第40話 前進
「……今だっ!」
クマ子は声を張って、私に指示を出す。
「おうよっ!」
私は憑依体の鉤爪を立てる。
この瞬間を待っていたのだ――。
地面を強く踏み込むと、ゴリラ型のキラードールへ急接近した。
「ふんんっ!」
憑依体の腕を素早く動かし、私は何度もゴリラ型のキラードールを切り付けた。
見る見るうちに切り刻まれズタボロとなったそのキラードールの首元を、私は自分の憑依体の右腕で締め上げる。
「んん……、――へっ? “暴君”……?」
樋郡は上体を起こすと、ズタズタになった自分のキラードールを目の当たりにし、目を丸くした。
「東林さん……、何してるの?」
宙づりになったキラードールの胴体目掛けて、私は貫こうと鉤爪を立てて憑依体の左腕を構える。
「ねえ、やめて……。やめてよぉ……」
樋郡は地面を這ってこちらへ近づくと、膝をついたまま私の腰を掴み、揺さぶりながら懇願してきた。
「はっ!?」
樋郡は何かを思い返すように声を上げる。
――東征学園の校舎の裏で、らむねは四条 光桔等に暴行を受けていた。
柑奈が転校した後も、らむねへのいじめが無くなる事はなかったのだ。
「うっ……うぅ……」
「次、誰がやる~?」
体を丸めて横たわっているらむねを前に、上野 莉沙は光桔と三枝 朱里に目配せで確認をとった。
朱里はらむねへ声を掛ける。
「なんかリアクションもワンパターンだし……。
ねぇ、樋郡ぃ? もっと面白く出来ないわけ?」
らむねは、殴られた箇所を摩りながら答えた。
「ほっ、保健室に……行かせてください……」
「それは面白くないから、却下。――んっ?」
らむねの発言を否定した光桔は、地面に埋まった平たい石に目が留まった。
校舎の裏は日影になっており、土になっている部分はいつもしっとりと湿り気があった。
そこに表面だけを露わにした石を見つけた光桔は、地面からめくり上げる。
石の裏は湿気を保った泥がへばりついていた。
「樋郡、退院祝いまだだったよね? いいもん上げる」
「えっ……?」
らむねが顔を上げると同時に光桔は顎で合図を送り、莉沙と朱里はらむねを掴みにかかる。
「えっ? 何っ!?」
困惑しているまま、らむねは仰向けにされた。
頭の方へ真っすぐ延ばされた両手は、膝をついた莉沙の曲げた足の間にぞれぞれ挟まれる。
らむねの脚へ前かがみに腰を下ろした朱里は、彼女の太股を両手で押さえつけた。
平たい石を持った光桔は、らむねへ近づく。
「これ、私からのプレゼント」
「えっ!? うっ!?――」
光桔は平たい石の泥の付いた面を、らむねの左目に押し当てた。
( うぅ……目がぁ、痛い。それに……冷たいし、汚い)
らむねは咄嗟に目を閉じたが、押し付けられた石は皮膚を擦り、泥は目の隙間から入り沁みたのだった。
乗せられた石を振り落とそうとした時、光桔が声を上げる。
「私からのプレゼントを落とすんじゃねーよっ! いいから、じっとしてろ……」
「四条さんっ!」
制止しようとする下帯 野乃花の声を聞いて、らむねは右目を開けた。
らむねの目には、足を上げた光桔の靴底が映った。
「お願い……やめてぇ……」
その言葉が届くことはなく、光桔は平たい石が乗せられたらむねの左目へ足を勢いよく振り下ろした。
「ぎゃあああぁぁぁ~っ!――」
「――うあああぁぁっ! やめてぇ! やめてっ、東林さん! 私から“暴君”を奪わないでっ!
もう、あんな毎日は嫌ぁ! “暴君”が居なかったら、私は何も出来ないの!
この目を見て! あの人達にやられたんだよっ! 人を傷付ける事がどういう事か分かっている人は、こんな酷い事出来るわけない!
そんな人達に分からせるためにも、“暴君”は必要なのっ!
