脚が着くたびに地面を震わせながら花子へ接近すると、触手のようにうねらせる二本の腕を振るう。
「……っ!」
花子はそれらを躱すが、すぐ側の地面を斧の刃がえぐった。
躱した先で体勢を整えた花子は拳を構え殴打を放つが、“大柄のベニアサブクロ”は彼女の攻撃を見切り、花子の殴打に合わせて体を正面に向けたまま後退して躱す。
その後も花子が拳を構えると、“大柄のベニアサブクロ”は動きを一瞬止め、彼女の攻撃へ注意を払っていた。
(……アサブクロが警戒している。……あの針金で知能が増したのか?)
花子は相手の警戒心を逆手にとり、攻撃の動作を挟むことで相手の動きを止め、“大柄のベニアサブクロ”の攻撃を躱しながら距離を取る。
その最中、花子は巨体にも関わらず三本の柱の脚で素早く移動する“大柄のベニアサブクロ”を観察していた。
(……速いな。近距離戦特化の私が苦手とするタイプだ。
……だが、あの程度の素早さであれば試すのには打って付けだろう)
花子は“大柄のベニアサブクロ”から距離を取れたところで、両手の拳を握り締める。
(……私の特訓の成果を発揮するとしよう)
花子は憑依体の手の平を開くと、体を前に倒しながら両手を地面につける。
肘を伸ばして両足を上げ、全体重を両腕で支えた。
両足を浮かせ、肘を伸ばしきった腕立て伏せの姿勢となる。
「……っ!」
顔を上げ、“大柄のベニアサブクロ”を見据える。
憑依体の片腕を前に出し、手の平を地面に着ける。
片手が着くと、もう片方の腕を前に出しそれを地面に着ける動作を繰り返すことで、腕だけを用いて前進していった。
対象に近づくにつれ、徐々に加速していく。
(……私の憑依体の耐久力なら打撃系の攻撃はある程度耐えられるが、防御力に特化している訳ではない。
……斬撃系の攻撃は避ける必要がある。
……ましてや、あの針金によって“大柄のアサブクロ”の腕は関節を無視した触手のような動きに変わった。
……あれを躱しつつ攻撃を通すのであれば、今までのやり方は通用しない)
腕だけで移動する花子は“大柄のベニアサブクロ”に接近すると、両手を地面に強く着き、その勢いのまま手を離すと、空中で体を一回転させながら拳を構え殴打を放った。
「……ふっ!」
「グオッ……!」
体をのけ反らせ、攻撃を受けた“大柄のベニアサブクロ”の胸元は拳の形に凹んでいたが、花子を視界に捉えずとも、二本の腕は彼女目掛けて斧の刃を振るう。
攻撃後、地面に両手を着いた花子は、再び両腕だけで移動して“大柄のベニアサブクロ”の周りを旋回しながら相手の攻撃を躱していった。
花子の憑依体が抱えている移動速度の遅さ、これを改善するために彼女が編み出した手法、それが腕だけで行う移動――“前腕移動”である。
大きな腕と腕力に特化した彼女の憑依体だからこそ出来る芸当であった。
(……私の憑依体の攻撃を二発も耐えたか。
……せっかくの機会だ。針金化したアサブクロ……その力量を測らせてもらおう)
一方で、“巨漢のベニアサブクロ”は長く太くなった両腕を、巨大な口となった腹の裂け目に突っ込むと、両腕の先から飛び出した針金が内部の撒菱を絡めとる。
腹の中から両腕を出すと、撒菱をまとう突起だらけの腕となった。
さらに、“巨漢のベニアサブクロ”は腹から大量の撒菱を足元に吐き出すと、上半身をねじりそのまま自身の周囲に撒菱を撒き散らす。
「んなっ!?」
“巨漢のベニアサブクロ”の周囲は、大量の撒菱で埋め尽くされたのである。
(自分の素早さをもってしても、これでは近づけないっス!)
真奈美が戸惑う間に、“巨漢のベニアサブクロ”は巨大な背骨を伸ばしてビックリ箱のように上半身だけを彼女へ近づけてきた。
「ひいぃぃ~っ!?」
腹は大口を開け、真奈美を丸飲みにしようと迫る。
真奈美はそれを躱し横へ逃げようとするが腕によって退路を断たれる。
「ちょおっ!?」
真後ろで“巨漢のベニアサブクロ”の腹の口が開くと、中からは無数の針金で出来た巨大な舌が伸び、彼女を絡めとろうとしてきた。
「ひいい~っ!」
真奈美は小刻みな動きによってそれも何とか躱すと、“巨漢のベニアサブクロ”は伸ばしていた上半身を元の位置まで戻した。
(近づけなくとも、まだ手はあるっス!)
