第62話 心労
ハム子の憑依体はハム蔵の頭を被り、その頭部からは彼女の肩周りを覆うように憑依体の部位が続いているため、まるで着ぐるみのフードを被っているようだった。
憑依体の頭部の後ろからは、ハム子の背面を膝裏あたりまで、平たく潰れたハム蔵の体が覆っている。
宛ら、鯵の開きのように広げられた動物のカーペットの様だ。
その上下にはハム蔵の前足と後ろ足が付いており、いつ見てもドールに食い付かれているような風体である。
また肩周りの部位からは、契約者が腕を通せるように短い爪が生えている憑依体の腕があるが、ハム子は自分の腕を通していないため、素手を晒したまま憑依体の腕はだらんと垂れていた。
私と初めて対峙した時と同じ出で立ちである。
ハム子に接近すると、“男のアサブクロ”は腕を振り上げた。
「ひぃぃぃ~っ!」
ハム子は一瞬で180度向きを変えて逃げ出し、腕を振るった“男のアサブクロ”の攻撃は空振りとなる。
再び“男のアサブクロ”はハム子へ近づき攻撃を繰り出すが、ハム子はくるりと方向を変えて距離を取った。
「何やってんのよ! ハム子っ!」
「……逃げてばかりでは勝てないぞ」
その様子に私とクマ子は声を上げる。
「そんな事言われましても、おっかないものはおっかないっス!」
「私とやり合った時は普通に攻撃してたでしょ! こっちは生身なのにも関わらず、平気でナイフは投げるわ、したり顔はするわっ!」
私にしておいてアサブクロには出来ないのを見ていると、だんだん腹が立ってきた。
ハム子は逃げ惑いながら答える。
「そのことは蒸し返さないでほしいっス! ひっ! そもそもあれは死に物狂いだったからっスよ!
それにウサさん……、ひぃぃっ! やっぱり根に持ってるっス!」
ハム子はひいひい言いながら、“男のアサブクロ”の攻撃を躱していた。
「私がそんな小さい人間な訳ないでしょ! ただ、“あれが当たってたら死んでただろうなぁ”とか、“よく人に向かってああいう事できるなぁ”と思うだけよ!」
「それを根に持つというんスよ! ひぃぃ~っ!」
ハム子は避けては逃げるを繰り返し、状況が進展しない。
「ハム子っ! その付いてんだか良く分かんない爪で引っ搔いてやんなさいよっ!」
「それじゃ、近づかないといけないじゃないっスかぁ!」
「近づきゃいいじゃないっ!」
「無理っス!」
うだうだしているハム子を見て、私は露骨に苛立ち始める。
そこで、一人黙って見守っていたギャル子は声を漏らす。
「ねえ、クマちゃん。無理に戦わなくてもいいんじゃない? ハムちゃんかわいそうだよ……」
クマ子はハム子から目を離さずに答えた。
「……駄目だ。先の理由を含め、生き抜くためには憑依体のみならず、真奈美自身の成長も必要だ。
……ここは踏ん張ってもらうしかないな」
「さっさとヤっちゃいなさいよっ! ハム子っ!」
私はというと、野次を飛ばしていた。
「……、弥兎、お前ならどう戦う?」
私のヒートアップぶりを見兼ねて、クマ子は話しかけてきた。
「アサブクロなら正面から切りつけて転倒させる。それで倒せなかったら相手の上へ跳んで斬撃を一気に放って仕留めるわ。相手に攻撃の隙は与えない」
「……私は正面から一発だな。大抵はそれで倒せる。倒しきれなければ追撃するだけだ」
「あーしは敢えて一発もらって痛いかどうか確かめてぇ~。平気だったら相手を無視してズバズバかますだけだしぃ~!」
「皆さん、会話が怖いっス!」
私達の会話を聞きながら、ハム子は猶も逃げ惑う。
「こっちはいいから、さっさと片付けなさいよ!」
再度野次を飛ばし終えると、私はクマ子へ問い掛けた。
「ねえ、クマ子。やっぱりハム子の憑依体って……弱い?」
「……いや、多少の性能差はあるだろうが、真奈美の憑依体だけが特別劣っているということはないはずだ。
……本領を発揮できないのは、真奈美自身と、この状況が良くないのかもしれない」
「というと?」
「……真奈美が元々攻撃的な性格ではないことと私達が居ることで、もしもの時は助けてもらえるという考えが根底にあるのかもしれない。
……真に追い詰められていないせいで、本気になりきれていないのだろう」
私とやり合った時は単独だったからこそ、あそこまで出来たと言えるだろう。
「でも、ハムちゃんを危険な目に遭わす訳にはいかないよ!」
「……その通りだ。実際危険だと判断したら手助けはするが、憑依体の真価を発揮できないようでは困るな。
……取り敢えず憑依経験を増していけば、自ずと扱いに慣れてはいくはずだ」
こうして話している間も、ハム子は“男のアサブクロ”を攻撃できずにいた。
クマ子はしびれを切らして声を上げる。
「……仕方ない。真奈美、特殊能力を使え」
「はいっ……! ひぃっ! 了解っス! ハム蔵さんっ!」
ハム子の掛け声に合わせて、憑依体の手の先にヒマワリの種型ナイフが出現した。
ナイフが実体化したところで憑依体の腕はナイフを握る。
(ん……?)
