第102話 隠し事
皆が寝室へ向かった後、夏樹はウッドデッキの柵に肘を乗せて、真っ暗な森の上に広がる夜空を眺めていた。
雲は少しずつ散り始め、朝には快晴が予想できる空模様だ。
(今も忙しくしてるのかなぁ……)
スマートフォンの連絡先一覧へ視線を移し、夏樹は思う。
(連絡が無いってことは、あれから一度も帰ってないんだ……。
ほんとは今すぐにでも伝えたいのに……)
画面をタップして電話番号を見つめ、明日掛けてみようかと考えたところで思い止まり、夏樹は首を左右へブンブンと振る。
(ダメダメ……! 邪魔しないって決めたんだから、向こうからくるのを待たなきゃ!)
「はぁ~……」
深いため息をついてから再び夜空へ目をやり、夏樹は今日一日の出来事を思い返した。
皆と過ごした時間を思い出すと、自然と笑みがこぼれる。
だが、同時に自己嫌悪に陥り笑みはスッと消えた。
物思いにふけっていた時、夏樹は背後から声を掛けられる。
「……虫に刺されるぞ」
「あっ」
彼女が振り返るとリビングとウッドデッキの境に、風呂上がりでパジャマ姿となった花子が肩にバスタオルを掛けて立っていた。
「クマちゃん……。うん、もう戻るしぃ~!」
夏樹は笑顔をつくり、明るい声を返す。
それを聞いて立ち去ろうとした花子を、夏樹は呼び止めた。
「ねえ、クマちゃん……」
「……?」
噤んでいた口を開き、夏樹は尋ねる。
「あーし……、楽しんでて良いんだよね?」
「……」
花子はほんの一瞬、間をおいてからはっきりと答えた。
「……当たり前だ。お前が気に病む必要はないんだからな」
「うん……――って! ごめんね! クマちゃんの方が辛いのに、あーし自分の事ばっかりだね」
「……どちらがなんてことはないさ。だが、時折お前の方が辛そうに見える」
「う~ん……みんなと居る時は、考えないようにしているつもりなんだけど……。
黙ったままで良いのかなって。
ねえ、クマちゃん? やっぱりみんなにも話しておかない?」
「……折角遊びに来ているんだ。この場で言うのは無粋というものだろう。
……それに、全員確実に経験と力を付けてきているんだ。今更怖気づかれても困る。
……私達は戦うしかないんだからな」
「うん……」
「……いずれは私から話す。だから、お前は今まで通りでいてくれ。
……周りを明るくするのは私では務まらない、夏樹にしか出来ないことだ。
……私はそんなお前に救われてもいる。
……たとえ喧しく、鬱陶しいとしてもな」
「クマちゃんの言葉は相変わらずストレートだね。でも、あーしははっきり言ってくれるクマちゃんが好きだよ。
うん……、ゴメンね。もう言わないから」
夏樹はいつもの明るい雰囲気になると、笑顔で花子の元へ近づく。
「もお~っ! クマちゃんまだ髪濡れてるしぃ~! あーしが乾かしてあげる!」
「……すぐ乾くだろ」
「そういう油断が良くないしぃ! ほらっ! 行こ行こっ!」
夏樹に背中を押されながら、花子は部屋へと向かっていった。
私が二階にある自分の寝室へ戻ると、部屋の電気はオレンジライトだけが点いた状態だった。
入ってすぐのところにあるベッドでは、ひなたがスヤスヤと寝息を立てている。
おそらく足元が見えるように彼女が点けてくれていたのだと思い、スイッチを切って自分のベッドへ向かおうとした瞬間――。
「ふえっ!? なぁに!?」
電気を消した途端、ひなたが飛び起きたのだ。
「ああ、ごめん。起こしちゃった?」
私は彼女に一言掛けてから改めてベッドへ向かおうとすると、ひなたは声を上げる。
「あっ……あのね弥兎ちゃん……、私、明かりがないと眠れなくて……」
「えっ? 私暗くないと寝れないから我慢して」
「ふえっ~!?」
ひなたの主張を無視して自分のベッドへ入り、彼女に背を向けて寝ようとした。
ひなたには悪いが、朝になれば自然と周囲は明るくなるのだ。
ならば、夜の間くらいは我慢してもらおう。
私はそのまま眠りに就こうとしていたが、背後ではひなたがドギマギしているのが分かった。