真奈美は投げナイフを放つが、それに対抗して“巨漢のベニアサブクロ”が腹の口から大量の撒菱を吐き出すと、ナイフは撒菱に呑まれ無力化されてしまう。
さらには吐き出された撒菱が真奈美の元まで達し、彼女は避けるので精一杯であった。
その様子に花子は代案を練る。
(……いくら真奈美でも、あれでは思うように動けないか。
……ならば)
「……真奈美、交代だ! 私が巨漢の相手をする!」
「はいっ!」
真奈美は急いでその場を後にし、すれ違いざま、花子は彼女へ指示を出す。
「……ヤツの柱の脚を狙え、それで動きは遅くなる」
「了解っス!」
前腕移動で“巨漢のベニアサブクロ”へ接近する花子。
大量の撒菱で溢れた地面であっても鋼鉄の指をもつ花子は、それらを物ともせずに前進していく。
地面から手を離し、勢いよく跳びながら殴打を放つ。
「……ふっ!」
「ウブッ……!」
落下した先で前腕移動を行い、花子は間髪入れずに跳んでは殴るを繰り返すと、“巨漢のベニアサブクロ”は地面へ伏した。
真奈美 が“大柄のベニアサブクロ”へ向かうと、二本の太い腕が彼女へ斧の刃を振るう。
だが、真奈美の憑依体の反応速度を持ってすれば、回避するのは容易であった。
「やりましょう! ハム蔵さん!」
真奈美は六本のナイフを用いて、柱の脚を切り付けていく。
“大柄のベニアサブクロ”は足元の真奈美へ攻撃を振るうが、ヒットアンドアウェイで攻撃と退避を繰り返され、直撃させることなく一方的に切り付けられていた。
「独楽切りっス!」
攻撃が止んだ隙に回転しながら一気に切り付けると、柱は鉄筋ごと崩壊し、“大柄のベニアサブクロ”はバランスを崩す。
「ハム蔵さん! “播種切り”っス!」
真奈美は片足を軸にして独楽のように高速回転すると、以前の遠心投げナイフの要領でヒマワリの種型ナイフを種まきのようにもう片方の柱の脚へ投げ飛ばした。
その脚も破壊し、針金に絡まった六本のナイフを回収すると、真奈美は最後の脚を切り付ける。
コンクリートが無くなり残った鉄筋を輪切りにすると、針金だけでは本体を支えきれなくなり“大柄のベニアサブクロ”は膝をついて倒れた。
第一目標を達成したことで花子の様子を確認すると、“巨漢のベニアサブクロ”もまた倒れ込んでいた。
“大柄のベニアサブクロ”が倒れた音を聞き、花子も真奈美の方へ視線を向けた時、“巨漢のベニアサブクロ”は腹の大口を開いて彼女を飲み込もうとする。
(クマさん……!?)
真奈美は即座に独楽のように回る。
「ハム蔵さんっ! 播種切り大盤振る舞いっス!」
遠心力を受け速度と威力が増したナイフを手から離すと、再度出現させては投げるを繰り返し、真奈美は計十八本のナイフをお見舞いした。
「ウベアッ! ウベェッ! ウブアアァァ~……!」
ナイフは全て“巨漢のベニアサブクロ”の全身を貫通する。
今度は力無くその場へ倒れ込むと、中からは魔力が湧き出し真奈美に吸収され、“巨漢のベニアサブクロ”は消失していった。
真奈美が“巨漢のベニアサブクロ”の対処をしていると、柱の脚を失った“大柄のベニアサブクロ”は両腕を使い虫のように這いながら移動していた。
斧の刃を刺しながらビルを登っていくと、あっという間に屋上まで到達する。
花子と真奈美は横並びになって、屋上へ目を向けた。
「あの高さまで逃げられては、届かないっス!」
「……」
すると、“大柄のベニアサブクロ”は屋上に設置されていた大きな広告看板を両腕で引き抜き肩より高く持ち上げ、花子達目掛けて投げ落としてきた。
「ひいぃぃ~っ!?」
「……退避しろ!」
二人が避けると、先程まで居た場所へ広告看板が落下し、バラバラになる。
“大柄のベニアサブクロ”はさらに別の広告看板を持ち上げると、再び二人へ向けて投げ落とす。
何とか躱すも、二人は反撃の手を打てずにいた。
“大柄のベニアサブクロ”はそのビルの看板が無くなると隣のビルへ移動を始め、そちらに設置された広告看板を目指していた。
「落下防止対策を講じてほしいっス!」
「……私達を近づかせない方が有利だと判断したようだな」
「どうするんスか!? クマさん!」
「……真奈美、特訓の時に私が言ったことを覚えているか?」
「はい? ええ~と……――」
特訓中――。
その日は真奈美のヒットアンドアウェイに、花子は慣れない前腕移動で対抗していた。
休憩になると真奈美は以前のことを思い出し、花子へ問い掛ける。
「先日は聞きそびれてしまいましたが、クマさんが言おうとした“期待していること”って何なんスか?」
「……私達は憑依体を攻撃型や防御型、俊敏型に分類しただろ。これらに属する憑依体はそれぞれが持つ基礎能力が共通していると言える」
「固有能力とは違うんスか?」
「……ああ。例えば同じタイプであるお前や弥兎の動きの素早さ、私とらむねの腕力の高さはその憑依体のみが持つ固有の能力ではなく、他の憑依体にも備わっている基礎的な力だ。
……では真奈美と弥兎の場合、その違いは何か。……それは急激な方向転換を連続して行えることと、優れた跳躍力に違いがある。
……よってこれらは、個々の憑依体が持つ魔力消費を伴わない固有能力と言えるだろう」
「なるほど……。あの~それで、クマさんは何がおっしゃりたいのでしょう?」
「……この結論に至った時、私は自分の固有能力について考えてみた。
……そこで、らむねと共通点がある以上、互いにまだ固有能力が発揮出来ていないのではないかと。
……加えて真奈美が憑依を重ねることで固有能力を開花させたことで、それが発揮されるまでには個体差があることが判明した」
「はあ……」
「……つまり私が期待しているのは、自分の憑依体の固有能力は未だ発動できておらず、今後憑依を重ねることで、それが使用可能になることだ」
ブロック広場――。
「……実は私が一人で居た時、思いがけないことが起きてな」
「クマさん……まさかっ!」
特訓中の会話を思い出し、真奈美は花子へ期待の声を上げる。
それを受けて、花子は右腕を上げた。
「……見ていろ真奈美、これが私の――」
“大柄のベニアサブクロ”へ向けて、握り締めた拳を構える。
「――固有能力だ!」
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