第15話 耳たぶ
ナイフを落とす音で、ひなたはびっくりしたように私の方へ振り向く。
私は席から数歩後退り、迫りくるぬいぐるみを見やる。
「……そういうこと」
状況を理解し、私は落胆した。
「えっ……どうしたの弥兎ちゃん? 大丈夫ぅ?」
そう言うとひなたは、ゆっくりと落ちたナイフを拾い上げようとする。
「しらを切るのは止めてっ! 騙されないんだからっ! あんただって同じなんでしょ!」
私は思わず捲し立てた。危害を加えるつもりなどないのに、なぜこのような目に遭わなければならないのだ。心底腹が立つ。
「おっ……落ち着いてぇ、とりあえず……これ」
ひなたは落ちたナイフの柄を私に向けて手渡そうとする。
(……そんなの使わないわよ)
私が受け取らないと分かるとひなたはテーブルの端にナイフを置いた。
すると、何か思い付いたように彼女は胸の前で手のひらを合わせる。
その後、両手を小さく上げ降参のポーズを取ると、私を諭すように話しかけた。
「私は、弥兎ちゃんの味方だよ」
そんな言葉、信用できるものか。
「今から近づくよ」
わざわざ言葉にして、両手を上げたまま私へゆっくりと近づいてきた。目の前まで来るとゆっくり手を動かし、私の左右の耳たぶを優しくつまむ。
しばし見つめ合っていると、ひなたは微笑みかける。
「ねぇ~!」
「……」
屈託のない笑顔に打ち負かされた。
嫉妬や妬み、敵意を向けられて来たからこそ、この笑顔は私に危害を加えないのだと悟った。
予想外の行動ではあったが、それにより私は落ち着きを取り戻した。
途端に、至近距離で顔を見合わすこの状況が恥ずかしくなり、ひなたから目をそらした。
「……分かったから、放して」
「うん!」
私達は元の席へ戻る。
ほぼ同じタイミングで羊のぬいぐるみが窓をすり抜けて入ってきた。“ロリポップ”と同じ、どこか不気味な見た目である。
「おかえり~“まくら”、見つけてくれたかなぁ?」
ひなたは自分のぬいぐるみに話しかけていたが、私はすかさず尋ねた。
「あんた、コイツが見えてる?」
私は隣で突っ立っている“ロリポップ”を指さした。
「うん! 弥兎ちゃんは兎さんを連れているんだねぇ~」
ひなたはごく自然に答えた。
「何でなにも言わないのよ……」
「弥兎ちゃんが言わないって事は、訊かない方がいいのかなぁっと思ってぇ」
信じられない。これ程の大きさの、ましてや動くぬいぐるみが居て気にならなかったのか。
私は呆れていると、再び空腹感が呼び起され、残った料理を掻き込んだ。
完食し終えるのを確認すると、ひなたは席を立ち、私に言ってきた。
「この後、時間ある? ちょっと付き合ってほしいんだぁ」
その誘いにやや不安を覚えつつも、私は訊き返した。
「……どこに?」