彼女がベッドから出たのが物音で分かり、抵抗して電気を点けてくるかと思ったが、不意に私の掛け布団が捲られる。
「んっ?」
顔だけ背後へ向けると、ひなたが私のベッドへ入ってきた。
「ちょっと、ひなた……」
「弥兎ちゃ~ん……我慢するから、一緒に寝させて?」
私の返事を聞かずにひなたは隣で横になった。
「全く……」
仕方なくベッドから立ち上がると、オレンジライトだけを点けた。
「これでいい?」
「わあ~! 弥兎ちゃん、ありがとう」
一件落着したところで自分のベッドへ戻ったが、ひなたは何故か出ていこうとしない。
「ひなた?」
彼女は既に穏やかな寝息を立てて寝入ってしまっていた。
「はあ……」
今更立ち上げることも面倒になり、私はそのまま横になる。
一日の疲れが体に伸し掛かり沈むような感覚の中、瞳を閉じれば直ぐに眠りに就いてしまった――。
「暑いっ!」
目が覚めると、カーテンからは外の光が漏れていた。
隣で眠るひなたは人間ホッカイロのようで、布団の中全体がポカポカしている。
(あっ……)
見るとエアコンが止まっていた。
どうやらひなたがタイマーをセットしていたせいで、明け方には停止していたようだ。
(……、起きるか)
時刻は6時半。
私はベッドから立ち上がり、カーテンを開ける
「ふぇ~……」
光が射し込むと、ひなたは眩しさから寝返りを打つ。
「んん~っ! あ~……」
私は大きく伸びをしてから廊下へ出ると、ハム子がトイレから出てくるところだった。
「ウサさん……、おはようございます」
「おはよ」
まだ、眠たそうなハム子に挨拶を済ませるとダイニングキッチンへ向かう。
「弥兎さん、おはようございます」
「おはよ」
キッチンでは、既にシシ子が朝食の準備を進めていた。
「シシ子は早いのね」
シシ子は手を止めないまま私に尋ねる。
「朝食を召し上がるのでしたら、弥兎さんの分もご用意しましょうか?」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
食べない派の者、ご飯派パン派でも好みが分かれるため、昨日駅前のスーパーで各々自分用の朝食は用意してある。
私は節約もかねて購入していなかったため、シシ子の厚意に甘えることにした。
食事中、徐々に皆が起きて各々が朝食を取り始めたが、クマ子とひなたは中々起きて来なかった。
食事を済ませた私とギャル子は、クマ子を起こしに行く。
「クマちゃ~ん、朝だよ~」
「……ん~」
クマ子は何とか体を起こすが、両目は横線状態で開いていない。
「あんた、朝弱かったっけ?」
「……起きる理由がない時は目が覚めん」
続いて私はひなたを起こしに行く。
「ひなた、そろそろ起きなさいよ」
「ふぇ~……弥兎ちゃ~ん……おはよう……」
体を起こすと、“くせっ毛”のひなたの頭はいつにも増して爆発していた。
メイクをしに寝室へ戻ったギャル子以外の者が、リビングとダイニングキッチンに集まったタイミングで、私はシシ子に声を掛ける。
「今日の予定は決めてるの?」
「夕食までは自由時間ですわ。
明日には帰ることですし、本日はゆっくりされるのも良いかもしれませんね」
「ウサさん、何かやりたいことでもあるんスか?」
「特に無いけど、折角だからその辺を散策でもしようかしら」
「……活動的だな」
まだ目が開いていないクマ子は、モグモグと口を動かしながらぼそりと呟く。
「自分も行きたいっス!」
「わたくしもご一緒しますわ!」
「あーしも!」
寝室からギャル子の声が飛んでくる。
(聞こえてたのか……)
結局午前中はクマ子とらむねとひなたは室内で、残りのメンバーは散歩に出掛けることになったのだ。
私、ハム子、シシ子とメイクをバッチリ整えたギャル子の四人でコテージから出ると、まずは周りを歩いてみることにした。
砂利が敷き詰められたコテージの周囲は歩く度に音が鳴る。
夕食の下見ついでに、私達はコテージの北側へやって来た。
南を向けばウッドデッキの向こうにリビングが見え、くつろいでいるクマ子達が確認できる。
