第87話 ベニハガネ
“女のベニアサブクロ”は顔を覆う麻袋の鼻から下が破れ、目元は確認できないものの顔の下半分が露わになっていた。
口内からは短い針金が数本うねりながら生え出ている。
下半身は大きな麻袋を履いたままだが、足元からは節足動物のように山折りになった短い針金の足が六本生え出し、本体を地面から僅かに浮かせ、それらの足によって自立していた。
左右の腕の先からはそれぞれ五本の長い針金が放置された資材へ伸び、巨大な釘に絡みつくと引っ込み、麻袋の手の先から指を模した五本の針金、その先端には巨大な釘が爪のように備わる大きな手となったのだ。
「ウサちゃん、何かヤバそうだよ?」
体内より生え出た針金によって変異したベニアサブクロを前に、私達は困惑していた。
「夏樹さん! わたくし達も加勢いたしましょう!」
「うんっ!」
「待って!」
憑依しようとする二人を私は制する。
「アイツらは私とひなたで倒すわ!」
「でも、ウサちゃん!」
「この場はわたくし達の魔力消費など気にせず、ひなたさんへの回収を優先すべきではないでしょうか?」
「確かにそうだけど、あのタイプのアサブクロは初めて見たわ。
血染めとなったあのアサブクロを“ベニアサブクロ”とし、次ヤツらにいつ遭遇できるか分からない以上、この戦闘で……ヤツらの力量を図る!」
「う~ん……」
「弥兎さん……」
私達を心配するが故に納得しきれていない二人を尻目に、私は二体のベニアサブクロへ目をやりながら思った。
(クマ子なら……そうするだろう)
「ひなちゃん、大丈夫?」
その問い掛けには、ひなたよりも早く私が答えた。
「大丈夫よ、ギャル子。前は私が助けられたくらいなんだから。
やれるでしょ? ひなた」
私はひなたへ問い掛けると、彼女は真っすぐな瞳で力強く頷く。
その表情からは油断も迷いも感じられなかった。
「アアアァァ……」
そうこうしていると“女のベニアサブクロ”は左側の壁面へ近づき、本体は直立した姿勢のまま足元から生える針金の足が横向きになって壁面を這い出し、壁伝いに移動してきたのである。
「ウヲォォ~ッ!」
また、再び雄叫びを上げた“男のベニアサブクロ”はこちらへ向けて走り出してきた。
「っ!? ひなた、“女のベニアサブクロ”をお願いっ!」
「うっ、うん!」
ギャル子達に近づけさせないように私とひなたはヤツらに向かっていく。
ひなたは途中で立ち止まって“女のベニアサブクロ”に身構え、私は走りながら憑依体の右腕を手前へ伸ばし“男のベニアサブクロ”へ攻撃を仕掛ける。
「はあっ!」
「ウッ!」
ヤツは右側の壁面へ跳び、私の攻撃を躱した。
そのまま体から生えた針金を壁に引っ掛けることで壁面を走り、鉄パイプを構えてこちらへ向けて跳んだ。
「ウヲォォッ!」
“男のベニアサブクロ”が振り下ろした鉄パイプを私はギリギリで躱す。
着地と同時に鉄パイプの先端は地面を打ち付け、接触面は凹み亀裂が走った。
「ウヲォォーッ!」
間髪をいれずに幾度も振るわれる鉄パイプをステップを踏むように前後左右へ跳び、何とか躱し続けてはいたが、殺気立った血走った瞳は私を捉えて離さなかった。
(明らかに運動性能が増している……!)
攻撃速度は従来のアサブクロとは比べ物にならなかったが、俊敏型の私が躱しきれない程ではない。
「はぁっ!」
鉤爪を立てると隙をついて踏み込み、私は至近距離から“男のベニアサブクロ”を数回切りつけた。
「ウグァッ……!」
命中した私の斬撃はヤツの体を切り裂いたが、思いのほか切り口は浅い。
裂けた傷口を見ると、血の気のない皮膚の下には糸のように細い針金が無数に絡み合っていた。
どうやら密集した針金が鎖帷子の役割を果たし、防御力を向上させているようだ。
(しかし――針金が外皮を覆わず体内にあるというのは、どういうことだ?
