第39話 リセット
世界は色を取り戻し、私達は夕暮れの道路上に立ち尽くしていた。
「……!?」
「えっ……」
クマ子は樋郡へ生身の状態で拳を向けているが、届いていない。
思わず私は、周りを見渡す。
ゾーンが閉じられたのだ――。この場にいる全員の憑依が解除されていた。
「んっ――!!」
樋郡は右足で素早く二回、足踏みをする。
「はっ……!」
それを合図に中倏妹は、自分のキラードールを中心にゾーンを展開した。
ゾーンの展開と同時に樋郡は再び憑依し、さらに四つ腕状態となる。
冷たい視線がクマ子を射抜いた。
「……っ!?」
四つ腕が握り拳を作ったところで樋郡の狙いを悟りクマ子は憑依するが、防御に徹している暇がなく四腕連打がクマ子の肉体へ炸裂する。
「……ぐああぁぁっ!」
「クマ子ぉーっ!」
一打毎に顔が揺さぶられる程の殴打が、クマ子を何度も襲った。
樋郡はクマ子の憑依体の頭を掴むと二本の右腕を構え、小刻みに震える程二つの拳を握り締める。
「はああっ!」
直撃した強烈な二発の殴打は、鈍い音を響かせながらクマ子の体を吹き飛ばした。
「……ううぅっ! ぐあっ! ぐはっ……」
体を回転させながらクマ子は何度も地面に打ち付けられ、やがて横たわったまま動かなくなった。
「クマ子っ!? くそっ……! “ロリポップ”っ!」
私は再び憑依すると、前方へ何度か飛び跳ねクマ子の元へ駆け寄った。
「ちょっと……クマ子! しっかりしなさいよ! ――んっ!」
私は樋郡を見る。
さっきのは……言うなれば、“ゾーンリセット”。
憑依体は、ゾーンが閉じられると強制的に憑依が解除されてしまう。
その特性を利用し、任意のタイミングでゾーンを閉じることで、危険な状況をいつでも回避できる。
ゾーン発生者が持つ、最大の利点と言えるだろう。
さらに協力関係にある契約者が居る場合では、その者にゾーンを発生させることで、再び自分陣営を発生者側にすることができる。
そしてゾーンの再発動のタイミングを事前に把握しておき、それに合わせて再度憑依をすれば、即座に攻撃に移れる。
戦闘においては、強力なカウンター技だ。
加えて、ゾーンリセットは憑依だけでなく能力使用時の状態変化までも解除できる。
再び能力を使われればそれまでだが、完全に一度状況をリセット出来るメリットは大きいだろう。
(ちっ……! これにもっと早く気付いておくべきだった……!)
「……んん……」
「あっ!」
クマ子がのそのそと上体を起こした。
「ちょっと、クマ子っ! 大丈夫なの?」
「……別に」
額から血が流れていた。頭を少し切ったようだ。
「こんな時に強がんじゃないわよ!」
「……お前こそ、状況を考えろ。私達は引くわけにはいかない。
……必ず此処で、奴を止める……!」
(人が心配してやってるのに……、かわいくねぇ……)
樋郡は、元の両腕の拳同士をゴツンと合わせながらぼやく。
「まだやるの? しつこいなぁ……」
私とクマ子は立ち上がると、四つ腕の樋郡を見やる。
(私達に勝機が無い訳じゃない、クマ子の肥大化パンチさえ当てればいいんだ……。
だが、それを確実に通すためにも……先にやっておくべき事がある)
私は声を張った。
「中倏妹っ! あんたはそのままでいい訳!?」
「えっ?」
中倏妹は、私の問いかけに耳を傾ける。
「ここで私らを負かす事があんたの望みなの? これから先も中倏の事で脅されながら生きていくの?」
「んっ……」
「あんたの望みは中倏を助ける事でしょ! いつ気が変わるかもしれない相手に付くより、私達に手を貸しなっ!」
「……」
私は言葉をかけ続ける。
「あんたが私を嫌いなのは分かる。私もあんたは嫌いだ! 中倏はもっと嫌いだぁ!」
「なっ……!」
中倏妹は、私の問いかけに反応した。
「仲良くしようなんて言ってんじゃない。互いの目的のために今だけ手を貸せ……」
私は中倏妹へ向け、叫んだ。
「今この瞬間が、姉を救う最大のチャンスだぞっ!」
「――っ!!」
中倏妹は目を見開くが、その真意は読めない。
