第12話 大家
家に戻ると、冷蔵庫からラップがされた料理を一つずつテーブルに並べた。
白米・もやしとモズクの和え物・冷ややっこ・ちくわと野菜の炒め物、これが今晩の私の飯だ。
(肉が食べたいなぁ……)
私は文句を言いつつ、手間が掛かる料理が用意されている事は有難く思っていた。ましてや私が好んで野菜を取ることなど無いのだから。
一人の食事は、箸と食器の接触音と時計の秒針が耳障りなほど鮮明に聞こえた。
結局あの女から何も聞き出せなかったが、街に行けばまた手がかりを見つけられるだろう。
何せ今はほかに当てがないのだ。
だが今の私は、明日へ向けてもう一つの目標を掲げていた。
翌朝、昨日使った食器をお盆に載せて階段を下りる。
その音につられて階下から初老の女性が姿を現した。
「弥兎ちゃん、おはよう。ご飯ちゃんと食べたかい?」
「見れば分かるでしょ」
この人はこのボロアパートの大家だ。私はおばちゃんと呼んでいる。
私の部屋の下の階に住んでいる彼女は、私の事を赤ちゃんの頃から知っている。部屋に料理を用意してくれたのはこの人だ。
大家の権限で勝手に上がり込んでいる訳ではない。私が許可しているのだ。私が唯一信用している人物と言ってもいい。
事実、おばちゃんが出入りするようになってから、金目の物が無くなった事は一度もない。
おばちゃんは自分の畑を持っているため、そこで収穫した野菜をふんだんに料理に取り入れてくる。そのため提供されるものは、いつも老人ホームの介護食のようだ。
あれでは明らかに動物性タンパク質が不足している。
(ちょっとはバランス考えてよ……)
だが、心の不満を彼女にぶつけることはない。私が言える立場ではないからだ。
あの男との暴力沙汰の際、通報してくれたのは彼女だ。
母とは出ていく前に話をしていたようで、私がここで変わらぬ生活をしていられるのは、この人のお陰なのだ。
おばちゃんの部屋の戸の横へお盆を置くと、彼女は割烹着のポケットからポチ袋を私へ手渡した。
「これで美味しいものでもお食べ」
「うん」
私は彼女に視線を合わせることもせず、ポチ袋をしまい込むとロリポップを舐めだした。
「弥兎ちゃんは本当に飴ちゃんが好きだねぇ、おばちゃんのも上げようか?」
「いらない」
彼女は黒糖飴しか持っていないのだ。
「ご飯は足りているかい?」
「…」
「今日はどこに行くんだい?」
「…」
「帰りはいつもくらいかねぇ?」
「…」
どうして年寄りというのは質問攻めにするのだろう。分かってる。私が何も答えないからでしょ。
「私、もう行くから」
「そうかい。車には気を付けるんだよ」
私はおばちゃんを無視していた訳ではない。今日こそはお礼を言いたかったが、喉から先へ言葉は出てくれなかったのだ。
近しい人ほど感謝の言葉を伝えるのは難しかった。




