第82話 課題
「いいって!」
「わぁ~!」
「では、急な訪問となってしまいましたので、何か手土産でも持って参りましょうか」
「うんっ!」
夏樹、董華、ひなたの三人は大型ショッピングモールを後にすると、弥兎のアパートへと向かうのであった。
あれから暫くすると、聞きなれない軽快な足取りでボロアパートの階段を上がる複数の足音が聞こえてきた。
玄関の前で気配が止まると、チャイムを鳴らされたため私はそっと戸を開ける。
「やっほーっ! ウサちゃ~ん!」
扉の前にはギャル子が暑さに負けず、元気いっぱいの様子を見せていた。
隣にはシシ子もおり、微笑みながらも申し訳なさそうな表情で立っている。
「全くもう……ほら、上がんなさいよ」
「お邪魔しまーす!」
「突然お邪魔することになり、申し訳ございません。
これ、つまらないものですが」
シシ子は、作りがしっかりとした紙袋に入っているやや高そうな手土産を差し出してきた。
「別によかったのに」
そう言いつつ受け取り中を確認すると、どうやらゼリーのようだ。
「全員分あるの?」
「たしか八個入りですわ」
「じゃあ、冷やしてから食べましょ」
そのまま戸を閉めようとドアノブに手を掛けるとひょこっと癖毛の頭が見え、予想外の人物が姿を見せた。
「こんにちは~」
「ひなた……!?」
「わぁ~! 弥兎ちゃんっ!」
私の顔を見るなり明るい笑顔を浮かべると、ひなたはトコトコと近づき抱きついてきた。
「久しぶりだねぇ~、弥兎ちゃん!」
「ほんとね。何? ギャル子達と一緒だったの?」
「うん! お出掛け先で偶然会えたんだぁ」
「ウサちゃんとはお久らしかったから、折角なら会いに行こうと思って!」
「そういうこと……」
今度こそ全員を中へ通す。
私が箱詰めされたゼリーを冷蔵庫に入れている間、皆は部屋の中を観察していた。
決して自慢できるような住まいではないが、長い時の経過を感じさせるこのボロアパートにも良い点はある。
かなりの築年数であるため家賃は安く、間取りは1DKとそこそこの広さがあるのだ。
玄関を抜けてダイニングキッチンの適当なところに荷物を置く様に促しながら、ギャル子に尋ねた。
「よくここが分かったわね」
「クマちゃんに訊いたら教えてくれたよ」
「だと思ったわ」
すると、各々部屋の感想を述べだす。
「ウサちゃん家ってレトロだよねぇ」
「うん! 風情を感じるなぁ~」
「趣がありますわ!」
「ボロでいいわよ……」
特に愛着がある訳ではないため余計な気遣いは不要であったが、こいつらのことだ。
感じたままを述べたのだろう。
奥の部屋へ通し雑談をしていると、良い感じにゼリーは冷やされたためおやつにすることにした。
スプーンですくいながら果肉がたっぷり入ったゼリーを堪能する。
ボリュームもあり酸味と甘さが丁度良く、実に美味い。
皆が完食すると、シシ子はタンスの横に積まれた物を目にして声を上げた。
「まあっ! 弥兎さんは勤勉ですのね」
「えっ? ああ……」
彼女が見つけたのは、停学中の課題である問題集だった。
「違うわよ。それは停学中の課題」
「停学?」
「はぁ……、実はね――」
私は、学業における自分の現状について話した。
「そうでしたの……。
すみません、お話しさせることになってしまって……」
「別に気にしてないからいいわよ。
学校に戻る気なんてないし、それだって手付かずだし」
「いけませんわ! その様に投げやりになられては!」
「私は好きに生きるって決めたのよ。何も学校に行かなくたって何とかなるわ」
「たしかに、生き方は個人の自由ではありますが……今はまだ、学業を蔑ろにすべきではありません。
そうですわ……! 弥兎さんっ! わたくし、決めましたわ!」
決心したシシ子はその場で立ち上がった。
「何を?」
シシ子は片手を腰に当てながら、もう片方の手で私を指差し宣言する。
「この夏休み中に――課題を全て終わらせますわよ!」
「……んー……えぇっ!?」
一瞬、私の思考は停止していた。
「ご理解いただけまして?」
「いや……結構です」
「拒否権はございませんわ」
このままでは課題をやらなければならなくなる。それだけは何としても避けなければならない。
「あのね……シシ子、今は夏休みなのよ! 私には……休みを謳歌する権利がある!」