あなたなら分かってくれるでしょ!?」
私は、締め上げたゴリラ型のキラードールを見たまま答えた。
「その体が示すように、あんたは自分への痛みはよく分かっているでしょうね」
「へ?」
「誰だって自分の痛みには敏感だけど、相手の痛みには鈍いものよ。
だけど、理解に努める事は出来る。
中倏と同じように、樋郡……あんたはそれすらまだ、出来ていないのよ」
「そんな事ないっ! 私は誰より人の痛みが分かってるよ! 受ける痛みも与える苦しみも!」
私は視線を変えず、淡々(たんたん)と話し続ける。
「あんた、自分の手で人を殴ったことある?」
「えっ……」
樋郡は言い淀んでしまう。
「私はあるわ。中倏を殴った時、私も痛かった。
手の皮はめくれるし、血は出るし、痺れるし……。
でも、相手を痛めつけようともっと力を込めると、その分だけ自分の痛みも増していくの。
それでも後悔はしていない。それが良くない事と分かっていても、私は“自分の手”で思い知らせたかったから……。
そこが、私とあんたの決定的な違いだよ」
「そんなの些細なものでしょ!? どうして頑なに私と中倏さんが同じだなんて言うの!?」
「じゃあ、なんで中倏妹に手を出したの!?」
私は声を荒らげた。
「えっ……」
自分の名前を出され、中倏妹はハッとする。
私は構わず話を続けた。
「あいつはあんたの言う、理不尽な暴力に晒された一人じゃないの?」
樋郡は俯き、ばつが悪そうにしながら答える。
「それは……、佳奈ちゃんを傷付ければ、中倏さんも傷付くと思ったから……」
私は語り掛けるように言葉を発した。
「あんたは中倏と同じだよ、樋郡 らむね。
自分の手を汚さないから、他人の痛みが分からないんだ。
復讐の果てに無関係な人間を巻き込んで、気が付けば自分が最も忌むべき相手と同じになってしまった」
樋郡は俯いたまま、私の話を聞いていた。
「あんたの気持ちは分かるよ。あんたのされてきた事を考えれば、許せなくたって当然よ。
それでも、あんたには中倏みたいになってほしくなかった……。
私の後悔はないだなんて、結局は強がりなのよ。
感情のままに動いた結果、私は正しく学ぶ機会を失ってしまった。今尚、同い年の連中から確実に後れを取っている。
たとえそれが理不尽に苛まれた故の結果だとしても、もっと上手く出来たのではないかと考えずにはいられないわ……」
私は樋郡を見る。それに合わせて、樋郡は顔を上げた。
「前に進みなよ、樋郡」
「東林さん……」
ゴリラ型のキラードールへ向き直り、私は自分の憑依体の腕に力を込める。
「あんたは、こんな力持ってちゃいけない……。
コイツを手放す、それがあんたにとっての……前進よ」
私は憑依体の左腕を前方へ向け真っすぐ伸ばすと、鉤爪はズタズタになっているゴリラ型のキラードールの胴体を貫いた。
「あっ……」
らむねは小さく声を漏らす。
ゴリラ型のキラードールは抜け殻のように力なく地面に倒れると、その体から青白い発光体が湧き出し私に吸収された。
(――っ!)
思わず自分の手の平を見る。
以前よりも多く、私の中で失ったと感じたものが満たされる感覚があったのだ。
未だにこの感覚について答えを出せないままの私は、正面に目をやる。
ゴリラ型のキラードールの体はアサブクロの時と違い、黄色く光る靄に包まれていた。
靄はやがて幾つもの光の粒となると、その一粒一粒が空中へ巻き上げられ、ゴリラ型のキラードールはゆっくりと消滅していった。
らむねは地面に手を突いたまま、うなだれていた。
そこへ足音を立てて、近づく者が居た。
「こっ、こいつぅ……!」
「ひっ!」
そこには憤怒の表情に満ちた中倏妹が、三節棍を握りしめて立っていたのだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
樋郡は中倏妹の方に向かって額を地面に押し付けると、頭を抱えてガクガクと震えだした。
「ふんっ! 好きなだけほざいてろっ! あたしが受けた痛み、そしてお姉ちゃんが受けた仕打ちを何倍にもして、あんたに思い知らせてやる!」
さらに体の震えが増す樋郡の隣に立つと、中倏妹に向かって私は諭すように言葉を掛けた。
「もう止めよう、中倏妹……」
「あんっ?」
樋郡は顔を上げて、私を見る。
「東林……さん?」
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