第10話 財布
「実は中倏さんのお財布が無くなりました」
それを聞いてこの時間が実に無駄に思えた。こいつの財布がどうなろうが知ったことではない、ましてやちゃんと管理していなかったあいつに責任がある。
私は無駄骨とはわかっていたが仕方なく机に置いた鞄の口を開く。
(なにコレ……)
見知らぬ財布が入っている。私の物ではない。
呆気にとられていると、中倏がにやつき担任に私の鞄を調べるように促す。
担任が鞄の中の財布に気づくと、中倏は大げさにこちらを指さした。
「それーっ! 私の財布!」
クラス中が私に注目する。担任がこの財布はどうしたのかと問うてくる。
「そんなの知らないっ!」
当然私は否定した。中倏の持ち物など触りたくもない。しかし私への疑惑は晴れず、担任はネチネチと質問攻めにしてきた。私が幾度となく弁明していると中倏が喋り出した。
「どうせ私に嫉妬してやったんでしょー。ママから聞いたよー」
私が理解に苦しんでいると中倏は大声で話し出す。
「みんな聞いてぇー! 東林のママって夜お酒を出すお店で働いているんだよー! そういう所で働く人ってお金に困ってるんだって~」
中倏は私を見下し、続ける。
「だからあんたは私の財布取ったんでしょー。貧乏な家の子って手癖悪~い!」
「私は……人の金を奪ったりしない……」
私の手は震えていた。握りしめた拳に爪を食い込ませ、その痛みで正気を保った。
取り巻きの女子共は口々に喋り出す。
「私―、東林のお父さんが不倫してるの見たことあるー! 平日も働かずに遊んでたー!」
「あんたも前、ずる休みしてたもんねー! 流石、親子だねー」
次第にクラスの奴らは好き勝手に言い出した。
「俺も見たことある。他の人に怒鳴り散らしてた」
「だからあいつもガラが悪いんだ」
中倏が怖くて同調している腰抜け共の声は耳障りだった。
「あいつはぁ! 父親なんかじゃない!」
クラス中に目をやると、そこにまともな奴など一人もいない。
ようやく私が声を荒らげたことを中倏は面白がった。
「知ってる。ただのヒモでしょ。学校行事にも来ないで、あんな男に金を貢ぐ為に働いてさ。あんたのママ、人としてほんと終わってるよね」
私に顔を近づけ中倏は言い放つ。
「そうやって誰にも愛されないのがあんたなんだよ、東林!」
その瞬間、中倏に掴みかかり押し倒した。片手で髪を引き千切るつもりで引っ張りながら、奴の顔を何度も殴りつけた。
中倏の顔が歪んで見えるのは、殴打のせいか私の涙か判断できない。だが心は悔しさと憤りでいっぱいだった。
この日、私は心底うんざりした。
私が何をした。良い子にしていれば、再び母は私へ目を向けてくれると思って耐えてきたのに、これで全て無駄になったのか。
周りにいるのは腐った大人と腰抜けと、この人でなし。
こいつらがいる世界から一刻も早く抜け出したかった。