第95話 川
「みんな、この格好で行くの?」
「最悪濡れても良い服にしといた方がいいんじゃない?」
夏樹の問いに答えながら、弥兎はウエストポーチを外してソファーへ置いた。
「しかし、靴まで濡れるのは困るっスよね……」
「ウッドデッキにサンダルならあったけど」
「それよ! 後で下駄箱の方も探してみましょ」
各々が準備している中、花子はスマートフォンの操作を止めて寝室へ向かう。
自分の鞄から駅前のスーパーで購入した物を持ち出すと、董華に声を掛けた。
「董華、紐はあるか?」
「ビニール紐でよければ、こちらに」
花子は董華からビニール紐を受け取ると、リビングのテーブルの前に腰を下ろした。
その後、皆は川遊び用の支度を済ますとコテージの各所を探し、常備されていたサンダルを人数分見つけ出す。
弥兎達が準備を終えてリビングへ戻ると、花子はテーブルの上で作業をしていた。
携帯空気入れで風船を膨らませ、長めに切ったビニール紐を風船の結び目に結び付ける。
それと同じ物を幾つも作っていた。
その様子を目にして、弥兎は花子へ声を掛ける。
「クマ子、あんたがコテージにまで来てやりたかった事って、これなの?」
「……まあな」
花子が適当に返す中、彼女の作業を見ていた真奈美は予想を立てた。
「ウサさん、きっとクマさんは風船レースをするつもりなんスよ」
「レース?」
「はい。あれらを上流から流し、どの風船がいち早く下流へ辿り着けるかを競うんスよ!」
「紐は何のためよ?」
「片付ける際、風船に手を伸ばさずとも紐を掴んで手繰り寄せれば、回収が楽っス!
つまり、上から下への流れがある川ならではの遊びってことっスよ!」
「う~~ん、で? クマ子、実際は何に使うのよ?」
少なくとも真奈美の予想が外れていることには確信があったため、弥兎は直接本人に聞き直した。
紐の付いた風船を六個作り終えたところで花子は答える。
「……訓練に使う。それより、川に着いたら先にデュアルゾーンの検証をするぞ。
……念のため、全員時間を計れる物を用意しておいてくれ」
それだけ言い終えると、花子は然りげ無く董華とらむねに声を掛けに行った。
全員の準備が整い出発しようとした時に董華が声を上げる。
「皆様、わたくしお昼の準備を抜かっておりましたわ。
すみませんがらむねさん、手伝っていただけますか?」
「分かりました」
「シシちゃん、あーしも手伝おうか?」
「いえ、らむねさんが居てくだされば十分ですので、皆様は先に行ってください。
わたくし達は後から追いかけますわ」
「……悪いが任せた。行くぞ」
先導する花子についていく形で、一行はサンダルを履いてコテージを出発すると、コテージエリア前の道路へ出る。
コテージエリアの入口には、自販機とこの辺りの地図が描かれた案内板が設置されていた。
案内板で下りられるポイントが最も近いのが川の上流であることを確認し、弥兎達は移動を開始する。
片側一車線の道路に沿って山の上へ向かって歩き続けながら、花子は弥兎達に検証方法を詳しく伝えていた。
暫くして道路を外れて坂道を下っていくと、川へと辿り着く。
水辺に近づくにつれ気温は下がっていき、所々にある木陰によって涼しげな空間が広がっていた。
水の流れに沿って大小様々な岩があちこちに転がっていたため川の付近は足場が悪かったが、坂道を下ってきた先は下流にできるような広い川原になっていたため、動き回るには十分な広さがあった。
川原に集まった五人が大自然の景色に一頻り感激し尽くすと、円になるように集まり、早速当初の目的に移ることとなったーー。
「……弥兎、準備は良いか?」
「ええ」
私は腕時計、クマ子はスマートフォンのストップウォッチ機能を押す構えで待つ。
「……よし、これよりデュアルゾーンの検証を行う。
……夏樹、ゾーンを展開してくれ」
「うん。“みたらし”、いくよ!」
“みたらし”を中心にゾーンが展開される。
辺りは彩度を落とした白黒の世界となり、明確に色を持つのは私達契約者とキラー・スタッフト・トイだけとなった。
展開と同時に私とクマ子はストップウォッチを押し、計測を開始する。
ゾーン内は電波が通っていないため、電話を掛けたりインターネットへのアクセスは出来ないが、端末単体の機能は充電が持つ限り問題なく使用可能だ。
また、ゾーン内と現実世界で流れる時間は同じ。
現在把握しているこれらの基本情報を改めて皆で共有していると、シシ子とらむねが坂を下りてきた。
「あれ? シシちゃん、らむちゃん、もう終わったの?」
私も二人の登場は予想外であった。準備をしていたにしては、余りに合流が早すぎたからだ。
