第98話 競走
暫くして弥兎は川から上がり、腕時計を付けて計測中の時間を確認すると全員へ知らせた。
「後、10分で閉じるわ」
「あーし、お腹空いてきちゃった」
「そろそろ戻ってお昼にしましょうか」
皆も水から上がり、帰り支度を始めている傍らで、弥兎は坂道の先に続く道路へ顔を向ける。
(また、あの距離歩くのも面倒なのよね……)
振り返り、真奈美達がキラー・スタッフト・トイに乗っている姿を目にして彼女はひらめいた。
「ねえ、どうせならもうひと勝負しない?」
「えっ! やりたいやりたいっ!」
「……風船はもう無いぞ」
「大丈夫よ、レースにするから。
ドールが居る状態で帰るなら、コテージまでキラー・スタッフト・トイに乗って戻った方が楽でしょ?
クマ子だって、あくまで逃げるのを優先しろって言ってたじゃない。
その訓練も兼ねてるってことで」
「またご褒美とか決める?」
「そうね……あっ、コテージエリアの入口に自販機があったわ。
最下位の奴は一位の奴にジュース奢りってのはどう?
ルールは、自分のドールに乗った状態でコテージエリアの入口の所にゴールすること。
コースは道路に沿って行かなくても、ここからコテージに辿り着ければ、どのルートで行っても良いことにしましょう」
「オーケーだよ! ウサちゃん!」
「……らむねは、また好きなヤツに賭けろ。
……レース中は“まるこげ”に乗っていれば良い。何とか二人乗れるだろう」
「それなら、もう一度“まるこげ”に賭けるよ。今日は色々お世話になってるし」
「……勧めはしないがな」
全員が合意したところで、一同は川を後にした。
坂道を上がり道路へ出ると、皆キラー・スタッフト・トイに乗って横並びとなる。
自分のドールに夏樹とひなたは跨がって、董華は猫背の“キング”の背中に立ち乗りして頭部に掴まる。
真奈美は、飛び込みの時と同様の体勢でハム蔵に乗り、“まるこげ”はボディビルダーが両腕を曲げた状態で上腕二頭筋を見せるダブルバイセップスのポーズを取ると、その左右の腕に花子とらむねが腰掛けた。
弥兎は以前のように肩車する体勢で“ロリポップ”に乗り、耳の付け根を操縦桿のように握った。
「よし! らむね、スタートの合図をお願い!」
「うん。よ~い……――」
全員が走り出すまでの間、服から滴る雫の音が聞こえそうな程の静寂となる。
その最中、“ロリポップ”は後ろ足を曲げて地面を踏み込む。
「――どん!」
スタートの合図と同時に、キラー・スタッフト・トイ達は一斉に走り出した。
“ロリポップ”は曲げていた足を伸ばして前方へ向けて地面を蹴り上げ、跳躍力を活かして一気に先頭へ出る。
跳んだ先で足が着くと透かさず四足で走り、助走をつけて再度前へ跳んで他の者達から距離を離していく。
次いでハム蔵が忙しなく走りながら“ロリポップ”を追い、その後ろからは力強い走りを見せる“キング”が続いた。
後方集団は4位の“まくら”が地面を蹴り上げた後、暫く滑空しながら前進していく。
見た目のゆったりとした動きに対し、以外にも速度が出ていた。
5位の“みたらし”も懸命に追っていくが、先頭集団には追いつけずにいる。
最下位の“まるこげ”は両腕に花子とらむねを乗せて、普段よりも動きづらそうにしながら二足歩行でのそのそと走っているが、他の者達からはどんどん離されてしまっていた。
「……これは駄目だな」
「熊見さん、諦めちゃうの?」
「……移動速度は、“まるこげ”が一番遅い。こればかりは俊敏型のドールには敵わない。
……一応手が無い訳ではない。
……夏樹に“転がった方が速い”と言えば、こちらの発言に疑問も持たず素直に聞き入れ、自分は降りて球体化した“みたらし”を行かせるだろう」
「えっ……でも、ゴールする時は自分のドールに乗っていないといけないルールだよね?」
「……ああ。だからその隙にこちらがゴール出来れば、まだ勝つチャンスはある。だが、これはやらない。
……仮にもゾーン内であるここで、契約者とドールを離すのは危険だからだ。
……悪いが、勝つのは難しいな」
「何とかならないの? 熊見さん」
「……だから勧めなかったんだ」
先頭を走る弥兎と“ロリポップ”は右へ膨らむ“つ”の字型の大きなカーブに差し掛かった。
「道に沿ってなんか行かないわよ! “ロリポップ”!」
弥兎の指示を受け、“ロリポップ”は地面を強く踏み込み、高く跳んだ。