「この辺りにコンロを設置しましょうか」
「昨日は直ぐに暗くなっちゃったしぃ、少し早めに始める?」
「そうっスね。そしてバーベキューの後に――」
「花火で終わりって感じね。良いじゃない」
段取りを把握したところで、私は北側へ目をやった。
眼前にはひらけた空間が広がる。
砂利がなくなった先は雑草が生い茂り、さらにその先には茂みがある。
茂みの向こうはコテージよりも高い木々が立ち並ぶ森が広がり、その奥は山道のない急斜面の山になっていた。
茂みの所まで来ると日陰になっており、ひんやりと空気が冷たい。
コテージから離れたこの場所にはよく見ると色々な物が置かれていた。
正面に見える雑草と茂みの境には太く長い丸太が横たわっている。
左端には短い土管が幾つか放置されていた。資材の余りだろうか。
右端には長らく使われていないであろう薪割り台と木片、そして斧が転がっている。
伸びきった雑草に隠れ、ここまで来なければその存在には気づかないだろう。
薪割り台の近くには、丸い輪っかがついた細長い杭が数本地面に突き刺さっている。
ネットを通して畑の柵として利用する物だろう。
「ウサちゃ~ん!」
ギャル子に呼ばれ、私は皆の後に付いて行った。
コテージエリアを出て晴れ渡る空の元、新鮮な空気と自然あふれる絶景を堪能しながら、初日にタクシーで来た道を下っていくと橋の所まで来た。
下を覗けばそれなりの高さがあり、壁のような岩肌が谷を形成している。
そこに流れる川は、やはり昨日遊んだ川の下流に当たるようだ。
川の両端は広い川原になっていて、ここでも遊べそうだが何分下りる手段がない。
その後、道路を道なりに進んでいくと管理棟に辿り着いた。
「いらっしゃい」
管理棟内は売店と受付があり、レジのあるカウンター内には薬指に指輪をはめた中年の女性が居た。
「あっ! バナナジュースだって!」
その場で作ってもらえるというバナナジュースは少々値段設定が高めなため、二人で一杯を分けて飲むことにして、二杯分を注文した。
「冷たいしね、美味しいよぉ」
店の中年女性は慣れた手つきでジュースを作り始める。
底に複数の刃が付いたミキサーに材料を入れスイッチを押すと、刃は高速で回りながら食材を砕いていく。
待っている間、売店を抜けた所にはキャンプ場が広がり、整備された土地には六組程の客が見えた。
管理棟の近くで板材をノコギリで一生懸命切っている中年男性が私に気付くと、“いらっしゃい”と声を掛けてきたので軽く会釈して返す。
その人の薬指にしている指輪は売店の女性が付けていたものと同じであり、二人が夫婦である事が分かる。
「はい、お待ちどう」
「いただきまぁ~す」
「いただきますわ」
完成したバナナジュースを受け取り、シシ子とハム子が一口ずつ飲む中ギャル子は私に確認を取る。
「ウサちゃん、先に飲んでいい?」
「どうぞ」
ストローで吸い上げ口に含んでから喉を通ると、皆の目が輝く。
「んん~! 美味しいしぃ!」
「美味しいっス!」
「美味しいですわ!」
(三段活用か?)
「ウサちゃん、残り飲んでいいよ!」
「じゃあ、貰うわ」
売店を後にしてキャンプ場へ出ると、平坦なコテージエリアと違い高低差のあるこちらも見て回りたくなった。
私達の意見は一致し、管理人に訊いてみることにする。
「お忙しいところすみません。あちらには行ってもよろしいのでしょうか?」
シシ子が尋ねると中年男性は気さくに答えた。
「ああ、テント張ってる有料エリアじゃなきゃ大丈夫だよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「じゃあ、向こうの方も歩いてみる?」
「そうっスね」
話を終えた中年男性は、二枚の板材を電動ドライバーでネジ止めしていく。
先程は切断するのにあれ程苦労していたというのに、ネジは激しい回転を加えられるとスクリューの原理で板材の一点を削りながら突き進んでいく。
その様子が、何故だか私の目に焼き付いていた。
次回へ続く。




