第34話 対峙
「樋郡……さん?」
下帯は樋郡へ声を掛ける。
「久しぶりだね。下帯さん」
下帯は安堵したように胸を撫で下ろした。
「良かったぁ。もう退院してたんだね」
「えっ……?」
予想外の返答だったのか、樋郡は戸惑いを見せた。
「わっ……私、私ずっと……うっ、えぐっ……」
そこで下帯は膝をついて泣き出してしまう。
「ごっ……ごめんなさい、ごめんなさいっ! うっ……私、あなたが酷い目に遭っていたのに、何もしてあげられなかった……」
下帯の犬は、彼女を心配そうに見つめながら寄り添う。
「私は……ずっと中倏さん達に逆らえないで、いじめに加担してた。
樋郡さんがあんな目に遭う理由なんてないのに。
これから先の受験の事、先生やお父さんやお母さんの期待してくれる顔を思い浮かべると、問題が明るみになるのが怖かったの。
私は自分の保身のために、目を背けてた……」
下帯の犬は慰めるように、彼女の頬を舐めた。
「樋郡さんが殴られている時、私は止めに入るべきだった。たとえ中倏さん達に酷い目に遭わされても、私も一緒に殴られればあなたと同じ痛みを知れた。
少しでも苦しみを分かち合えたら、樋郡さんがそんなにも傷つく事はなかったのに、もう私、どうしていいか分からない……」
感情が湧き出すように、下帯は言葉を吐き出していた。
「でも……私ね、中倏さん達が入院したって聞いて、ほっとしちゃったんだ。中倏さん達だけじゃない、踏み込む勇気を持てなかった私にも罰が当たる時が来たんだって……」
下帯は、俯いたまま続けた。
「きっと樋郡さんだと思った。どんな方法かは分からなかったけど、こうして表に出ていれば、きっと見つけてくれると思ったから……」
下帯は顔を上げて、樋郡を見た。
「そのために来たんでしょ? 樋郡さんが満足するまで、私を傷つけて良いんだよ……あなたにはその権利がある」
樋郡は握り拳を作り、歯を食いしばった。
「くっ……、今更――」
腕を勢いよく横へ振り、声を荒らげた。
「今更そんな事言わないでっ!」
樋郡は肩を震わせ、息が上がる。
「素直に言ったらいいじゃないっ! 私でなくて良かった、酷い目に遭うのが樋郡でって!
みんなそうよ! 誰だっていじめられたくなんてないもの、自分が大事だからっ!
だって……、誰も助けてくれなかったっ!!」
樋郡は声を震わせていた。
「私には樋郡さんが受けた苦痛を全部は理解してあげられない。
だから、こんな事しか出来ないけど、あなたの痛みも苦しみも全部受け止めるから……」
下帯は目をつむると覚悟を決めた。
「ぐっ!」
樋郡は冷たい目で下帯を見る。
「そう……、だったら望み通りにしてあげる。
私はやり遂げるから……、仕返しを果たして、前へ進むために!」
「……やめとけ、樋郡 らむね」
そこでクマ子は二人の前へ歩み出た。
私もそれに続く。
私達は下帯の隣へと並び立った。
下帯は困惑した表情で、私とクマ子の顔を交互に見ていた。
「えっ……、誰? あなた達……」
(あれっ? クマ子とは知り合いじゃないのか?)
「……逃げろ」
クマ子は樋郡から視線を外さずに言った。
「えっ? でも……」
「早く!」
クマ子の言葉には有無を言わせぬ威圧感があった。
「はっ! いっ、行こう。マロンっ!」
クマ子の気迫に押され、下帯は来た道へと走り去ってしまう。
私は下帯の背中を目で追っていた。
「あいつ、ここから出られる訳?」
「……無理だ。だが、離れていればそれで良い。
……ゾーンが閉じれば、どうせ何も覚えていない。ぼおっと散歩していたと思うさ」
私は正面の樋郡へ視線を戻すと、彼女はうんざりした表情でクマ子を見ていた。
「はぁ……。また、あなたなの? 何度やったって同じだよ。
私はね、別にあなたを傷つけるつもりはないの。
ただ、邪魔をしないでほしいだけ」
「……それは無理な相談だな。私はお前を止める、そのためにここへ来た」
クマ子と樋郡は、互いに睨みを利かせた。
「もういいでしょ、樋郡」
そこに割って入るように、私は声を上げた。
樋郡は訝しみながら、私を見た。
「あなたは?」
「私は東林 弥兎。中倏とは転校先のクラスメイトで、私もあいつにいじめを受けていたの。
まあ、やり返して、ぼこぼこにしちゃったけど……」
そこで樋郡は目を丸くすると、声色を変えて言ってきた。
「そっ、そうなんだ……。あのね、えとっ、東林さんだっけ? 私も今、中倏さん達に仕返ししてて、その……良かったら一緒にどうかな?
色々辛かったよね。私にはあなたの気持ちが分かるから」
「悪いけど、興味ないわね。私は方を付けたつもりだし、あんたも危害を加えた連中にはやり返したんだから、もう十分でしょ」
「そんな……、んっ!」
樋郡は落胆した表情をすると、即座にクマ子へ鋭い視線を向けた。
「なるほどね。そこのクマの人に色々吹き込まれたみたいだね。
そうやって、私だけ悪者にしたいんだ……」
再び冷たい口調に戻ると、樋郡は私達に告げた。
「言っても分からないあなた達には、私がこの手で分からせてあげる……」
すると、ゴリラ型のキラードールは指を鳴らす仕草をしながら、樋郡の隣へ並び立った。
「“暴君”っ! お仕置きの時間だよ……」
クマ子はため息をつくとスマートフォンの電源を切り、鞄へしまい込んだ。
「……はぁ。やるか、“まるこげ”」
(結局、こうなるのね……)
私はウエストポーチからロリポップを取り出すと、慣れた手つきで包みを剥がし叫んだ。
「“ロリポップ”っ!」
ロリポップを咥えるのに合わせ、私達の体はドールと共に輝きを放ち、憑依体へと姿を変える。
復讐、救出、制止。
三者三様の思いが交差する中、今ここに三体の憑依体は対峙したのだ――。
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