第72話 電話
ギャル子に貰った服でいっぱいになっている紙袋を両手に持って、私は家路に就いた。
風呂に入り、おばちゃんの用意してくれた晩御飯を食べ終わると、歯磨きを済ませる。
「だはっ……!」
その後はすぐ、沈むようにベッドへ倒れこんだ。
(まさか、一日で二回も処刑女とやりあうことになろうとは。
それにしても……)
頭上で振り下ろされた振り子刃、迫りくる吊り天井の情景が思い返される。
(一歩間違えば最悪な結果になっていたかもしれない。
特に“吊り天井”戦では、ハム子が居なければどうなっていたことか……)
それを想像するだけで、背筋が寒くなる。
加えて体の疲労はピークを迎え、急激な眠気が襲ってきた。
普段より早い時間だが、寝てしまうことにしよう。
布団に入って目を閉じ、就寝の態勢へ移った時であった。
スマートフォンが鳴る。
(誰よ、もう……)
横になったまま、画面に表示されている電話を掛けてきた相手を確認せずに出ると、スピーカーからは気取った若い男の声が聞こえてきた。
「犰狳雌、こんな時間にごめん。俺だよ」
(誰だよ)
「何も言わなくていい、今日は俺の話を聞いてほしくて電話したんだ。
今、外見れるかな? 顔を上げてごらん」
私は視線を上げる。
天井の木目が写った。
「綺麗な星空だろ? 今晩は一際綺麗に見える夜なんだってさ。
でも、俺にはどれも霞んで見えちまう。俺だけの一番星……見つけちゃったから」
(なんだ、こいつ……)
「犰狳雌、俺……思いきって言うよ! 俺、お前のことが好――」
私は電話を切った。
(サブに登録されている時点で望み薄いと思うぞ。俺君)
スマートフォンを置くと今度こそ眠りにつくことにする。
とんだ邪魔が入ったものだ。
体は重く、徐々に意識はベッドへと沈んでいった。
睡魔はゆっくりと私を夢の世界へ誘おうとしていたが――。
直後、スマートフォンが鳴った。
眠りに落ちる寸前だったというのに、現実へ引き戻される。
「……っ!」
私が電話に出ると、今度は鼻につく中年女性の声が聞こえてきた。
「夜分遅くにすみませ~ん。犰狳雌さんのお電話でお間違いないでしょうか~?
今、お若い方にもぴったりな保険がございま――」
私は電話を切った。
(何時だと思っているんだ。非常識な……)
眠りを妨げられた私の堪忍袋の緒は緩み始める。
次同じことが起これば、キレずにはいられないだろう。
再度眠る態勢に入る。
暫くは静寂が続き、ベッドの心地よさによって遂に眠りにつこうとした瞬間――。
スマートフォンがけたたましく鳴った。
「ぬぅっ!」
私は目をカッと見開き、勢い良くスマートフォンを握ると思い切り息を吸い込む。
スピーカーからは、まるで心が折れかかっているような啜り泣く女の声が聞こえてきた。
「すんっ……うっ……、夏樹ちゃん……お願い、助けて……」
私は大声で怒鳴りつけるように言い放つ。
「自分で何とかしろっ!」
「えっ!? あの――」
困惑している相手を無視して電話を切るとスマートフォンの電源を切り、クッションの上へ放り投げた。
「ふんっ!」
怒り心頭のまま布団を被る。
(これでいい、やっと静かになる)
携帯電話やスマートフォンの類は便利なものだが、四六時中誰かと繋がっているというのも考えものだ。
気分が乗らない時に、下手に無下にできない相手から連絡がくると、今まで気に留めていなかったやり取りも億劫になりそうである。
ともあれ、度重なる妨害を跳ね除けた私は、ようやく眠りにつくのであった。
翌日――。
私は放課後の時間まで待ってから、ギャル子へ電話を掛けた。
「もしもーし、ウサちゃん?」
「ギャル子? 今、平気?」
「うん、どうかしたぁ?」
「自分勝手なのは分かっているけど、あんたから借りているスマフォに登録されている不要な奴の連絡先、消していい?
しょうもないのが掛かってきて、鬱陶しいのよ」
ギャル子は少し悩んでから答えた。
「う~ん……、大……丈夫……かな? なんかあったら、また聞くし。
うん、いいよ、ウサちゃん」
「ありがと、助かるわ」
「そう言えばウサちゃん! 今さ、台風が近づいてるって! あーし、みんなと海に行けなくなったら嫌だしぃ~!」
直近の天気予報で報じられており、私もその事は知っていた。
「今度の三連休の頃には通り過ぎているし、大丈夫でしょ。
それより、クマ子とは連絡取った?」
「うん! クマちゃんもオッケーだって!」
ギャル子は嬉しそうに話す。
「そう。あー、そうだ。他にも何人かに声掛けて良い?