私はその様子に疑問を抱いたが、すぐに違和感の正体に気付いた。
ハム子は自分の腕を通していないにもかかわらず、憑依体はナイフを握っているのである。
「ハム蔵さんっ! やっちゃって下さい!」
ハム子の指示を受けて憑依体の腕は動き、“男のアサブクロ”へ向かって真っすぐナイフを投げる。
放たれたナイフは“男のアサブクロ”へ突き刺さり、相手は小さく声を上げて悶えた。
「ウグゥッ……!」
だが、“男のアサブクロ”はナイフが刺さったまま、ハム子への方へ向かってくる。
「ひぃぃ~っ! こっちに来ないでほしいっス! ハム蔵さんっ!」
ハム子は再度ナイフを出そうとしたため、私は即座に指摘した。
「ちょっと、ハム子っ! アイツから回収しなさいよ!」
「ですから、近づくなんて無理っス! お痛されたら、こっちがお陀仏っス!」
結局ハム子は“男のアサブクロ”から距離を取ったまま何本かナイフを放つと、それら全てが相手へ命中する。
“男のアサブクロ”はその場で倒れ込み、魔力が湧き出すとハム子へ吸収された。
「へぁー……、へぁー……、かっ、勝ったっス……」
“男のアサブクロ”が消失すると、ゾーンは閉じられハム子の憑依は解除された。
「手こずり過ぎでしょ、あんた」
「……アサブクロ一体にしては……魔力を……はぁ……消耗しすぎだな……」
戦闘を終えたハム子へ感想を述べながら、私達は歩み寄った。
「はい……。申し訳ないっス……」
ハム子は自分の不甲斐無さを自覚し肩を落としていると、ギャル子が透かさずフォローに入る。
「でも、でもっ! ハムちゃん、ちゃんと一人でやれたんだしぃ~。良かったよっ! ハムちゃん!」
「どうもっス……」
今のハム子にとって、ギャル子の言葉は慰めにしかならなかった。
「まあ、私達が手助けした訳じゃないし、その点は良かったんじゃない?
ね? クマ子――」
私が声を掛けた直後、クマ子は体勢を崩し、前のめりに倒れ始めた。
「おっとっ!」
「クマちゃん!?」
両脇に居た私とギャル子は、すぐにクマ子を支える。
クマ子も何とか自分の足で踏み止まった。
「ちょっと、クマ子!? 大丈夫?」
「……ああ」
返事をするクマ子だったが、誰の目にも気分が悪そうに見える。
「クマちゃん、顔真っ青だよ」
「たしかに顔色悪いっスね」
「いつもだろ」
クマ子は私達の手からそっと離れると、ふらつきながらぼそりと呟く。
「……平気だ。いや、そうでもないな。……悪いが今日は帰らせてもらう」
「クマちゃん、送ってこうか?」
「……ただの立ち眩みだ。一人で帰れる。……それより夏樹、弥兎と真奈美に付いていてくれ。
……お前が居れば安心だ」
(私では不安か?)
「うん……、分かった。気を付けてね、クマちゃん」
ギャル子はクマ子を心配そうに見つめる。
「クマ子、もしかして憑依と関係があるんじゃ……」
「……いや、そんなんじゃない。本当に疲れが溜まっていただけだ。
……だが、少しの間休ませてもらおう。……はぁ、私が足を引っ張る訳にはいかないからな」
そう言うと、クマ子はハム子を見据える。
「……真奈美」
「はっ、はい!」
ハム子は背筋を伸ばして、聞き入る姿勢になる。
「……いいか、お前は決して足手まといなどではない。必ず真奈美の力が必要になる時が来るだろう。
……だが、お前に行動へ移す勇気がなければ何も変えられない。それでも、現状を打破できるのは他でもないお前自身だ」
「クマさん……」
「……追い詰められた時こそ逃げるな。自分の手で解決の糸口を探せ。
……その時こそ、必ずお前は私達の力となる」
「はい……」
クマ子の言葉だけで解決するほど単純な問題ではないが、彼女は私達の思いを代表して言ってくれた。
(ハム子、私だって……“あんたが居て良かった”、そう言ってあげたいんだから)
「……それじゃあ、後は任せた」
クマ子は一人、広場を後にする。
(……)
クマ子は元々アイアン・メイデンを倒すことを目的に行動していた。
そんな中、何かしらの理由で下帯を救わなければならなくなり、暴行事件解決に尽力する。
その後は当初の目的であるアイアン・メイデン打倒に向けて動き出すが、ヤツの恐ろしさを知っていたクマ子は、私達が一人の時に襲われないかを危惧していた。
これらを踏まえ、数か月の間は気が気でない日々を過ごしていたのかもしれない。
早急に対処すべき問題が解決したことで緊張が解け、ここにきてどっと疲れが出たのだろう。
強力なキラードールがいつ襲ってくるか分からない現状、休めるときに休んでおくべきだ。
私はここに至るまでの彼女の心労を察しながら、一人立ち去るクマ子の背中を見送るのだった。
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