確かにヤツの体内からは触手や管のように針金が部分的に伸びてはいるが、防御に特化しているとは言い難い。
変化前の苦しみようといい、あの姿はアサブクロが自分の意志で行ったというよりかは体内にあった針金によって変異させられた印象を受ける)
「ウヲォォッ!」
私が考えている隙に“男のベニアサブクロ”は右腕の爪を模したカッターの刃を構え、切りかかってきた。
「くっ!」
地面を蹴り上げ高く上昇すると、“男のベニアサブクロ”の攻撃は空振りとなる。
私は透かさず上空から無数の斬撃を放とうとするが、ヤツはこちらを見ずに右側の町工場へ後ろ向きに跳ぶと窓を突き破りこちらの攻撃範囲から消えた。
工場内からは何かを壊したり蹴飛ばしたりしながら足音が移動しているのが分かり、部分的に崩れていた建物の天井から二階に向かっている“男のベニアサブクロ”が確認できた。
「ふっ! ん~っ……!」
降下しながら私は特殊能力で憑依体の右腕を手前へ長く伸ばし、戻る勢いを利用して腕を一気に縮めた。
音と気配が二階の窓に近づき、ガラスを突き破った瞬間――、私は腕の伸縮を解きそこへ向けて一気に伸ばす。
「ストレートぉぉーっ!」
刺打撃を放った先に見えたのは長机だった。
「えっ!?」
私の攻撃は直撃し、長机は木端微塵となる。
ワンテンポ遅れて“男のベニアサブクロ”が壊れた窓から跳び出すと、鉄パイプを私へ振るった。
「ウヲォォッ!」
「ぐっ!」
憑依体の左腕で防御の態勢を取ったが、ヤツの攻撃は直撃し、私の体は後ろの町工場の窓を突き破った――。
一方――。
ひなたは途中で立ち止まり、弥兎が“男のベニアサブクロ”へ向かっていく姿を見送りながら、直立姿勢のまま二階の壁面を這う“女のベニアサブクロ”へ身構えた。
ひなたの視線の先で、“女のベニアサブクロ”は針金の指の先にある釘で窓ガラスを割ると、ガラス片を両手いっぱいに絡み取り、下方に居るひなたへ向けて投げ放った。
「アアァァ……!」
「ええ~いっ!」
無数のガラス片が向かう中、ひなたは両腕を振り上げると、自身の前に綿を壁のように生成する。
ガラス片は全て綿の壁に絡まり、彼女に届くことはない。
「やぁーっ!」
振り上げた腕を今度は目の前の綿の壁を扇ぐように振り下ろすと、綿はタンポポの綿毛の如く“女のベニアサブクロ”へと舞っていく。
綿が“女のベニアサブクロ”に疎らに付着したところで、ひなたは再び腕を振り上げた。
「ええーいっ!」
その動作の直後、付着した綿からはウニの棘のように無数の裁縫針が四方へ生え出し、“女のベニアサブクロ”の全身を貫いた。
「アアァァ~…!」
付着した綿の裁縫針は引っ込んでは即座に飛び出す抜き差しを繰り返し、“女のベニアサブクロ”の体を傷付けていく。
悶えながら“女のベニアサブクロ”は壁から落下し、体を地面に打ち付けた。
付着した綿からは尚も裁縫針が抜き差しを繰り返していたため、“女のベニアサブクロ”は体を起こすと、針金の指と体から生える針金を用いて綿を払い落とした。
「アアアァァ~…!」
“女のベニアサブクロ”は怒りを露にしたかのように、ひなたへ向け声を上げる。
「んっ……!」
ひなたは体を強張らせながらも、逃げ出すことなく相手と向き合う。
「アアァァ~…!」
“女のベニアサブクロ”が両手を構えると、針金の六本足でカサカサと前進と左右への横移動を合わせながら向かってきた。
「えいっ!」
ひなたは憑依体の腕の裁縫針を引っ込めると、左腕に綿を大量に生成し大きな綿飴のようにした。
「アアァァー…――」
「やぁーっ!」
“女のベニアサブクロ”が迫った瞬間。ひなたは左腕を振るうと同時に、綿から無数の裁縫針を飛び出させた。
先端が対象に向く様に裁縫針は全て“女のベニアサブクロ”へ向けられている。
「アアァァッ!」
無数の裁縫針が全身に突き刺さり、“女のベニアサブクロ”は苦悶の声を上げた。
また、ひなたが生成した左腕の綿はそのまま“女のベニアサブクロ”を包むように引っ付いたが、“女のベニアサブクロ”の突き進む勢いは止まらず綿に覆われたままひなたへ体当たりをする。
「わわっ!?」
ひなたはその場で尻餅をつくが、透かさず両腕を上げた。
「ええ~いっ!」
綿からは裁縫針が抜き差しを繰り返すことで“女のベニアサブクロ”の態勢を崩し、綿に覆われたまま地面をのたうち回った。
「っ!?」
ひなたが正面へ目をやると、空中では“男のベニアサブクロ”の攻撃を受け、弥兎の体が二階の窓ガラスを突き破っていった。
「弥兎ちゃんっ!?」
“男のベニアサブクロ”が地面へ着地すると、首を瞬時に曲げて血走った瞳でひなたを捉えた――。
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