「実は花子さんの指示で、皆様に気付かれないように付いて来ておりましたの」
「食事の準備っていうのは建前で、実際はみんなが出て行ってすぐに私達もコテージを出たんだ」
「クマさん、何のためっスか?」
「……夏樹に二人を意識させないためだ。
……お前は二人を引き込んだつもりはないんだろう?」
「うん。シシちゃんとらむちゃんが居るなんて思わなかったしぃ」
「……これをはっきりさせたかった。やはり一度契約を行った者であれば、強制的にゾーンへ引き込まれてしまうのは間違いないだろう」
その後、クマ子はシシ子に電車で私達が話し合ったデュアルゾーンについての詳細を伝えた。
そうこうしていると、展開時間が10分に迫ろうとしたため、クマ子はスマートフォンを注視し、それに倣って私も腕時計へ目をやる。
「……直に10分だ。真奈美準備しろ、5のカウントでいくぞ」
「はい!」
「――……3、2、1、今だ」
「ハム蔵さん、お願いするっス!」
今度はハム子がゾーンを展開したことで、ハム蔵を中心にゾーン内全体へ波紋のようなものが広がる。
これによって、この空間は“デュアルゾーン”と化したのだ。
「んー……、見た感じは特に変わりないわね」
「……そうだな。夏樹、ゾーンを閉じてみてくれ」
「うん。う~ん……あれ? うぅ~ん……前はもっと簡単に……
“みたらし”、ゾーンお終いにして?」
ギャル子は直接“みたらし”に頼むが、ゾーンが閉じることはない。
先に展開した者の発生権は、たしかに失われているみたいだ。
「ここまでは予想通りね」
「……ああ。次の検証でもう一度発生権の有無を確認し、同じ結果であれば先の発生者の発生権を奪取出来るものと断定しよう」
(つまり、今発生権を持つのはハム子ってことか……)
「……ここからはデュアルゾーンの展開時間を計る。考えられるパターンは三つ。
……一つは最初のゾーンの展開時間は失われ、後のゾーンの展開時間のみが参照されるパターンだ。この場合は10分立ったと同時にデュアルゾーンを展開したため、10と17を足した27分になればゾーンは閉じるはずだ。
……二つ目は最初のゾーンの展開時間に、後のゾーンの展開時間が加算されるパターン。この場合は17と17を足した34分で閉じることになる。
……三つ目はこれらに該当しないパターンだ。
……デュアルゾーンになれば、40分や1時間と展開時間が今までの基準とは異なるかもしれない」
「後は閉じるの待ちって訳ね」
「……そうだな」
私はクマ子の手元へ目をやり問い掛ける。
「それで? その風船、使うんでしょ?」
クマ子は一度頷いてから話し出す。
「……折角キラー・スタッフト・トイが実体化しているんだ。これで憑依を行えない際の訓練をしておこうと思う。
……本来は魔力が尽き、憑依できない状態に陥った場合、逃走するのが望ましいが……仮に戦闘を避けられない状況であれば、ある程度ドールと連携が取れていた方がいいだろう」
「ドールが殺られてしまった時点でゲームから脱落な訳だから……最後の手段ではあるけれど、やっておいて損はないわね」
「万が一に備えておくのは大切ですわ」
クマ子は紐の付いた風船を皆に差し出して告げる。
「……よし、全員ドールにこれを結んでくれ。
……ルールは簡単だ。自分のドールの風船を割らずに他のドールの風船を全て割る――それだけだ」
風船を受け取ると、各々契約しているキラー・スタッフト・トイに風船を結び付ける。
互いに距離を置き、契約者の前にドールを立たせ準備が整った。
「ねえ、みんな! 勝ったら何かご褒美があるようにしない?」
「それでしたら、一位から順に昼食を選べるようにいたしませんか?」
「昼ってなんか選ぶの?」
「はい。申し訳ありませんがお昼は簡単なもので済ませるつもりですので」
シシ子は、あえてそれが何なのか言おうとはしなかった。
「面白そうじゃない。いいわ! 風船を割らなかった順に昼飯を選べるようにしましょ」
皆も納得し、それぞれ気合いを入れる。
「よし! やるからには勝つわよ、“ロリポップ”っ!」
「“みたらし”~、あーしらなら楽勝だしぃ!」
「頑張ろうね~、“まくら” 」
「ハム蔵さんなら出来るっス!」
「“キング”、よろしくて? 狙うのは風船だけ、決して皆様を傷つけてはなりませんわ!」
「……らむねは好きなヤツに賭けろ」
「えっ!? え~と……じゃあ……どうしようかな……。
う~ん、“まるこげ”にしようかな」
「……私に気を遣う必要はないぞ」
「そっ、そんなつもりじゃ……!」
斯くして、風船割り対決が幕を開けた。
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