第31話 とぐろ
東征学園の校庭では、体育教師の声が響いていた。
「いいかー! ここから正門を抜けて、学園の外周を指定のコースに沿って走り、再びここに戻ってくる。
ペアの者はしっかり走者のタイムを記録するように!
一組目が走り終えたら交代だ」
空砲が鳴ると、体操着に身を包んだ生徒達が一斉に走り出す。
後尾の方では走りが苦手な者や、やる気のない生徒たちが続いた。
その中で中倏のグループの一人だった“三枝 朱里”は、ほとんど歩くような速度で一人走っていた。
普段なら他の女子と話しながら過ごす彼女だが、直近の暴行事件を受けて思いつめており、今の朱里は周りの者も近づきがたい雰囲気を漂わせていた。
(光桔も莉沙もやられた……。柑奈も入院してるって聞くし、まさか樋郡が……?
いや、あいつにどうこう出来るような怪我じゃない……。じゃあ、他の奴……?)
中倏 柑奈が転校した後は、四条を筆頭としたグループとなっていた。
そんな彼女達は柑奈が居た頃から、らむねが入院している時に他の生徒にもいじめを行っていたため、自分達に被害が及んだ今、犯人を特定するには心当たりがあり過ぎたのだ。
(クラスの誰かがどっかの不良にでも頼んだのか? くそっ、どいつだ!)
考え込んでいた朱里がふと顔を上げると、前を走っていた生徒が居なくなっていた。
(んっ? ちんたら走り過ぎたか? あれ……?)
周りの景色に目をやると、世界は色を無くしていた。
思わず足を止める。
(何なのこれ……、怖い……)
すると、朱里は背後から声を掛けられた。
「三枝さん」
「んっ? うあああぁぁっ!?」
そこには樋郡 らむねが居た。
だが、朱里が悲鳴を上げたのは、らむねの隣に不気味なゴリラのぬいぐるみが居たからだ。
「樋郡……? どうしてここに?」
「いやだなぁ。ここは私が通っている学校なんだから、私が居て当然でしょ?」
「あんた今日休みでしょ……」
朱里の目には、ゴリラのぬいぐるみを全く気に留めていないように映るらむねが、不気味でならなかった。
「それよりダメだよぉ、三枝さん。ちゃんと走らなきゃ」
「えっ? えぇ……」
朱里の中で、この場から逃げ出したい気持ちが増していき走り出そうとした時、らむねは冷たい目で朱里を見た。
「ねぇ、三枝さん――」
「なっ……何?」
らむねは仄かに微笑む。
「今日は……、いい記録が出そうだね」
――商店街にいた弥兎と花子はゾーンに引き込まれていた。
「これって……」
「……」
周囲を警戒していると正面の先、私達が向かう商店街の出口に動く物体を確認し、そちらへ目を凝らす。
そこには人ほどの大きさをした、芋虫のような物体が見えた。
それは腕を使わない水泳のバタフライのような動きで、体を前方に跳ねさせると、そのまま全身を地面に叩きつける。その動作を繰り返しながら、こちらへ近づいて来ていた。
「何、アイツ……、あっ!」
近づくにつれ、それが何なのかが明らかになる。
アサブクロだ。
ソイツは、まるでとぐろのように両腕を体に巻き付けており、さらに全身を有刺鉄線で覆っている。
明らかに狙いは私達だ。
「くっ! 仕方ない……ロリポップっ!」
私は憑依するため、両足を広げ戦闘態勢に入る。
「待て!」
「――えっ」
憑依しようとした私を、クマ子は声を荒らげて制してきた。
「無駄に憑依するな!」
「無駄って……」
すると、クマ子は“とぐろのアサブクロ”に向き直る。
「……コイツは私が倒す」
スマートフォンの電源を切り鞄にしまうのに合わせ、熊のキラードールがクマ子の隣に並び立った。
「……はぁ。やるか、“まるこげ”」
“まるこげ”と呼ばれるキラードールとクマ子は一瞬の閃光を経て、憑依体へと姿を変える。
クマ子の憑依体は“まるこげ”の頭を被るなど、基本的な特徴は他の憑依体と同じだが、最大の違いは左右の腕にクマ子の胴体よりもずっと太い楕円形の熊の手が付いていた。
その手の先には鋼鉄の指が備わっている。
クマ子は感触を確かめるように鋼鉄の指を動かしているが、とても人の指先が入るようなサイズ感ではないため、どうやら中で動かした手の動きに合わせて、付けている巨大なクマの手の指も動かせるようだ。
クマ子は重そうな両腕を垂らし、左右の手のひらを正面に向けながら、ゆっくりと歩いて行った。
“とぐろのアサブクロ”との距離が近づくと、クマ子は足を止め、両手の拳に力を込める。
「……ふぅ~……」
息を吐きながら“とぐろのアサブクロ”を見やった。
クマ子を捉えた“とぐろのアサブクロ”は、覆いかぶさろうと勢い良く跳ねる。
奴が覆いかぶさろうとした直前、クマ子は体を逸らすとそれをギリギリのところで避け、“とぐろのアサブクロ”はクマ子の左手側の地面に体を叩きつけた。
すると、クマ子は即座に握り拳をつくった右手を“とぐろのアサブクロ”へ向け構える。
狙いを定めると、クマ子の動きが一瞬ピタリと止まった。
「……ふっ!」
そのまま振り下ろした拳が、“とぐろのアサブクロ”の背中に直撃する。
奴が不快な悲鳴を上げると同時に背骨がバキバキと砕ける音が周囲に響き渡った。
クマ子が振り下ろした拳の勢いは止まらず、“とぐろのアサブクロ”は地面にめり込みながら、反らした体がUの字からV字、さらにはY字になり地面に突き刺さった。
「……なっ――」
私が呆気に取られていると、クマ子は突き刺さった右手を地面から引き抜く。
すると、“とぐろのアサブクロ”から青白い発光体が湧きだし、クマ子へ吸収された。
“とぐろのアサブクロ”の体は黒い靄に包まれ、塵となって消滅していく。
(……あのアサブクロを、一撃で……)
クマ子は真顔のまま、“どうということはない”といった面持ちで私を見る。
やがて、“とぐろのアサブクロ”が消滅した事によりゾーンは閉じられ、クマ子の憑依も解除された。
(――これが、クマ子の実力……!)
私の元へ戻ってくると、クマ子は再びスマートフォンを見始める。
「……っ! ……急ぐぞ」
「えっ」
画面を見るなり、クマ子は早足で歩き始めた。
「ちょっとクマ子っ! どうしたのよ?」
クマ子は神妙な面持ちで答えた。
「……三枝がやられた」
「えっ!? それって……」
「……四人目の被害者だ」
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