「弥兎さんは停学されてからの今日まで、何をされておりましたの?」
「街をぶらぶらと……」
「でしたら、弥兎さんが何もされていない間、同級生の方々は勉強をされていたのです。
その方々に今から追いつくためには、誰よりも努力しなければなりませんわ」
「あのね……考えてもみなさいよ。これだけの量、一か月ちょっとで終わるわけないでしょ」
シシ子は問題集を何冊かパラパラと捲る。
「これでしたら、十二分に熟せますわ」
「あんた基準で考えないでよね、私には無理よ……」
「弥兎さん! 出来ない理由より、出来る方法を考えましょう!」
「ちょっと、ギャル子っ! シシ子が学問にストイックだわ!」
「う~ん……」
私を庇ってくれるかに思われたが、期待は外れる。
「あーしも、それはやった方がいいと思うしぃ~」
「ぬぬっ……、ひなたっ!」
もはや私の味方をしてくれるのは、ひなたしか居ない。
彼女はニコニコしながら答えた。
「頑張ろうねぇ~、弥兎ちゃん」
「なぁっ!?」
完全に四面楚歌である。
「何よ、あんたら私のこと嫌いなの!?」
シシ子は姿勢よく座ると、私を諭すように話し始めた。
「わたくしはたとえ弥兎さんに嫌われようとも、それがあなたの為になるのなら、心を鬼にして申し上げますわ!
自分にとって聞こえの良い事や楽な道が必ずしも正解とは限りません。
大切な方が間違った方へ進んでいるのなら、ご本人にとって辛く苦しい道であっても正しい方へ導く――それが本当に相手を思いやっている事であるとわたくしは思うのです。
弥兎さん、わたくしはあなたと……皆様との出会いは大切にしていきたいと思っておりますわ。
この事態が終息した後も良き関係で居たいと。
それとも弥兎さんにとって、今のわたくし達との関わりは一時的なものに過ぎませんの?」
「……」
「ウサちゃん。あーしはね、みんなのこと大好きだしぃ。この先もずっと仲良しでいたいと思ってるよ。
いっぱい遊んでさ、もっともっと楽しい思い出沢山作って、将来の夢とか語り合うの!
その過程で誰かが大変な状況になっているなら、あーしは全力で助けてあげたい!」
「私には夢なんて無いから……。学校に行く理由も勉強する必要もないのよ……」
「今はまだ具体的な目標が無いのでしたら、尚の事行くべきですわ。
わたくし達はいずれ大人になり、社会に出なければなりません。そこでは必ず学やコミュニケーション能力が必要とされます。
小さな社会の縮図の中で、他者と比べられ成績により順位と優劣が突き付けられるのは人によってはお辛いことでしょう。
しかし――学びを通して得意不得意を把握し、自分に出来る事を理解するのは大事なことですわ。
それは他者との関わりの中で、より強く実感できるものなのです。
そうして自分のやりたい事と出来る事が見えてくることもあります。
世の中、ご自分の都合の良い人だけではありません。
気の合わない方とも接し、上手く関わっていく術も学ぶ必要がありますわ。
今は具体的な夢が見つからなくとも、将来弥兎さんにやりたいことが出来た時、断念せずにその選択肢を取れるようにするためにも、わたくし達は学ばねばなりません。
だからこそ、わたくし達は学校へ行き――勉強をするのです」
「うぅ……」
ひなたは何処か悟ったような面持ちで語りかけてきた。
「弥兎ちゃん、みんなと同じように学ぶ機会があるだけでも、ありがたい事だと私は思うなぁ。
弥兎ちゃんには、そのチャンスがあるんだよぉ。
まずはその課題、終わらせてみない?」
「……」
私はいじけ気味に皆の話を聞いていた。
そんな私の両手を強引に包む様に握ったシシ子はぐいと顔を近づけて、声にはより熱意が籠る。
「弥兎さんっ! わたくしは全力であなたのお力添えをさせていただきますわ!」
近づかれると、彼女から香る良い匂いが鼻を擽った。
「あーしだって何でも協力するから! お任せだしぃ~!」
ギャル子は横向きにしたピースサインを目元に当て、ウインクしてみせる。
「私も夏休みの間は時間作れるから、出来る事があったら言ってねぇ」
ひなたは優しく微笑み掛けてくれた。
皆の説得に根負けした私は、覚悟を決める。
「あぁ~っ……分かった、分かったわよっ!