「行くわよっ! クマ子っ!」
「……おう!」
私とクマ子は樋郡に向かって、駆け出した。
樋郡は中倏妹の様子を気にしていたが、迫りくる私達を無視できなかった。
瞬時に四つ腕でナックル・ウォークの状態になり、私達目掛けて突っ込んでくる。
(揺さぶりはかけた……。
ゾーン発生者が中倏妹である以上、クマ子の攻撃を確実に通すためには、あいつにゾーンを閉じさせないようにしておく必要がある……)
私は先頭を走り鞭のように憑依体の腕をしならせながら、樋郡に斬撃を放ちつつ、視界を塞いだ。
樋郡は顔を伏せながら私に接近すると、四腕連打に切り替え攻撃してくる。
無数の殴打が地面を砕く頃には、私は高く跳び上がっていた。
上空から攻撃を加えつつ、正面のクマ子は右腕を肥大化させる。
能力を明かした今、出し渋る必要はなくなったのだ。
クマ子が拳を構えるのに合わせて樋郡も又、二本の腕で拳を構える。
互いの拳がぶつかり合うと、激しい突風が吹き荒れた。
だが、またしても樋郡の攻撃が押し負かされ、反動で体が後退した。
「ぐっ……!」
弾かれ後ろへ下がった二本の左腕を、私は自分の憑依体の左腕で再び縛り上げ、樋郡の背面に着地した。
クマ子は肥大化していない左腕を構える。
それに対抗して樋郡は二本の右腕を構え、殴打を放とうとした時だった――。
「はああぁーっ!」
「っ!」
再び憑依体となった中倏妹が三節棍を振り下ろし、樋郡の足へ打撃を与えた。
(中倏妹――!)
「うあっ!?」
樋郡は声を上げて膝をつくと、直後にクマ子の殴打が襲う。
「……ふん!」
「あぁっ!」
樋郡が怯んだ隙に、彼女の二本の右腕を私の憑依体の右腕で縛り上げ、左右の腕の先の鉤爪を地面に突き刺し安定させた。
樋郡はそれぞれの腕を縛られ、先程と同様に胸を張る姿勢となった。
「行っけぇぇーっ! クマ子ぉっ!」
「はっ――!」
樋郡がクマ子を見ると、クマ子は再度肥大化した右腕を構えていた。
「……ふうんっ!」
激しい打撃音を立てて、クマ子の殴打が直撃した。
「うあああぁぁ~っ! ――がはっ!」
叫び声を上げると、私の頭上を越えて樋郡の体は吹き飛ばされた。
クマ子の攻撃の威力も加わり、私の体は後方へ向かって凄まじい力で引っ張られる。
だが、私はまだ樋郡を放そうとしない。憑依はまだ……解除されていないのだ。
踏ん張ってはいるが、今にも私の体ごと一緒に飛ばされそうだった。
「ふんぬぅぅ~っ!」
この機会を逃してなるものか。ここで、決着をつける。
私の憑依体の腕に縛られたまま、上空後方へ向かって引っ張られている樋郡の後ろに人影が飛び上がった。
「はっ!」
「……っ!」
中倏妹が三節棍を振りかぶっていた。
「飼い犬に噛まれる気分はどうだぁ!」
「っ!」
中倏妹は渾身の力を込めて、三節棍を振り下ろした。
「だはっ!」
その攻撃は樋郡を直撃し、彼女の体は前方へと流れを変えた。
私は地面を強く踏み締め、憑依体の腕に全身全霊の力を込める。
「行くわよっ! クマ子ぉ!」
「……ああ!」
今の私はゴムパチンコ。そして鉄球にあたる樋郡を正面に居るクマ子へ向けて打ち放った。
「おらああーっ!」
「ううぅぅーっ!」
樋郡は激しい風圧を受け、体を仰け反らせながらクマ子へ向かって突っ込んでいく。
クマ子は肥大化した腕を構える。
「……お前のせいで――」
「うっ……!」
樋郡はクマ子と視線が重なる。
「――とんだ手間を食ったぞ。……ふんっ!」
肥大化したクマ子の殴打が樋郡へ最後の一撃を打ち込んだ。
「うああぁぁああっ! ――がはぁ!」
今度は巻き付けていた腕を解くと、樋郡は私の頭上を叫び声を上げながら飛び越え、吹き飛ばされる。
「あああぁっ……、だあっ! がはっ! ううぅ……」
上空から地面に何度か打ち付けられた樋郡は、一瞬輝くと契約者とキラードールに別れ、憑依は解除されたのだった。
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