第35話 善戦
らむねの元に一瞬の閃光が走ると、光の中から太く長い二本の腕が手前へ伸びる。
一際太い前腕部分は包帯でぎっちりと覆われ、軽く握った手の指の背面にあたる中節骨の部分を地面に押しつけた。
それだけで、周囲に軽い地鳴りを起こす。
光が晴れると、らむねの憑依体は全容を見せる。
頭と胴が一体化したゴリラの上半身を被り、そこから全身と変わらない程の長さをした腕でナックル・ウォークの姿勢を保っている。腹周りは中華鍋の底を正面に向けたような形状をしていた。
足首から先は憑依体に変化しているが、憑依体の腹部と足首の間にはらむねの細い脚が露わになっている。
らむねは地面から手を離すと右手をグー、左手をパーの形にし、それぞれの手をばちんっと合わせる。
その動作から伝わる気迫は今までの契約者からは感じ得なかったもので、一筋縄ではいかない事を弥兎に直感させた。
「今なら逃げてもいいんだよ?」
らむねの言葉を無視して、最初に仕掛けたのは弥兎だった。
肩から生える憑依体の腕の先から三本の鉤爪を立たせると、らむねへ向かって駆け出した。
「はぁ……」
一発食らわせなければ駄目かと諦め、らむねは拳を構える。
弥兎が攻撃範囲まで近づくと、右腕で素早く真っすぐな殴打を叩き込んだ。
だが、向かってきた弥兎はすぐさま片足で地面を蹴ると真横に避け、鉤爪でらむねを切り付けてくる。
「くっ! このっ!」
切り傷程度の負傷では怯むことなく、らむねは透かさず左腕で弥兎目掛けて殴りつけた。
その殴打は地面をえぐり、地響きを起こす。
だが、手応えはなく、再び躱していた弥兎に切り付けられた。
「ぐっ! もうっ!」
弥兎を振り払うため、両手の握り拳を合わせ小指側を地面に叩きつけると、地面を擦らせながらそのまま左右に両腕を開いた。
しかし、これでも触れた感触は無く、顔を上げると弥兎の姿が消えていた。
「どこっ!? ……はっ!」
らむねが見上げると、弥兎は高く跳んでいた。
(んっ! なんて……身軽なのっ!)
らむねの殴打が届かない高さから攻撃を仕掛けるため、弥兎が自身の憑依体の腕を伸ばした時だった――。
(――っ!?)
弥兎の中で何かが減っていく感覚があったのだ。
ここで憑依体になった時、既に弥兎の中では以前と同様に体の中で何かが失われた感覚はあった。
今回のそれは憑依の時より遥かに少なかったが、腕を伸ばしている間は継続して何かが減少しているのを感じ取れた。
だが、今はらむねを止める事を最優先に考え、弥兎は即座に目の前の事に集中する。
弥兎の無数の斬撃が天から降り注いだ。
「ぐっ! ううぅぅぅ~っ!」
らむねは頭の上で両腕を肘から曲げ、弥兎の攻撃を凌ごうとする。
そこでらむねは、自分へ駆け寄る足音に気づく。
「はっ!」
らむねの正面では、接近してきた花子が鋼鉄の指が光る拳を構えていた。
すぐさま上げていた両腕を交差させたまま正面に戻す。同時に花子の殴打がらむねを直撃する。
「ぐうっ!」
両足が地面を擦りながら粉塵を立たせ、らむねは受けた攻撃の衝撃で体が後退した。
そのまま両腕を地面に押し当て、離す勢いで弥兎達から距離を取る。
弥兎は花子の隣へ着地した。
――当初と違い樋郡は私達に強い警戒心を持って、こちらを見ていた。
「下手くそ」
私はクマ子を茶化した。
「……ちゃんと当てただろ」
クマ子は横目で言い返してくる。
初めての共闘ではあったが、まずは上手くいった方だろう。
私達の作戦はシンプルだ。
待ち伏せの際にクマ子から聞いた情報。
それによれば、樋郡はクマ子同様、殴打を得意とする攻撃型の憑依体だ。だが、これもクマ子と同じように機動力はそれ程高くはない。
クマ子の攻撃の威力は確かなため、これを当てさえすれば私達に勝機はある。
そこで素早さに特化した私が樋郡を撹乱し、その隙にクマ子の攻撃を通す。
これが私達の作戦なのだ。
私のスピードがそこまで当てになるのかと最初は半信半疑だったが、いざ相手にしてみると自分の憑依体の俊敏性の高さに気づかされる。
また、勝敗の決し方も分かっている。
中倏妹との戦闘の際、私が攻撃をし続けると、憑依体は損傷していきやがて契約者とドールに別れていた。
憑依体のダメージが蓄積していく事は、契約者とキラードールを結ぶ糸がほつれていく事に例えられるだろう。
そしてそのダメージ量が一定値を超えると、それぞれを繋ぐ糸が切れ、憑依が解除されてしまう。
この時、相手のドールを倒せば契約者はキラードールの能力を失う。
これこそが、対契約者戦における基本戦術と言える。
樋郡は体勢を立て直すと、グーとパーの形にしたそれぞれの手をばちんっと合わせた。
「……優勢だと思っていないだろうな」
樋郡に目をやりながら、クマ子は私に確認してくる。
「まさか」
私も、樋郡から目を離さずに答えた。
先制攻撃は上手くいったが、私は決して油断したりしない。
クマ子から聞いた樋郡の能力。
それを行使してこない以上、あいつはまだ本気を出していないのだから――。
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