私はこんな訳の分からない事態に巻き込まれても、危機とした状況を何度も潜り抜けてきたのよ!
それなのに……こんな問題集が何よ! 停学の課題は――私が倒す!」
「その意気ですわ!」
「さっすがウサちゃ~んっ!」
「頑張ろうねぇ」
言ってしまった――。
これがたとえ数年でも、人生経験のあるお姉さん組の言葉の重みなのか。
今まで接してきたことで、私は彼女達の年齢を把握している。
私と比べて――らむねとクマ子は同い年、ハム子は二つ、ギャル子は三つ、シシ子とひなたは四つ年上だ。
「それじゃあ……明日に備えて今日は早く寝るから。あんたらそろそろ……」
「何をおっしゃいますの!」
シシ子は積まれている一番上の問題集を手に取りテーブルに置く。
「今から始めますわよ」
「冗談でしょ……」
「父が申しておりましたわ。“やるべき事は先延ばしにせず、毎日の積み重ねによって結果へ繋がる”と。
今日の努力は決して無駄にはなりませんわ」
「もうヤダ……帰りたい……」
「どちらへ?」
斯くして、私の猛勉強の夏の火蓋が切って落とされたのである――。
同日、駅前の広場、正午頃――。
真奈美は小走りで、ある人物の元へ近づく。
「お待たせしたっス」
「……ん。悪いな、呼び出したりして」
「いえいえ、お気になさらず」
真奈美は急遽、花子からの連絡を受け待ち合わせることとなった。
既に待ち合わせ場所に居た花子は、何かが入っている手提げバックを肩から掛けている。
「クマさんの呼び出しということは、魔力回収でしょうか?」
真奈美には他の理由が思い付かなかった。
「……いや、出来るに越したことはないが。……取り敢えず歩くぞ」
「はっ、はい」
駅から少し歩くと緑豊かな広い公園があり、園路の脇には土の地面から疎らに木々が生えている。
そこへ辿り着くまでの間、花子は真奈美から吊り天井戦での出来事を聞き出していた。
「……なるほどな。お前の遠心力を利用した遠心投げナイフは、長距離戦において今後も大いに役立つだろう。
……董華の誘導回転刃と違い、お前の場合は数と命中精度が売りだ」
「どもっス」
「……だからこそ、真奈美の魔力消費は投げナイフ用に温存しておいてもらいたい。
……つまり、お前に今必要なことは近距離戦での技術だ」
「はあ……」
人気のない園路の脇へ着くと、花子はぼそりと話し出す。
「……この前は最後まで付き合ってやれずに悪かった」
「そんな、クマさんが謝るようなことでは」
「……そこで、今日はあの時の続きをしようと思う」
「と言いますと……? ひぃっ!?」
花子は手提げバックからナイフを取り出すと、刃の反射で彼女の目元が照らされる。
「クっ、クマさん……何を!?」
「……特訓だ」
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