目の前の擁壁を越えて、その上の木々が残る所へ着地すると、透かさず跳んでカーブの先に当たる反対側の道路へ着地する。
先頭を追う真奈美は、軽々擁壁を越えた弥兎等を見て声を上げた。
「ショートカットっスか!?」
“ハム蔵”であれば上れないことはなさそうであったが、直角に近い擁壁へ挑むのは憚られ、真奈美は道に沿って進む。
カーブを曲がり終えると“し”の字型の道路が続き、真奈美が目をやると“ロリポップ”は前方に見える直線の道路へは進まず、横に広がる自然の中へ跳んでいた。
ガードレールを越えた下方には橋の下へと流れが続く川と森があり、“ロリポップ”はそこから伸びる高い木々の上を跳び移りながらコテージエリアへ向かっていく。
(道路を通っていっては追い付けないっス……!)
「ハム蔵さん! 自分達も森へ進みましょう!」
ハム蔵は真横へ曲がりガードレールを越えると、下へ滑り降りて森の中を進んだ。
無数の木々が立ち並ぶ森は、走り抜けようとするには困難なルートであったが、ハム蔵は急激な方向転換を繰り返すことで木々を躱し、スピードを落とすこと無く進み続けた。
だが、ハム蔵が勢い良く方向を変える度に真奈美の体も激しく揺さぶられていた。
「ちょお……ハム蔵さん……! あのっ……! おえっ……!」
董華と“キング”は“つ”の字型のカーブを曲がり終え、右へ伸びる緩いカーブを曲がると“し”の字型の道路の直線に差し掛かった。
右手に広がる森の中を見ると、木の上を“ロリポップ”が、森の中を“ハム蔵”が走り抜けている。
(あちらのルートの方が近道ですが、“キング”では今の速度を維持出来なくなりますわ……!)
「このまま進みますわよ! “キング”っ! 間もなくゴールですわ!」
木々の上を跳び移っている弥兎の瞳にはコテージが見えており、“ロリポップ”が最後に大きく跳ぶことでコテージエリアの入口に着地した。
「ゴールっ! 独走じゃない!」
“ロリポップ”から降りてガードレールが正面にある状態から右手側へ続く道路を見ると、左へ曲がった先にある直線道路を“キング”に乗った董華が近づいて来ている。
「あれ? ハム子は?」
疑問符が浮かんだ時、目の前の森からガードレールを越えてハム蔵が飛び出した。
「!?」
ピタッと着地しゴールしたことで、ハム蔵は2位となる。
その上では真奈美が俯いたまま、必死にしがみついていた。
「ハム子?」
真奈美はふらつきながら何とか立ち上がるが、顔色が悪い。
「おえっ……! うっ……気持ち悪いっス……」
「あんたタクシーでも全然酔わなかったじゃない?」
「そうではなく……下の森で何度も方向転換しまくったせいで……うっ……吐きそうなんスよ……」
「いつも平気な癖に」
「それは憑依体だからっス!」
(何だ、元気じゃない)
話し終えたところで、董華と“キング”が到着する。
「お二人共、お速いですわね」
その後、“まくら”、“みたらし”、“まるこげ”の順にゴールし、レースは終了した。
「ふへへぇ~ん! 今度こそ勝ちたかったのに~!」
「あんた達、張り合いがないわね。
それじゃあ勝者の特権として、クマ子には奢ってもらおうかしら!」
「……ああ」
“まるこげ”から降りたらむねは、花子へ声を掛ける。
「あの……熊見さん、私が出すよ。私だって負けなんだし」
「……気にするな、予想してた結果だ。
……それよりも弥兎、閉じるまで後何分だ?」
「1分」
服や髪の濡れを気にしている皆へ、花子は向き直る。
「……聞いてくれ、全員無意識に気づいていたとは思うが、ここで改めて理解しておいてもらう。
……このゾーン内と私達の居る世界は、見かけこそ同じだが全くの別モノだ。
……そのため、ゾーン内のモノは私達の世界には存在出来ない」
「それが何だって言うの?」
「……つまりゾーンが閉じれば――」
その瞬間、ゾーンは閉じられ世界は色を取り戻す。
そして、弥兎達の濡れた髪や服は一瞬にして乾いた。
正確には、付着していたゾーン内の川の水が跡形もなく消滅したのである。
「――ゾーン内に合ったモノは何も残らないということだ。
……極端な話、ゾーン内にある金をくすねようがこちらの世界に持ち込むことは出来ない」
「あんた、そんなことしようとしたの?」
「……私はしてない」
そこで夏樹が割って入ってくる。
「まあまあ! 取り敢えずこれも大事なことだし、頭に入れておこうよ!