私達と同じ契約者だから、ギャル子達も顔は覚えておいた方がいいと思うし」
「マジっ!? うんうん、もち! ウェルカムだよっ! ウサちゃん!」
「それじゃ、返事を貰えたらまた連絡するわ」
「はーい」
こうして私は、ギャル子との通話を終了する。
「よし、それじゃあ……さっそく――」
帰宅して部屋着に着替え終わったらむねは、下帯 野乃花と電話で他愛もない話をしていた。
暴行事件後、学校に戻ったらむねに野乃花は涙ながらの謝罪をした。
彼女の胸の内を聞くのは二回目だったが、らむねは静かに聞き終えるとそれを受け入れた。
内気なため、らむね同様に親しい友人と呼べる相手が居なかった野乃花は、この一件以降らむねに少しずつ話しかけるようになり、今となっては良い関係を築いていた。
「だいぶ伸びちゃってるから、そろそろ美容院に行かないと駄目かも」
「髪かぁ……」
野乃花の話題に対し、らむねは自分の前髪をいじる。
以前かららむねの前髪の左側は、眼帯をしていた左目を覆うほどの長さがあった。
「前から思っていたけどね、樋郡さんはもっと顔が見えるように前髪上げた方が良いと思うの。
きっと樋郡さんの魅力に気づいてくれる人が増えると思うよ」
「えっ、そんなことないよ」
「樋郡さんは好きな人はいないの?」
「いるよ」
少し高揚気味になった野乃花は、続けて問いかけてくる。
「へえ~、そうなんだね。告白はしないの?」
「下帯さんが想像しているのとは違うよ。
もっと、なんて言うか……尊敬や憧れ? みたいなものかな。
あんなにも私の事で本気になってくれる人、居なかったから。
おかげで、今こうして下帯さんとお話できるようにもなっているし」
「そっか。きっとその人は樋郡さんの背中を押してくれたんだろうね」
「うん、本当に感謝してる」
すると、スピーカー越しに犬の鳴き声が聞こえてきた。
「ああ~ごめんね、マロン。今から行こうね。ごめん樋郡さん、私マロンの散歩に行かなきゃ」
「うん、また明日ね」
電話を切ったらむねは、引き出しを漁り始めた。
(髪留め……、あったかな? あっ……)
小物の中からバナナの形をした髪留めが出てくる。
(“暴君”……)
手に取った髪留めを、らむねは悲しげに見つめた。
(私の代わりに手を汚させちゃった。もし、もう一度会えるなら、私は“暴君”に謝りたい……)
今は亡き自分のドールの代わりとして、らむねはそれを握る。
鏡の前で左目を覆う髪を上げると、下がらないようにバナナの髪留めで止めた。
「うう~……、ちょっと恥ずかしいかな。でも、東林さんに“良い”って言ってもらえるかもしれない……」
弥兎の笑顔を思い浮かべていた直後、らむねのスマートフォンが鳴った。
掛けてきた相手を確認すると、らむねの心臓は飛び出しそうになる。
(とっ、東林さんっ!)
手櫛で髪を整えてから、電話に出た。
「もっ、もしもし!」
「もしもし? らむね? 私、弥兎」
「うっ、うん。どうかしたの? 東林さん」
「らむね、今度の三連休って空いてる?」
唐突な質問に意図を読み取れずにいたが、らむねはすぐに返答した。
「うん。特に予定はないけど、どうして?」
「海に行くわよ!」
「……、えっ!?」
弥兎から事の詳細を聞かされた後、通話を終了したらむねは慌てふためいていた。
(どっ、どうしよう……。東林さんや熊見さんならまだしも、知らない人に会うなんて、緊張するなぁ……。
だけど、きっと私はもっと人と会った方がいいと思うから、頑張らないと!
でも……、上手くやれる自信がない、誰かにアドバイスを貰いたいなぁ……)
らむねは一人の人物を思い浮かべる。
「佳奈ちゃんに相談しよう!」
らむねは佳奈に電話を掛けた。
「はぁい……」
キレ気味な声色で佳奈が出る。
「佳奈ちゃんっ! 今度、東林さん達と遊びに行くことになったんだけど、初めて会う人も居て不安なんだよね……。
どうしたらいいかな……?」
「知るかっ!」
即座に電話は切られた。
(いけないっ――! つい動揺して唐突に佳奈ちゃんに相談しちゃった。
こんな事、急に言われても訳が分からないよね……。ごめんね、佳奈ちゃん……)
らむねは冷静さを取り戻す。
(だっ、大丈夫……。只みんなで楽しく遊びに行くだけなんだから……)
どこか胸騒ぎのようなものを感じながら、らむねは自分に言い聞かせるのだった――。
(何も起こる訳ないよね……?)
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