あーしも良~く覚えておくしぃ!」
「それにしても……それなりに理解が進んでいたと思っていたけど、まだまだ知らないことがいっぱいだね……――あっ」
らむねが述べていると、彼女の腹の虫が鳴る。
「すみません……」
恥ずかしがるらむねに皆が微笑むと、董華が声を上げた。
「さあ皆様、お腹と背中がくっつく前にお昼にいたしましょう」
「もう、ぺこぺこだしぃ~」
「お昼楽しみだなぁ~」
「公星さん、大丈夫ですか?」
「うっ……勝利を望んだが故の代償っス……」
コテージへ戻っていく皆に続こうとした時、弥兎は後ろから声を掛けられる。
「……弥兎」
「えっ? ……おっと!」
花子から投げ渡された炭酸飲料を受け取ると、弥兎はその場で固まってペットボトルを感慨深く見つめた。
「……どうした?」
「いや……、前にもこんな事あったなと思ってね。
私さ……クマ子と知り合ったあの日、あんたに協力しようと思ったのは、この先――共に戦う信頼し合える仲間が必要だと思ったからなのよ」
談笑しながらコテージに戻っていく仲間達を見つめながら、弥兎は声を漏らした。
「気付けば、随分増えたと思ってね」
弥兎と同様に仲間達を見ながら花子は呟く。
「……そうだな。だが、まだ何も解決していない。
……襲ってくるキラードールが強力になってきているのに加え、ここまで生き残っている契約者と敵対することになれば、一筋縄ではいかないだろう。
……正念場はこれからだ」
「ええ」
決意を新たに、二人もコテージへ戻っていくのであった。
手洗いのために出来た流しと洗面所の渋滞が解消すると、一同はキッチンへ集合する。
「ご飯は炊けておりますわね」
炊飯器を確認している董華に、弥兎は問い掛けた。
「それで昼は何なのよ?」
「こちらになります」
董華は取り出した物を持ってテーブルへ並べる。
「カレーですわ~っ!」
「わあ~!」
テーブルに広げられた数種類のレトルトカレーは見るからに高級感溢れる物であった。
「頂き物ですが、大変美味しかったので、是非皆様にも食べていただきたくて持ってきましたの!」
「野外に来た時のカレーって、飯盒炊爨と鍋で作るのがベタなんじゃないの?」
「……ここは室内だろ」
「お鍋でカレー作ると洗い物が大変なんだよね……」
「すみません。夕食は豪勢にいたしますので、お昼はこちらでご勘弁していただけますか」
「別に嫌な訳じゃないけどさ」
「でもでも、ウサちゃん!
これ一食当たり1000円はするよ!」
夏樹は調べていた商品ページを見せてくる。
「はっ?」
弥兎の常識からは逸脱した値段に目を丸くすると、彼女の中では味への期待が高まった。
その後は風船割り対決の勝利順に好きなカレーを選び、食していく。
コテージでの昼食――ダイニングキッチンは明るく賑やかな雰囲気に包まれていたが、上空では灰色の雲が山一帯を覆い始めていた。
次回へ続く。




